The S.A.S.【1-4】
緊急事態に寝袋から這い出ようともがく男らへの対処を、脳では理解していながら、ダニエルは唖然と立ち尽くしていた。呆然とする肩越しに突き出された銃身が、芋虫めいた敵へ目覚めの死をばら撒いた。
「ぼさっとするな!」
ダニエルは上司の怒号に正気を取り戻し、残った一人を殺害した。形勢が覆り得る状況に、冷たい汗がその首筋を伝う。
〈こちらアルファ・ツー、便所に起きたやつがいる!今いるテントで四人を無力化したが、隣がえらい騒ぎだ!〉
スタンの叫びと同時にヒルバートはダニエルとテントを飛び出し、手を入れていないテントを視界に捉えた。着の身の乱れた若者の集団が銃を手に戸外へ転げ出て、侵入者を狩り出そうと虚空へ銃弾を放っていた。その内の一人が、人体に困難な動作で砂へと崩れ落ちる。一拍を置いて、彼方より鞭の打撃音が空を裂いた。影に潜む偵察班は、白兵戦で最も影響力のある狙撃部隊へと変じていた。
「アルファ・ワンより全部署。すぐ傍のテントの敵が起きちまった。我々の所在は露見していないが、まだ四人が暴れてる」
ヒルバートの無線連絡の最中にもう一人が喉に大口径弾を受け、すぐに訂正が為された。「……いや、三人がパニくってる」
アルカイダ見習いが続々と倒れるこの時、一張りのテントで動きがあった。顎髭を奔放に伸ばした男が一人、この騒ぎから密かに脱走を試みていたのだ。だが、お忍びの逃亡は死神の目にしかと捉えられていた。
〈アルファより全部署へ。件の孤立したテントからズールーと思しき人物が脱走。東へ向けて走っている。手に自動小銃らしき存在を確認〉
〈アルファ・フォア、了解。とっ捕まえる〉
落ち着き払った女声に、軽薄な男声が返された。その軽い応対に、ヒルバートは目頭を押さえてうな垂れた。
「……ジェロームの野郎、間違って殺さないだろうな?」
「イタリアのブロンド野郎は、脳味噌がチーズで出来ている」という我流ジンクスを否定し切れず、彼はPTTスイッチに手を掛けた。
「アルファ・ワンより全部署へ。あの馬鹿が貴重な情報源を台無しにする前に、衛生要員を派遣してくれ」
〈アルファ・スリー、了解〉
美貌の少尉・ヴェストの応答が早いか、目標地点後方、SASの潜伏地点で一両のランドローバーが砂煙を巻き上げた。その後ろを、一人乗りの四輪バギーが後を追う。
また一人、狼狽えるテロリストの頭が狙撃に弾けた。これで、残りはジャラールと雑兵が二人である。ヒルバートは今一度、PTTスイッチに手を掛けた。
「アルファ・ワンよりアルファ・ツーへ。残敵は俺らがやる。偵察班も手を出すな」
PTTから手を離し、ヒルバートはダニエルの肩を叩く。
「おい相棒、今度はしくじるなよ」
彼はテントの陰から身を乗り出すと、残る敵兵へ銃を向けた。得物は相も変わらず、棒立ちで見当違いな方向へ弾幕を張っている。砂にめり込んだ死体から噴き出す血液が、粒子の細かい砂に吸われていた。
「俺はちびの方をやる。タイミングはお前次第だ」
舎弟に有無を言わせず、ヒルバートの赤外線レーザーが低身長の男の胸にびたりと張り付いた。煌々たる輝点は、位置を定めたまま微動だにしない。相方の言動に固唾を飲み込み、ダニエルは照準をそうと標的に重ねた。
合図は不要であった。ダニエルはただ、訓練の通りに引き鉄を絞った。それからコンマ数秒の内に、ヒルバートの放つ四発の弾丸が銃身を飛び出し、鋼鉄の飛翔体は国家の敵の胸骨を、筋肉を、心臓を引き裂き、命を貫いた。柔らかい砂に二十数年のちっぽけな歴史が沈み、埃が舞い上がる。
「よっしゃ、上出来!」
小隊長の口許の傷跡が、不敵に歪んだ。
〈アルファより全部署へ。アルファ・フォアによる捕虜の確保を確認。周囲に敵影はない〉
「アルファ・ワン、了解。残敵の捜索、及び孤立したテントの捜査に移行する。アルファ・ツー、掩護してくれ」
死体が散在し、数分振りの沈黙が再来したキャンプを横切り、アルファ・ワンは最後のテントへ踏み込んだ。麻布の編み目から月光が透過する内部には五人分の寝袋、木製の家具が散らかり、アルコールの臭いが充満していた。ヒルバートは中央のテーブルに置かれた白いポリタンクの蓋を開け、すぐに「おえー」と顔をしかめてみせた。
「アセトンだ。飲めば、けちな爆弾になれるぞ」
ロシアの浮浪者さえ口にしない化学薬品を再び封印し、彼らはテントを出た。
アルファ・ワンがテントから出ると、ズールーを追った先のランドローバーとバギーが、砂の軌跡を伴って戻ってきた。孤立したテントに横付けされたバギーは、フランシス・エイリー上等兵が運転していた。ウィルフレッド・ケージ伍長の駆るランドローバー後部には、元々バギーを運転していたアルファ・スリーことヴェストと、手足を拘束された『ズールー』・ジャラールが座していた。包帯に巻かれた右腕が、首で吊って固定されている。AQAP幹部の右眼は激怒に引きつっていたが、左眼では諦観が暗い渦を巻いている。その顔の左半分は、鉄拳の殴打でグロテスクに腫れていた。
「上層部への手土産は無事らしいな」
NVGとヘルメットとを接続するアームを跳ね上げ、ヒルバートは銃のセイフティを掛けた。
「全部署へ告ぐ。捕虜をズールーと断定。各自の被害を確認し、作戦本部より次の指示が下るまで敵キャンプ周辺を固守せよ。野郎共、お疲れさん」
同様の報告を幾分かフォーマルな形式で作戦本部へ通達すると、ヒルバートはダニエルの背中をばしと叩き、走りくる自分の車輌を迎えに駆けた。その貌は先程まで殺人に携わっていた人間に似つかわしからず柔和で、そして舎弟への叱責は欠片ほども残っていなかった。
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