第2話 魔王の帰還

 夜の帳が陽の光を覆い隠す中、赤茶けた大地に勇壮と聳え立つ白亜の巨城。

 城壁は茶色く錆び、外壁もボロボロに腐り落ちているその城に四人の女性が存在していた。

 天井は吹き抜けのように月の明かりを受け入れ、パラパラと瓦礫がこぼれ落ちる玉座の間で、四人の女性は頭上に現れている月に祈りを捧げていた。


 そうして暫くの間微動だにしなかった四人は、祈りを捧げていた満月が天辺に差し掛かった時、はっと息を飲んで玉座に目を向けた。


 月明かりが全てを明らかにする中、玉座の周囲に極小さな闇が発生していたからだ。


 それと連動するように月の光も徐々にその光量を落とし、雲一つない満点の星空の筈が、巨城も含めた周囲一帯は突然深い闇の中に飲み込まれた。


 そんな状況にも関わらず、四人は胸の前で手を組み涙を流しながら玉座があった位置を真剣に見つめていた。


 数瞬か、数刻か。


 彼女達が真摯に見つめるその先で、霧が晴れていくかのように闇がその姿を薄め、最後は残った部分が凝縮するように集まり弾けて消えた。

 後に残されたのは一人の長身痩躯の男。


 月明かりを反射する白髪に燃え上がるような灼熱の瞳。

 その体は細身ながら他者を畏怖させるようなオーラを身に纏っている。


 そんな男の瞳に四人の姿が映った時、四人は弾かれるようにしてその男の足元に平伏し、咽び泣くように声を上げた。


「ぉ、お待ちしておりました。魔王様ッッ!!!」


 そのような声を掛けられた男は、自らの足元で声を押し殺しながら涙を流す女達を一瞥したあと、体の調子を確認するかのように軽く動かし、ゆっくりと辺りを見回したのち、自らの背後にあった玉座に深く腰掛けた。


「ま、魔王様……」


 白巫女装束をその身に纏い、誰よりも早く男の元に駆け寄った女が、返事のない男を不安に思い仰ぎ見るようにしてその様子を伺う。


 男はそんな視線を気にした様子もなく、自らの体に異常がないと判断できると、その綺麗な喉を震わせて声を発した。


「ぁ、あ、あー。お前達の声はよく届いているし、意味も理解している」


 その少しずれた返答に、女の顔に喜色が浮かぶ。


「その上で、俺の言葉が聞こえていて、かつその意味が理解出来ているのなら、先ずは自分が何者か話せ」


 続けて放たれた言葉に女の顔が蒼白くなり、慌てて名乗りを上げた。


「申し訳ございません! 私は『護人もりびと』の一族筆頭巫女。名前は巫女となる際に捨てました。必要とあらば如何様にもお呼び下さい」


 筆頭巫女だと名乗った女は、赤い髪に同色の瞳を持ち、スラリとした体躯に力強い眼差しを持った、存在感と見た目の合わない、何ともちぐはぐな妙齢の美女であった。


「そうか」


 男はそれだけ言うと、興味は無いと言った風にその女の後ろに並んで平伏している者達に目を向けた。


「私は『護人』の一族筆頭剣士にして代表、"秘剣"を賜っているカラミナと申します。以後、お見知り置きを」


 その視線を受けて名乗ったのは、残りの三人の内の一人。

 カラミナと名乗ったその女は、細身の剣を腰に挿し、男より頭一つ分低いながらも良く作り込まれた体躯をした若い美女。


「私は『護人』の一族"三剣"が一つ、"護剣"のサラミナです。以後、良しなに」


 次に名乗ったのは、艶然とした微笑みを湛えた和服姿の年若い女。

 腰にふた振りの刀を挿し、その立ち居振る舞いに隙は無いように見える。


「わ、わたしも『護人』の一族です。名はルナミナ、賜りしは"王剣"。魔王様のご期待に添えるように頑張ります……」


 段々と尻すぼみになっていく名乗りを上げたのは、ルナミナという少女。

 他の三人よりも一層年若く、しかし発育は一番いい彼女は、傍に自分の身長よりも大きい大剣を置き、地面に頭を擦り付けるようにして平伏している。


「こ、この者達は『護人』の一族の中でも相応の手練れ。いつの日か再臨なされる魔王様の側付きにと、日夜鍛錬を積んでいる者達に御座います。……い、如何でしょうか?」


 三人の名乗りが終わると同時に、筆頭巫女の女は蒼白い表情のまま男の顔色を伺った。


「そうか」


 失望も期待もない。そんな平坦な声音に、筆頭巫女は体をびくりと震わせた。


「弱いな」


 続けて掛けられたその言葉に、巫女以外の三人がピクリと反応した。


「そこのサラミナと名乗った女」


 男がゆったりとした動作で手を上げた瞬間、サラミナは弾かれるようにして他の三人から距離を取った。


「何を……」


 飛びずさった彼女の顔から先程までの様な笑みは無く、その額からは滝のような汗が滴り落ちていた。


「『良しなに』とはなんだ? 俺がお前に何をよろしくしなければいけない?」


 感情の全く感じられないその瞳に、サラミナだけでなく他の二人も身動みじろぎ一つ出来ないでいた。


「そ、それは……」


 当事者であるサラミナに至っては、ガクガクと膝を震わせ、立っているのがやっとの状態であった。


 そんな中、筆頭巫女はサラミナに視線を向けていた男の気を引くかのように、大声を上げて奏上した。


「恐れ多くも魔王様。もしも彼女を処罰なされるというのであれば、老い先短く、指導の至らなかった私を御咎め下さい」


 先程まで顔面を蒼白にして絶望していた者と同じ者だとは思えないくらい、はっきりとした物言いで言った彼女に、男はサラミナから視線を戻して答えた。


「そうか」


 一言そう言った男は、いつの間にか筆頭巫女の背後に立っており、片手で筆頭巫女の頭部を掴み、思いっ切り地面に打ち付けた。


「グッ────!」


 たった一回の行為で床には亀裂が走り、城全体が慟哭するかのように音を立てながら揺れ動いた。


「次はないぞ」


 それだけで気が済んだのか、男は再び玉座に座っており、尚も変わらぬ感情の色が見えぬ瞳で彼女達を見下ろしていた。


「………御温情を賜りまして、有難う御座います」


 額から血と汗を流しながら、筆頭巫女は捲れ上がった床を気にすることなく、平伏しながら答えた。


 カラミナ達三人はそんな男の姿に改めて畏怖と畏敬の念を抱きながら、ただひたすらに頭を下げて赦しを乞うしかなかった。


「申し訳ありませんでした、魔王様。以後、御気分を害すると思われるような発言は慎みたいと思います」


 サラミナがそう発言すれば、残りの二人は筆頭巫女のすぐ後ろで平伏しながら続けた。


「しかし、御身のお考えこそが最も重要」

「わたし達が必要ないと仰られるのでしたら! 是非とも、そう御命じ下さい」


 最後にサラミナがこう締めくくった。


「御身にとって足枷となりうるならば、私達は喜んで冥府へと堕ちます」


 そう続けて、床に平伏した三人の姿を見た男は、別段気にした様子もなく答えた。


「気にもならん。次に気をつけるのならば好きにしろ」


 その言葉に、平伏していた三人は安堵の息を漏らしながら、緊張と興奮で固まっていた体の力をゆっくりと抜いた。


「俺は────」


 そして、玉座に座っていた男が頬杖をついて此方を眺めるのと同時に、説明が始まった。


「自分が何故此処にいるのか、そして自らがどのような存在で何をすべきなのか、全て理解してこの場に座っている」


 たっぷりと時間を掛けて語られた内容は、筆頭巫女達四人には理解が及ばないものだった。


「分からないのは、此処が世界のどの位置に存在し、今がどういう状況で、そしてお前達の組織が何なのか、敵と味方はどの程度なのか。全ては、俺が為すべき事に対するものだ」


 男がそこまで語った所で、四人の頭にも今がどういった話なのか漸く理解出来た。


「お前達が魔王の側付きだと名乗っても俺には何一つ納得出来る情報がないし、俺との間に何の関係性も構築されていない以上、お前達との関係は他人以下だ」


 そうして、平伏を続ける四人を尻目に男は語る。


「他人以下に気を配る程、俺は聖人君子ではない。ならば、お前達が今ここですべき事は、己の名と所属を名乗ったのなら、その証明、もしくは俺に認められるような行いをする事じゃないのか?」


 男の云わんとする所を理解出来た四人は、それぞれに顔を上げて男を見つめた。


「ここの事前情報もない。お前達に関する情報は、名前と地位と側付きだと言う不確かなモノだけ。どんなに愚鈍な王でも、たったそれだけで側近に使う訳が無いだろう」


 男がそう語り終えると筆頭巫女達四人は平伏するのをやめ、各々の武器を掲げこう宣言した。



『我ら古より偉大なる"闇"の王に付き従いし一族。王の"影"より生まれ、その終生は王の為に。我らは武威により、知恵により、悦により、王と共に戦い、支え、癒す者。その御身が王たり得るとき、我ら一族は永劫の忠誠を貴方様に捧げる』



「故に、先ずは魔王様。貴方様に我らの武威をお見せ致しましょう」


 慇懃に腰を折ったカラミナを見て、漸く男の顔に表情が浮かんだ。


「くくっ。『弱い』と言われておきながら武威を示す、か。良いだろう。一先ずはそれで判断してやる。使い所があるようなら側に置いてやろう」

「御意」


 その言葉を終いに、筆頭巫女を除いた三人はそれぞれの位置についた。


 そして、魔王と呼ばれた男の前で三人の力を示す為の戦いが始まった。



 ◇



「はぁ、はぁ、はぁ………」


 一時間ほどだろうか、呼吸する間もない程に激しい戦闘を繰り広げていた三人は、男が打ち鳴らした軽い拍手に反応し、各々の武器を納めて男の方に向き直った。


「まぁ、良いだろう。今のお前達の強さがどの程度なのか正しく評価をする事が出来ない以上、潜在能力と隠し札の多さで選ぶ事になるが、それでも著しく劣る者がいる訳じゃなかった。よって合格だ。お前達が俺の為に剣を振るう限り、俺もお前達を側近として扱ってやる」


 男の一通りの発言に、三人は感極まったかのように目尻に涙を浮かべ、跪いて肯定の意を示した。


「それで? お前は俺に何を見してくれる」


 三人から離れ、一人戦いを見学していた筆頭巫女は、男の言葉に首肯し、口を開いた。


「私がご用意出来るのは、寝床と食料。そして、この世界における情報と『護人』の巫女達の持つ癒しの力です」

「くははっ。全てお前を懐に入れずとも手に入れる事は出来るぞ?」


 大きく笑い、詰るように語る男に、筆頭巫女は苦笑を浮かべながら答えた。


「となると、後は私しかご用意出来そうにありませんが、宜しいのでしょうか?」


 言外に、年老いた老骨は必要なのか。と言った意味を含ませて語る筆頭巫女に、男は手をヒラヒラと振りながら答える。


「構わん。むしろ、お前無くしてコイツらだけ貰っても片手落ちというものだろう」


 男の発言に、カナリア達は頭を深く下げる事で己の意を示す。


「それに、お前の方がコイツらよりも強いだろう?」


 男が轟々と燃え盛る炎のような瞳を筆頭巫女に向けると、彼女は諦めたかのように息を吐き出し、男に跪きながら答えた。


「一線を退いた身で宜しければ、御身の盾となりましょう」


 筆頭巫女のその言葉に、男は機嫌を良くしたのか口元に笑みを浮かべながら声を上げた。


「良いだろう! 始まりは此処から、お前達とだ。俺は新たなる魔王にして唯一無二の王」


 男はニタリと悪童の様な笑みを浮かべ女達に言った。


「お前達にオアシスを与えてやろう。屈辱と雪辱と陵辱の全てを晴らす機会と共に。月の女神に従うのはちと癪だが、今の俺は気分が良い」


 そう言って男は踵を返して玉座の間を出て行こうとする。


「魔王様、どちらへ?」


 筆頭巫女が慌てて後を追いながら尋ねる。

 その後ろからカラミナ達も男の元に駆け寄る。


「寝室に案内しろ。────寝る」


 慌てて追いかけた筆頭巫女は勿論、カラミナ達もその自由奔放な振る舞いに苦笑し、急いで男の前に立って先導した。


「こちらで御座います。魔王様───」

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魔王が世界を征服してもいいのか? @itati_kb

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