第16話 暴帝龍

 よおし! 唾液の採取完了だ。俺は壺に満タンになった唾液を確認するとホッと胸を撫でおろす。

 しかし、俺は「暴帝龍」の唾液を無事集めたことで油断していたのかもしれない。十分に警戒していたつもりだったけど、「暴帝龍」が腕と尻尾を緊張させ力を溜めていたことを見逃してしまったのだ……

 気が付いた時にはもう遅かった。次の瞬間――

 

――どす黒い霧のような煙のような何かが「暴帝龍」の体全体から噴出する!


 ま、まずい。俺はとっさに呪文を唱える。間に合えー。

 

 しかし俺が呪文を唱えている間に黒い霧が晴れる。その結果、「蜃気楼ミラージュ」が打ち消され、俺と「暴帝龍」を隔てるものは何もなくなった。

 ……落ちて来る唾液が無くなった、そして俺は体全体に凄まじい圧力を感じる!

 

 そっと顔をあげると毒々しい赤色に鈍く輝く奴の巨大な瞳と目が合う。奴は蜃気楼ミラージュで作られた不自然な霧に苛立った様子で、それを打ち消すためどす黒い霧を放った。

 小さき人間である俺を発見した「暴帝龍」は足を振り上げ、凄まじい咆哮をあげる。さっきの咆哮と違い、ものすごいプレッシャーを感じ、体全体がビリビリ揺れるが……なんとか呪文を完成させたぞ!

 

影人形シャドウサーバント!」


 呪文が発動し、俺の体全体が二重になったようにブレる。唾液は確保したからあとは逃げるだけなんだ。

 これで何とかなるはず……


 俺は奴に背中を向けて走り出そうとすると、奴の巨大な足先が俺へと襲い掛かる。俺は転がってなんとかそれを回避して起き上がろうとするが、奴の反対の足が俺へ向かう。

 

豪火球フレイムバースト・極」

 

 俺の危機を察したセルヴィーの手から豪炎がほとばしりると、「暴帝龍」の目を覆う!

 セルヴィーの魔法のおかげで、足がお留守になった「暴帝龍」から俺は逃れると、起き上がって再び走り始める。

 

 しかし、この程度で逃れられるほど「暴帝龍」は甘くない。奴の真の恐ろしさは、爪でも黒い霧でもない。

 

――引き込みなのだ!


 「暴帝龍」の最も恐ろしい特殊能力……それが「引き込み」。その名の通り、敵である俺を「暴帝龍」の体まで引き寄せる能力だが、その効果範囲が奴の尻尾が届く範囲……つまり、「暴帝龍」の周囲六メートルほどが効果範囲なのだ!

 逃げ出した俺を逃さぬと、顔を炎に巻かれながらも奴の尻尾から黒い陽炎があがると、俺の体がグググっと引き込まれ始める。

 

 俺の二重になったような体から、影が引き離されたかと思うと影が消失する。俺はと言えば、そのまま逃げる足を止めずセルヴィーの元まで無事走り切ることができた。

 そう、これこそ「影人形シャドウサーバント」の効果である。一度だけ俺への攻撃を肩代わりしてくれるんだ。かなりの魔力を使うが、ここ一番の時には最も役に立つ魔法になる。

 難点は……魔力の使用量もだけど、詠唱に時間がかかることだな。


「危なかったわね」

「あ、ああ。全速力で逃げよう!」


 俺とセルヴィーは脇目も振らず「暴帝龍」から逃げようと駆ける。

 

蜃気楼ミラージュ


 駆けながら俺は、少しでも時間が稼げるよう再び蜃気楼ミラージュの魔法を唱えて、さらに呪文を詠唱する。

 

敏捷アジリット


 セルヴィーに速力の強化を。

 

究極アルティメット


 自分自身には五感と身体能力全ての強化を。究極アルティメットは俺が一番使う魔法なんだけど、俺自身以外に使うことができない。だから、セルヴィーには「敏捷アジリット」ってわけだ。

 一方、セルヴィーも熟練の冒険者、俺と同じようにただ逃げるだけじゃなく、逃げやすくするための努力は惜しんでいない。

 

炎障壁ファイアウォール


 セルヴィーの呪文が発動すると、俺達と「暴帝龍」の間に高さ五メートルほどの炎のカーテンが現れる。普通の相手ならこれで視界を遮ることができるけど、「暴帝龍」は高さ十五メートルもあるから俺達を隠すことはできないだろう。

 しかし、炎のカーテンを突破するには炎に焼かれてしまう。これにビビる「暴帝龍」ではないだろうが、俺の「蜃気楼ミラージュ」と共に少しは奴の時間稼ぎになるだろう。

 

 全力で駆けること十分と少し……ようやく「暴帝龍」の姿が完全に見えなくなり、俺達は岩の隙間に座り込む。

 

「ハアハア、なんとか逃げ切ったな……」

「そうね、しばらくあいつの顔も見たくないわ……やっぱり騎乗竜も連れて来るべきだったんじゃない?」

「い、いや、騎乗竜だと足がすくんで動けなくなるって……」

「た、確かにそうかも……」


 俺はゼエゼエと息を吐きながらも、懐から水袋を出して、セルヴィーに手渡すと彼女はすぐにそれに口をつけゴクゴクと水を飲み干すと俺に水袋を返す。


「ありがと」

「ああ」


 俺も水を飲み、フウと息を吐く。少しは落ち着いてきたけど、まだ息が上がったままだ。


「す、少し休憩したら今度はバジリスクを狩りに行くぞ……」

「バ、バジリスクは仕留めるの?」

「あ、ああ。セルヴィーの弓でドカーンと頼む」

「全く……」

「俺は補助魔法使いだしな……」

「面倒なだけでしょ?」


 図星を付かれて押し黙る俺……と、とにかく走り切ったことで息が上がっててしゃべるのもおっくうな気持ちもあったから、言い訳するのもやめた……

 俺達はこの言葉を最後にしばらく黙ったまま息を整えた後、騎乗竜の元へ戻りバジリスクの探索を始める。

 

 そろそろ昼を食べようかという頃に俺達はバジリスクを発見すると、今度は騎乗竜に乗ったままバジリスクへ近づいていく。

 バジリスクの捕獲難易度は五。俺達からすればそう強いモンスターではない。

 

 バジリスクは巨大なトカゲと言えばいいのだろうか。胴体の真横から足がつきだし、地を這うような感じで動く。長い尻尾とワニのような顔にはルビーのような瞳を持つ全長四メートルほどのモンスターだ。

 注意すべきは、石化能力のある瞳と強靭な脚力を活かした体当たりといったところ。今のところ、バジリスクは俺達に気が付いていないから、遠くからセルヴィーの弓で仕留めれば石化の瞳に凝視されることもないだろう。

 

「セルヴィー、頼む」

「分かったわ。じゃあ、魔法をよろしくね」


 俺は隣で騎乗竜に乗る赤毛のサイドテールが風に揺れているセルヴィーに頼むと彼女は肩を竦めながらも了承する。

 魔法、もちろんかけるさ。冒険者時代の俺の役割はこれだたったからな。

 

攻撃力強化アタック・極」


 俺はセルヴィーに彼女の筋力を増す魔法をかけると、更に呪文を詠唱する。

 

貫通付与ビアジング・極」


 続いて、矢の貫通力をあげるエンチャント魔法を彼女の弓矢にかけると準備完了だ。

 セルヴィーは俺の魔法の効果を確かめた後、弓を引きバジリスクの赤の瞳を狙う。

 

――セルヴィーが矢を放つ!


 矢は唸りをあげて一直線にバジリスクに向かうと、ルビーのような瞳を貫き、矢はそのまま奴の頭を突き抜けた。

 頭を貫かれたバジリスクは大きな音を立ててその場に倒れ伏した。

 

「さすが、セルヴィーだ!」

「気が付かれていなければ、この距離だと楽勝よ。あんたの魔法もあるしね」


 俺が手放しに褒めると、彼女は少しだけ頬をあからめ頭を振りサイドテールの髪を揺らす。

 俺達はバジリスクの肉や鱗を騎乗竜が持てるだけ持って、帰路へついたのだった。

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