1-5b

;視点、三人称へ



残された三人は、命を忘れたのかのように身動みじろぎをしない。

ただ呼吸の音だけが、時の流れを示していた。


数秒が過ぎ、むせるように台詞を吐き出す虎擬。

その眼は、沸騰寸前まで赤く血走っている。


カタギリ「おいっ、ショウ! 何ボケッと突っ立ってんのさ!」

ショウ「だって……逃げられた」

カタギリ「はやくアイツを追いかけるんだよ!!」

ショウ「命令……更新した」


道化染みた会話コントを済ませると、絡繰人形は配置について。

重心を低く構えを取った、わずか7フレーム後。


彼の四肢は、地面に縫い付けられていた。

足払いからの袈裟固めは、まさに辻風の舞踏スピニング・ワルツ


無表情で飾り付けされた男女オブジェは、不気味と言う他ない。


しかし、それは四分休符フィアテル・パウゼの出来事。


巨漢と呼ぶに相応しい形姿デザインでありながら、

その反射速度は発条仕掛スプリングをも上回る。


自由を封殺する罪の鎖――手錠カフスを構える暇もなく。

驚愕を肌で感じながら、紗雲はブリッジで投げ飛ばされた。


ショウ「お前……ジャマ。オレの前に、立つな」

紗雲「貴方に命令されるのは――なんだか癪ですね」


埃を払いながら、立ち上がる紗雲。

己の実戦経験不足を嘆きながらも、彼女の思考回路は冷静を貫いていた。



;紗雲の思考


質量Massに関しては、決定的に自分が負けている。

たとえ加速度Accelerationが等しくとも、Forceでは押し負けてしまう。

ニュートン力学第2法則――運動方程式のもと、導き出される「現実」だ。


この平等な重力圏内で、体重差を補うことは敵わない。

それならば、如何にして相手の力量を凌駕するか。


――当然、加速度を武器みかたにするしかない。


要は、緩急なのだ。

ただ速いだけでは意味がない。

より速く。より鋭く。

相手と接触する瞬間に、最高速度で以て力積を叩き込む。

そして怯んだ隙に、両手もしくは両足に錠を掛ければ完了だ。


加速度で以て、対象を超克する。

これが今回の最適解。


――いや、それは少し違うか。


紗雲は初期条件を見直し、新たな暗黙の了解を認めた。


私より軽い敵が現れない限り。

この近接戦闘法は、一般解として機能し得る。


あまりに当然の出力結果を受けて、すこし項垂うなだれ気味の伊吹紗雲。


しかし――ここまでの思考実験にかけた時間は、わずか0.84秒。

文字通り一瞬のうちに、現状分析シミュレーションは収束を迎えたのだ。


視界を眼光で一眸ソナーしながら、彼女は論理ロジックの詰めに入った。


あと1つ、留意すべき事項がある。

カタギリ――わたしを交渉材料ひとじちに狙う発火能力者パイロキネシス

その射程距離は、第一撃から考えるに7m前後だろう。

近接戦に割り込む素振りは見せていないが、警戒を怠っては命取りになる。

ショウから距離を取りすぎると、火炎熱線プラズマレーザーの餌食にされかねない。

なるべく両者の位置関係を追いながら、自分の立ち位置を決めなくては。


紗雲「これにて全設定フルシステム緑一色オールグリーン


ここまでは、準備体操の時間。

ここからが、試行錯誤の本番だ。


紗雲「それでは――実験開始Let's roll!」



♪ズザッ


大きく踏み込む左足。

小走りは不要。間合いを殺せ。

上半身の旋廻に、引き手が加速をもたらして。


初手は左裏廻し蹴り。

狙うは首筋、第4頸椎だ。


あくまで軸は上足底に。

動作モーション省略カットする感覚イメージで。


相手の視界を掠める様に、反らした足首で弧を描く。

こういう時、パンツスーツより可動域の広いミニスカに感謝するしかない。


――風が泣き、床が叫ぶ。



攻撃の直前、振り向き様に敵の位置を再捕捉する。

前方の巨体は、左腕を伸ばして受けの態勢を取っていた。


否、違う。あの構えは――突進だ。

前方へ詰めて間合いを無くし、蹴りを無力化するつもりだろう。


攻撃こそ最大の防御とは、よく言ったものだ。


紗雲の思考が、解の修正に3フレームを要し。

咄嗟に足の指を曲げ、靴内のストッパーを解除する。


♪シャキーン


現出したのは、鋼刃ブレードだった。


靴の背面からそびえる暗器。

その刃道は、蛍光灯の光を映し返す。


当然、彼女は殺意など持ち合わせていない。


――これは、一種の記号なのだ。

相手の注意を向けさせる為の、餌に過ぎない。


ショウの左手を掠めながら、紗雲は蹴り足を引いた。

いとも容易く皮膚が裂け、朱の線分が滲み出す。


常人ならば、凶器を前にして反応が鈍るのは必至。

しかし彼に限っては、即効性の無い吃驚箱で。



紗雲「…………っ!!」


切傷も痛覚も通り越して。

顔面を穿つ勢いで、放たれる右正拳突き《ストレート》。


豪快でありながら、存在感を消された一撃。

これは肉弾戦では最大の脅威と成り得るのだ。


当たる寸前での左揚げ受け。

脳筋の重心は、それに呼応して浮く形になる。


ガラ空きとなった腹部へと、右の掌底を叩き込む。


――隙も無駄も多い。やはり戦闘は素人か。


反動で以て体勢を立て直す紗雲。

流れに乗って、敵の右足を払いにかかる。


このまま崩れたところに、手錠をかければ実験終了ゲームセットだ。


――――しかし。


この漢、グラリどころかピクリとさえ動かない。

足首を折られた状態で、平然と立っていられる人間が存在するとは。


驚愕を圧し殺し、慚愧の一歩後退。

突き飛ばされなどしたら元も子もない。


引き際は素早く、挽回も手早く。


抉るように、第2関節を差し出す。

それを、当然の様に手の平で受け止めるショウ。


単発での力量の差は、もはや明白だった。


――だが、ここで屈する紗雲ではない。


繰り出すのは開甲拳の連撃。

相手の構えの弱点を、的確に突いていく。


相手が姿勢バランスを崩しさえすれば、彼女にも勝機はあるのだ。

可能性の告げるが侭に、彼女は多重攻撃をし続ける。


然れども、戦況は覆らなかった。


彼は何の型にも嵌らず、我武者羅に腕を振り回して。

その全てを、結果的に受け流したのだった。


その見事な切り返しに、紗雲は感嘆の溜め息を漏らす。


――このままでは、埒が明かない。


思考に神経を集中させるため、彼女は数歩後ろへ飛び退いた。

そして身体で得た情報データを基に、現状分析シミュレーションを再開する。


――ショウと呼ばれた敵の、最大の武器。


それは一手一撃に篭められた、桁違いの破壊力だろう。


そこまでは、まだ分かる。

だが……この反射は何だ?


機械を越えた対応力。常人ならざる機動力。

そして――何よりも、この出鱈目な適応力。


攻撃を防ぎ、反撃を紡ぎ、追撃を妨げる。

「命令」されていないのに、何故ここまで的確に処理できるのか。


ならっては慣れる武道で鍛えられてきた紗雲には、理解し難い現実だった。


湧き上がる疑問エラーを胸に、紗雲は正面へ意識を向け直す。



この6秒の間、彼は困惑顔で立ち止まって。

あらゆる動作を、停止していたのだった。


――そうなのだ。


ショウの方からは、何一つ技を仕掛けてこない。


つまり、私の排除は命令外。

交戦すべき敵であると、認識してすらいない。


おそらく道を塞ぐ岩とか――障害物程度の扱いで。

彼の動作からは、敵意が微塵も感じられないのだ。


その結果、カタギリの命令と私の存在が齟齬を生み。

どう処理すれば良いか分からず、板挟みになっているのだろう。


紗雲「なるほど……そういうことですか」


彼女が出した結論は、単純シンプルかつ残酷ホープレスなものだった。


二足歩行の重心移動のように。

睡眠中でも呼吸し続けるように。

肺に水が入ったらせ返すように。


彼にとっては、ごく当たり前の反応なのだ。


――無意識による、純粋な反射。

それ以上でも、それ以下でもない。



ショウ「…………あ、れ。血、出てる……?」


不思議そうな表情で、左手の切り傷を二度見するショウ。

今の今まで、気が付いていなかったのが驚きだ。


紗雲は1拍置いてから、透明な声を貫かせる。


紗雲「貴方、ショウさん――といいましたか?

図体が大きい割に、意外と大したことないんですね」


紗雲「もしかして――私が女だから、手加減しているとか?」


嫌味ひかえめの挑発で、いっそう相手の神経を逆撫でする。

その匙加減について、伊吹紗雲は天才的な技量を備えていた。


カタギリ「……ああ、そうだな。アンタの言う通りだぜ、黒服の姐さんよぉ」

カタギリ「おい、ショウ! いつまで手こずってんだ!

そんな女、さっさと片付けるなりして、逃げたアイツを追いかけろ!!」

ショウ「命令……上書きした」


――かかった。


この時、紗雲は己の勝利を確信した。


この漢が、明確な敵意を抱き。

向こう側から攻撃の意志を見せ。

私の技よりも、刃を注視している。



――必要な条件は、全て揃った。



前進を開始する仁王の吽形。

勢いに任せて突破する魂胆だ。


距離まあいを制する者が、この決闘を制す。


奥の足を一歩踏み出し、逆体に構え直して。

細い呼吸で、緊張を武器へと錬金する。


瞬発力、動体視力、思考速度。


――より速く。


伊吹紗雲を構成する全神経が。


――より鋭く。


冷血を爆轟させて、その瞬間ときを告げた。


――――今だ!



斬撃が奔る。


彼の右瞳に迫る刃先の蒼光。



♪ガッ

;CG


紗雲の放った右裏廻し蹴りは、すんでの所で停止した。


生存本能を刺激するのに、十分すぎる凶器を目の当たりにして。

後ろに下がることを知らないショウは、

右脚ごと両手で受け止めるしかなかったのだ。


すると、左手が前に出るのは必然。


さらに間合いによる歩数調整の結果。

突進をやめた彼は、右脚で踏み止まって。


紗雲「――ほら、綺麗に捻じれた」


外側に流れる重心の危うさを、ショウは自覚していなかった。

今や彼の体幹の行く末は、紗雲の御御足おみあしに委ねられている。


ここで、紗雲の経験が仮象ベールを脱いだ。


魔性の蠱惑が歌う、予定調和の茶番劇。

その終幕を飾るは、極真空手の真骨頂。


――蹴り足を、畳むという選択。


釣り合っていた力が、突如として逆流を始めて。

ショウの巨躯は、呆気なく前方へ倒れたのだった。


慌てて脚から放し、地面についた彼の右手を。

紗雲の左手に握られた、勝利の手錠が狙い撃つ。


今度こそ、これで王手詰みチェックメイトだ――――!




♪ブゥオワッ


紗雲「…………っつ!」


熱源の絶対値を背中で感知する。

見ると、紅焔が黒煙を立ち昇らせて。


カタギリ「後ろがお留守だぜ、おねーさん。

今だ――ショウ、逃げた方を追いかけな!」


紗雲「しまっ……た!」


思考に嵌りすぎて、カタギリが意識の外だった。

すぐさま床に転がり、空気を遮断して上着を消火する。


しかし、その空白タイムロスは取り返しがつかずに。

ショウの足音は、通路の奥へと虚しく消えていった。


一般人を相手に、取り逃がすという大失態。

紗雲の下唇が、わずかに屈辱で歪んで。


カタギリ「どうだい? すこしは身体が暖まったか?」

紗雲「スーツの弁償、必ず請求しますから――覚悟しておいて下さい」

カタギリ「生憎あいにくその日暮らしなものでね。金には興味ねぇんだわ」


服装の乱れを整える紗雲。

冷めきった表情で、正面の貧乏放火犯を見据えて立ち上がった。


カタギリ「そうそう、気になってたんだけどさぁ。

腰に隠し持ってる拳銃それは、ただの御飾りなのかよ?」


紗雲「器物損壊及び現住建造物等放火罪、加えて傷害罪。

事情聴取の必要も無さそうなので、可及的速やかに現行犯逮捕――」

紗雲「……と言いたいところですが、この国は治安が良すぎる」

紗雲「よほどの事態にならない限り、銃撃沙汰クロスファイアは慎むよう、

上司から直接指導を受けまして」


ここで、気怠そうな溜め息を1つ。


紗雲「特に貴方のような実験台サンプルは、なるべく無傷で捕らえろとの御達しなんです」

カタギリ「……ただの放火犯は撃つまでもなしってか?

それで仕込み刃ってのも変な話だけどな」

カタギリ「にしても発砲を避けるって、本気で国を護る気あるのかよ?

一度殺されてみないと動き出さねぇとか、救いようのねぇ馬鹿共だな」

カタギリ「平和ボケも、ここまでくると甘ったるくて吐きそうだぜ」

紗雲「初めて、貴方と意見が一致しましたね。

本当に不思議な国です――ここ日本にっぽんは」

カタギリ「そんなアホみたいな平和ごっこに拘るから、あんな事件も防げねぇんだよ」

紗雲「あんな事件というのは、畠山議員の?」

カタギリ「そんな名前だったかな。にしてもオマヌケな野郎がいたもんだぜ」

カタギリ「演説中に焼死だぁ? それこそ笑止モンだろうが」

紗雲「……人の命は、侮辱して良いものではありません」

カタギリ「あ――言っとくが、犯人はウチじゃないからな?

炎繋がりってだけで濡れ衣着せられたら、たまったもんじゃねぇよ」

カタギリ「へなちょこ酢豚野郎を殺すとか誰得だって話だぜ。

弱い者虐めは趣味の範囲外だっつーの!」

紗雲「それは分かっています。――犯人は貴方ではない」

紗雲「1人目の発火能力者パイロキネシスは、すでに確保ほかく済みなのですから」

カタギリ「そいつは初耳だな。ニュースでは捕まってないって言ってたろ?」

紗雲「……おっと、お喋りが過ぎましたね。

警察も一枚岩ではない――そう考えてもらえれば」

カタギリ「あーやだやだ、これだから組織ってヤツは。

性根腐った連中が、群れるだけでデカい面しやがって」

カタギリ「アンタみたいなハグレ者が、なに我が物顔で居座ってんだよ――ぁあ?」


彼が放っているのは、殺気とは似て非なるものだった。

それは、ひたすらに研ぎ澄まされた――敵意。


紗雲「……それは、どういう意味でしょうか?」

カタギリ「はぐらかそうったって、この眼は誤魔化せないぜ。

アンタも、ウチと同じ能力ちからを宿してる――そうだろ?」

紗雲「…………」

群青色の沈黙を前に、二人の視線が交錯する。


カタギリ「――――使わないのか?

上司ってヤツに禁止されてるワケじゃねぇんだろ?」

紗雲「……その手の挑発は受け付けていません。

同じ土俵に堕とそうなど、考えるだけ無駄かと思いますが」

カタギリ「けっ! 同じ土俵だと!?

ウチとアンタでは、まるで格が違うみてぇな言い草だな」

紗雲「――その自覚はあったんですね。驚きです」

カタギリ「あんだとゴラァ!? もう一遍言ってみろ!!」

紗雲「格というより、根本的に立場が違うんですよ。

――法の逸脱ハグレ者とは、ね」

紗雲「己の欲望のまま能力を行使する犯罪者に、

私の在り方に関して口を挟まれる謂われなど無いはずですが?」


カタギリ「うるせぇ黙れ、この被害者風情が!

礼儀正しいだけで中身スッカスカの、お役所対応しやがって……!」

カタギリ「そういう人種が、最高にムカつくんだよなぁッ!!」


――怒号が爆ぜる。

その容貌すがたは、虎をも凌ぐ龍の形相かおで。

その御霊こころに宿りし業火は、舞台せかいを灼熱地獄へといざなった。


カタギリ「人質にされたくなけりゃ、はしたなく死に物狂いで抵抗してみろ!

アンタの薄汚い本性なかみ、引きずり出してやるからよぉッ!!」

紗雲「……分かりました。貴方が、それを望むのであれば」

紗雲「たとえ招かれざる客であっても、挨拶を返さないのは失礼に値するでしょうから」


彼女の優雅な一礼に、敬意など不要の産物。


紗雲「英国スコットランド仕込みの礼儀作法マナー&エチケット、心行く迄ご堪能下さいまし」


理性を魔女の血脈に支配された、絶対零度の蒼眼Blue-eyed Absolute ZERO


かくして温度差コントラスト絶頂リミットに達し。

武闘会マスカレードの火蓋は、堰と共に切られたのだった。


紗雲「――では、歓迎パーティー第2幕と洒落込みましょうか」

“Well...Shall We Dance?”


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