1-5a
;背景 地下
100秒に渡る1階大疾走の後、わたし達は地下1階へ降り立った。
薄暗い通路を照らす避難灯が非常事態を演出している。
伊吹さんは歩を緩めながら、
紗雲「こちら伊吹。
シェルター前、応答願います!」
紗雲「おかしい……警備の方との通信ができない」
わたし「消火活動で忙しいんじゃないのかな?」
紗雲「そういう問題ではないんですけど……」
紗雲「仕方ありません、私達だけで先へ進みましょう」
紗雲「さあ、手に掴まって下さい。急ぎますよ」
わたし達は再び速歩きにギアチェンジして、「安全区域」へと進み始めた。
いとも
この辺の距離感は、やはり銀髪碧眼の為せる技なんだろうな。
さすが
紗雲「――――
わたし「…………!?」
世界が、右へと傾いて。
凍えそうなを平面を、肌で感じて目が冴える。
この頬に伝わる感触は――病院のコンクリ床だ。
少し遅れて、全身を駆け巡る打撲痛。
わたし、もしかして……突き飛ばされた?
首を捻って横を見やると、伊吹さんは受け身をとった直後で。
その袖は、直線上の焦げ跡が刻まれていた。
――光速の炎が、走り抜けた軌跡。
もし彼女が押し倒してくれなかったら、
今頃わたしの顔は
最悪の
その
紗雲「待ち伏せですか…………。
参りましたね、シェルター前に先回りされるとは」
煤を払い落としながら、膝を立てる伊吹さん。
その瞳は、氷点下の輝きを放っている。
????「良い反応するじゃん、アンタ」
曲がり角から、姿を現す影が1つ。
細身で色白の男性だ。
年齢は20代後半くらいだろうか。
焦げ臭いような、厭な
その男は、嗤っていた。
紗雲「貴方でしたか――本件の火種は」
????「出迎え御苦労だったな、黒服の姐さん」
紗雲「そのような予定ではなかったのですが……。
まあ、出直す手間が省けたので良しとしましょう」
????「そうかい。ウチは遭いたくて、たまんなかったんだがなぁ」
紗雲「妙に馴れなれしい物言いですけど、以前どこかで会いました?」
????「アンタは知らないだろうが、こっち側ではちょっとした有名人なのさ」
紗雲「……安心しました。こんな下品な男が、知り合いではなくて」
言葉を失ったのか、男は下唇を噛んで睨みを効かせる。
――何だろう、この違和感は。
兎の佇まいでありながら、語る言葉は虎の其れだ。
悪い人には見えないけど……本当に、彼が放火犯なの……?
紗雲「それで、いったい何の用件ですか?
これだけ派手な御挨拶をしておいて、
興味本意の寄り道という訳ではないのでしょう?」
????「ウチは、取り戻しに来ただけさ。
この命の次に大切なモノを――な」
彼は仁王立ちをすると、わたしの網膜をギロリと射貫いた。
その双眸が奏でるのは、
この人……まさか…………。
????「随分と捜したぜ。まさか病院に潜んでいるとはな」
????「どうした? 胸の
――やっぱり、知っているんだ。
わたしの身体を、心臓部の傷痕を。
わたしの知らない、わたしのことを。
――――わたしよりも。
そんなの……耐えられない。
生理的嫌悪、あるいは空漠的恐怖。
無意識は防衛機制を召喚し、必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
だけど、何処かに引っ掛かって。
絡まって、千切れて。
…………痛い。
記憶の扉が、抉じ開けられるのを拒むように。
わたしの意志を、意識を弾き返す。
眩暈。吐き気。朦朧とする思考。
ダメだ――これ以上は心身が危ない。
染庭先生の忠告通り、脳への
でも、こんな影の薄そうな痩男に、身に覚えのない
あーもう、ほんと腹立つ。無性に苛立つ。
過去のわたし……いったい何をやらかしたんだ?
紗雲「なるほど、彼女の身柄を引き渡せ――ということですか」
????「……話が早くて助かる」
紗雲「要求の内容は、それだけですか?」
????「物足りない……って顔だな。何か追加注文が御所望か?」
紗雲「いいえ、人質も捕らずに交渉する
????「――くっははは!」
????「人質なら居るじゃねぇか。――目の前によぉ」
男は伊吹さんの肢体を、舐め回すように見つめて。
????「こういうのは、現地調達が基本だって習わなかったか?」
――プツリ、と。
堪忍袋の尾がキレる音が、聞こえた……気がした。
紗雲「要求には応じない、と言ったら?」
????「
紗雲「……最初から、そのつもりのクセに」
臨戦態勢に入ったからか、伊吹さんの台詞が切れ味を増していく。
紗雲「この
本来なら、彼らと話をつけるべき案件なのですが……」
紗雲「しかし、交渉の余地がない場合。
私の独断で、処置を取らせて戴きます!」
一歩、前へと。
両手を広げて、立ちはだかる。
紗雲「――犯罪者には、然るべき罰を。
それが、私の使命なので」
わたし「伊吹さん…………!」
どうして――ここまで、命を懸けられるんだろう。
心の奥の方が、むず痒くなってくる。
一方的に、助けられてばかりで。
そんな自分が、我慢ならないんだ。
わたしも誰かのために、この命を遣えれば――――。
????「あーあ、やっぱ交渉とか手続きとか面倒くせぇ!」
♪ボォンフ
破裂音と共に、勢いよく腕が振り翳される。
わたし「ゆ、ゆゆ、ゆゆ指が、も、ももも燃えてる……っ!?」
深紅の炎を、両手の指に従えて。
残像を燻らせながら、空中に描かれる焦熱の
血
そうか……これが
移動可能な、生きた発火源の正体か。
????「とにかくだ、ソイツは返してもらうぜ」
――パチン、と指が火花を鳴らす。
それを合図にして、我々の背後から重苦しい足音が1人。
振り返ると、そこには漢が居た。
筋肉に特化した体格、その圧迫感は金剛力士像並みだ。
影の薄さも一級品という、自己矛盾を見事に体現している。
???「……カタギリ、命令して」
無機質で、無感動で、無添加な言の葉が響く。
そう呟く心臓は、すでに灰で塗り固められていた。
カタギリ「よし――ショウ、命令だ。アイツを生け捕りにしろ」
カタギリ「間違っても、怪我させるんじゃないぜ?」
ショウ「手加減できる、自信、ない……」
カタギリ「なんとか、後遺症が残らない程度に留めてくれよ」
カタギリ「――でないと、この雪辱を果たせねぇからな」
ショウ「命令……了解した」
ショウと呼ばれた男は、亀の如く距離を詰めてくる。
絵に描いたような真面目づらを引っ提げて、一寸の迷いもなく詔勅を遂行する
路上にいたら回り道するレベルで、相手にしたくない人種だ。
挟み撃ち……これで2対2になってしまった。
いや――
わたしの武者震いに気がついたのか、伊吹さんに囁かれる。
紗雲「大丈夫、相手のペースに呑まれないで」
わたし「でも、このままじゃ……。
わたしが、この人達の言う通りにすれば…………」
紗雲「そんな選択、私が許さない――赦せない」
その吐息に抱かれた
――ヤバい、魂抜かれて昇天しそう。
紗雲「貴女、走れます?」
わたし「……逃げ足には自信あるよ?
根拠も、記憶も、何もないけどさ」
紗雲「走り方を忘れていないのなら、問題ないですね」
いや、その返答は大いに問題アリだ。
紗雲「60秒は稼ぐので、その間に全速力で逃げて下さい」
わたし「伊吹さんは……どうするの?」
紗雲「言ったでしょう――貴女の命を優先する、と」
愚問を挟む余地など与えずに。
不敵で無邪気な笑みは、崩さない。
紗雲「いきますよ…………5秒前」
わたし「え、あ、ちょ――」
紗雲「3」
紗雲「2」
紗雲「1――」
紗雲「ゼロ!!」
有無を言わさぬ声符が轟く。
脊髄反射で飛び込む最初の
わたしは、ただ前へ、前へと駆け出した。
――背後を振り返る余裕と、勇気を置き去りにしたまま。
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