1-3b

;病室



紗雲「今日は1日、お疲れ様でした」

わたし「ほんと疲れた……検査受けてただけなのに……」

わたし「とくに……MRIだっけ? ものすごい音を立てて迫ってくるから、

わたし、半泣き状態で震えてたよ……」

紗雲「Magnetic Resonance ――文字通り、磁気共鳴による振動ですね。

そういう機械ですから、我慢するほかないんですが……」

わたし「狭い、暗い、怖いの三拍子が勢揃いとか、病人にはキビしいよ……。

あんなの二度とお断りだね!」


わたしはベッドに腰かけると、そのまま上半身を後ろへと投げ出した。

右に首を傾けると、綺麗に折り畳まれた毛布が目に入る。


わたし「うー、もうふもふもふ! モフモフ最高っ!!

精神こころも、一気に昇華されていく感覚――クセになるぅ!」

紗雲「精神が退行していないか心配ですね……」

わたし「…………グサッ」

紗雲「明日も残りの検査が控えていますから、

今日は晩御飯を食べたら、夜更かしせずに寝て下さいね」


手のかかる子供を、諭すような口ぶりで。


――母親って、こんな感じなのかな。


そんな青色ブルーな想いが、胸の中で波紋を描く。

本来あるべき家族との思い出が、わたしの中には欠けているから。


考えれば考えるほど、謎を深める過去は泥沼に似ていて。

不安と悲観の悪循環に、飲み込まれてしまいそうだけれど。


でも――わたしには、今がある。


記憶の有無に関わらず、わたしは今を生きている。

それに、伊吹さんがそばにいてくれるから。


……寂しくなんか、なるワケない。


くすべくして忘れた過去なら、呼び起さずに眠らせておこう。


今は――それで、いいんだ。


紗雲「あ……あと、パジャマ類や歯磨きセット、タオルにスリッパその他諸々は、

こちらで準備してありますから御心配なく」

紗雲「晩御飯は毎日18時なので、その時間帯には部屋に居るようにして下さい。

それと、お風呂も沸かしてありますから入れますよ」


何この至れり尽くせりな神対応。

いつの間にわたしは、お姫様に変身したんだろ。


紗雲「他にも御要望がありましたら、遠慮なくお申し付け下さいね」

わたし「うーん、そうだなぁ。

あとは伊吹さんが夜の御奉仕をしてくれたら、もう何も思い残すことはないよ」

紗雲「……一応確認しておきますが、

その『よるのごほーし』とやらの内容は…………?」

わたし「わたしと一緒に寝てくれないかな――っていう、お誘いなんだけど。どう……かな?」


冗談半分で、甘い声を出してみる。

まあ残り半分は、本気と寂しさの裏返しだったりするんだけど。


いや別にその、特に深い意味じゃなくてですね。

抱き枕的な意味で、伊吹さんと添い寝したいとか、思っちゃったりしたワケですよ。


…………で問題の、彼女の反応はというと。


紗雲「あの……それは仕事の範疇ではないので……」


か細い声を口曇くぐもらせながら。

真剣に、困ったような表情を滲ませている。


せめて冷徹に一刀両断してくれたら、それで終わりだったのに。

こんな顔をされたら、引くに退けなくなるじゃない。


わたし「――なら、プライベートだったらOKしてくれるの?」

紗雲「そ、それは……その…………」

わたし「その…………なぁに?」

紗雲「………………」


その沈黙は肯定でも、ましてや否定でもなくて。

思考回路停止ショートのお知らせだった。


わたし「……ってか、なんで固まってるんですか伊吹さん!」

紗雲「う…………」

わたし「な、なーんちゃって! 冗談に決まってるでしょ、もぅ~!」


大袈裟に手をヒラつかせて、愛想笑いを浮かべてみせる。

しかし、事態は既に手遅れだった。


紗雲「冗談――でしたか。そうですか」


蔑んだ蒼眼で射貫かれて、わたしの背筋が急速冷凍する。


紗雲「そうですよね、貴女は冗談ジョーク100%の人間ですものね。

一瞬でも相手をした私が愚かでした。猛省いたします」

わたし「ははは……やっぱりアメリカンジョークは通じないか…………」

紗雲「英国イギリスは紳士淑女の島国と呼ばれる程ですから。

欧米を一括りにするのは、今後気を付けた方が宜しいかと」


刺々しい言葉のヤマアラシ。

ハリセンボンどころかマンボウ飲まされそう。


……この人を怒らせたら、色々と大変なことになる。

わたしは潔く、病室の床に平伏ひれふした。


わたし「ははぁ――この通りでございます」

紗雲「……何ですか、その姿勢ポースは」

わたし「もしかして知らないの?

最上級の謝罪形態、ジャパニーズ土下座だよ」

紗雲「まったく反省の色が見られないのですが……。

顔を上げていいですよ。私――そこまで気にしていませんから」

わたし「そ、そう? ほんとに怒ってない?」

紗雲「怒ってはいませんよ。ただ……呆れているだけです」


さすが伊吹さん、とてもジト目がお似合いでいらっしゃる。


紗雲「それでは、また明日の朝に来ますので。――良い夢を」

わたし「うん、おやすみ!」




;夢の中



ここは――――どこだろう。


水面から海底へと、陽光が差し込むように。

鼓動に揺蕩たゆたう、青のグラデーション。


知覚するのは初めてかもしれない。

でも――知らないのに、分かってしまう。


ここは、意識と無意識の狭間。

夢のセカイの最下層だ。



そうと分かれば、水中で呼吸いきが出来るのも頷ける。


……それにしたって、なんとも不思議な感覚だ。


浮いているのか、それとも沈んでいるのか。

踏み場の無い流れの中で、わたしは確かに立っている。



辺りを見回すと、前後上下左右360°展望パノラマで。


ゆらり――――と。

視界に揺れる、人影がひとつ。


あれは…………少女だ。

薄い色のワンピースを纏った、女の子が佇んでいる。



――こっちを、見てる?



音もなく語りかける、物憂げな瞳。


突如、少女の唇が微かに動いて。


少女「******、******?

******……******」


水中を通って、全身を伝って。

耳小骨を震わせる振動は、頭の中で弾け飛ぶ。



少女「――*****。***いで」



……しかし、響いてきたのは台詞ではなく。

せせらぎにも似た、蒼い雑音ブルーノイズだった。


チューニングの外れたラジオみたいに。

窓ガラスに打ち付ける暴風雨のように。


無慈悲にも声を掻き消す、束縛くさり濾過層フィルター



少女「独り******、********になるの」



――視得ない壁が、2人の世界を引き裂いている。


それは、まるで鏡のように。

時の流れまでも堰き止めて。


罪を捕えて放さない。

罰を与えて逃さない。


彼岸あちら此岸こちらを別つ、鍵の掛かった壁扉が。

わたしと少女の心を、想いを閉じ込めているらしい。


わたし「…………あなたは、誰なの?」



わたしは、少女のいる方へと足を踏み出した。

他に採るべき選択肢を、思い付かなかったから。


ほとんど衝動に身を任せて、無心で脚を掻き回す。



少女「プ***イ**ゼロ――それが、あなたの*******」


走れば走るほど、姿が遠ざかっていくような錯覚。

それでも声は確実に、少しずつ鮮明に聞こえている。


澄みわたる雪解け水のような、儚い煌めきを帯びた囁きが。

わたしの脳髄を、内側から揺るがして。



少女「……忘れないで。

**が消えて*、**は消えたりしな***」


だけど――――まだ雑音ノイズが煩い。


肝心な箇所が、圧されてひしゃげて潰されて。

押し花の栞みたいに、言の葉を閉じ込めていた。



そんなわたしを、優しく諭すように。


……少女は、ふんわり笑顔を潤ませる。



少女「わたしは――――ここに、いるよ」


その台詞を、皮切りにして。


溟海の水は逆流し。

蒼穹へと墜ちていく。


そして、夢は崩壊を始め。

――うつつが、刻が、動き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る