1-3a

;廊下


わたし「うにゅう、余は満腹じゃ。

やっぱり、働かずに食べるご飯は最高(スペシャル)だね!」

紗雲「……お仕事真っ最中の人の前で言うセリフではありませんよね、それ」

わたし「そういう伊吹さんだって、お弁当食べてたじゃないですか~?」

紗雲「それは……食事も仕事の一環ですから」

紗雲「――ですが、食欲があるのは良いことです。

この調子なら、点滴せずに済むと思いますよ」

わたし「ふー、それは助かるね。注射針は文明(じんるい)の利器(てき)だよ、冗談抜きで」

紗雲「貴女から冗談を抜いたら、何が残るんでしょうね。すこし興味があります」

わたし「失礼なっ! わたしは至って大真面目ですぅ!」


午前の検査を終え、昼食を済ませて。

わたし達は午後の検査のため、病棟を跨いで大移動していた。


ここ染庭総合病院は、都内でも有数の大型病院施設らしい。


消火器内科や外科は勿論、眼科や耳鼻咽喉科、

神経内科や放射線科まで揃っているんだとか。


各分野から選りすぐりの敏腕医師が集結し、力を合わせ複合的な症状にも対処する。


そんな人材を育てたのが、あの染庭院長さん。

伊吹さんの話によると、元・国立大学の医学部教授だったそうな。


あんな眼鏡のお爺さん先生が、脳医学の権威として有名人だって言うんだから、

驚き桃の木山椒魚(サンショウウオ)だ。




;待合場


通りかかった待合場から、テレビの音声が耳へ飛び込んでくる。

どうやら、午後のニュース番組が流れているらしい。


テレビ「――次のニュースです」

テレビ「5月17日に、外沢駅前で演説中だった畠山雅史議員が何者かに殺害された事件。

犯人は未だ捕まっておらず、警視庁が全力を挙げて捜査を続けています」


テレビ「この事件は5月17日の午後4時半ごろ、都内の外沢駅前広場で街頭演説をしていた畠山雅史衆議院議員(54)が、

通りかかった何者かに炎によって殺害されたものです」

テレビ「現場から約300m離れた場所で、犯人の物と思われる黒い上着が脱ぎ捨てられているのが発見されており、

その後の行方は未だ不明のため、市民の間で不安が広がっています」

テレビ「警視庁によりますと、犯人は身長160㎝くらいの中肉中背で、年齢・性別ともに不明」

テレビ「炎を用いた悪質な計画性から、畠山議員に対して政治的な恨みのある者の犯行である可能性が高いということです」



わたし「…………」

紗雲「――どうしました?」

わたし「たしか外沢駅って、ここから近いよね?」

紗雲「そうですが……何か、思い出したのですか?」

わたし「いや、自分が訪れた記憶とかは無いんだけど。

知識としては、ちゃんと残ってるんだなぁって――なんだかヘンな感じ」

わたし「でも、こんな事件が起きていたなんて、わたし知らなかったよ。

17日ってことは、丁度わたしが意識不明になった日か……」


もしかして、その事件現場を目撃したショックで記憶を失った――?

……さすがに、それは話として出来過ぎてるか。


紗雲「他に思い当たる点は、ありませんでしたか?

……例えば、畠山雅史議員という名前について」

わたし「いや、聞き覚えないなぁ……。

さすがに政治家については、知ってて都知事レベルかな」

紗雲「そうですか……。それなら一般人と同程度ですから、

記憶障害の心配はありませんよ」

わたし「でもわたし、歴代総理大臣の名前なら全員言えるし。

一般人と同じにされたら怒っちゃうぞ!」

紗雲「その絶妙に役に立ちそうのない知識は、どこで身に付けたのか気になりますが……」


訝しげな表情を見せる伊吹さんに、わたしは黙っていられなかった。


①「これでも、わたし――記憶力には自信あるんだから!」

②「……や、役に立ちそうにないとは失礼な!」



わたし「これでも、わたし――記憶力には自信あるんだから!」

紗雲「なら……お訊きしますが。

貴女の病室は第何病棟の何号室か、もちろん覚えていますね?」


わたし「えっと、それは、たしか…………」



a第4病棟の105号室

b第5病棟の401号室

c……忘れた



a

わたし「第4病棟の105号室……だったっけ?」

紗雲「――微妙に似ていますが、違います。

正しくは第5病棟の401号室です」

わたし「うぅ……惜しかった…………」

紗雲「しっかり覚えておいて下さいよ?

貴女の自慢の記憶力で――ね」


うぅ……何も言い返せないや。

ヘンなこと、言うんじゃなかったな…………。



b

わたし「第5病棟の401号室……だったよね?」

紗雲「――正解です。よく覚えていましたね」

わたし「だから言ったでしょ。わたし、記憶力に自信があるって」

紗雲「…………そうですね、分かりました。

その言葉、色々とツッコミ所がありますが――認めましょう」

わたし「ふふっ。伊吹さんに褒められちゃった!」

紗雲「……いえ、褒めてませんから」


素っ気ない伊吹さんの態度に、わたしは心地良さすら感じ始めていた。



c

わたし「……ゴメンなさい。覚えてません…………」

紗雲「――そうだろうと思いました。

第5病棟の401号室ですから、覚えておいて下さいよ?」


赤べこみたいに、コクコクと首を縦に振ってみせる。


紗雲「ですが、覚えていないと正直に言ったのは意外でした。

てっきり言葉を濁して逃げるものとばかり……」

わたし「ふっふーん。わたし、正直村の人間だもの。

冗談は言っても、ゼッタイ嘘は吐かないよ!」

紗雲「絶対に嘘を吐かない、ですか…………」

紗雲「確かに貴女は、すぐに何でも顔に出てしまいそうですね」

わたし「な、なな、なんですと~!?」

紗雲「ほら――その自然な表情の変わり様。

もし演技なのであれば、きっと優秀な諜報員(スパイ)になれますよ」


今の台詞は……わたし、褒められた…………のかな?




わたし「……や、役に立ちそうにないとは失礼な!

教養は軽んずべからずだよ! 人生に七色の虹を架けてくれるもんっ!」

紗雲「なら――今の貴女に、私から1つ教養を授けましょう」

わたし「なになに? カモン プリーズ ミー 豆知識!」

紗雲「虹が出る前には、雨が降るという事実です。

貴女の人生は、きっと降ったり止んだりなんでしょうね」

わたし「踏んだり蹴ったりみたいに言わないでよ……」


うぅぅ、伊吹さんが冷たい。

もっと洒落たことを言うべきだったかも……。



①abc②合流



;廊下


??「おい、伊吹。任務は順調か?」



声の主を見遣ると、そこには厳ついオジサンが1名。


白髪交じりの角刈りに、深く刻まれた眉間の皺。

くたびれた灰色のスーツが、不思議と似合って見える。


冬の太平洋に船を出す漁師さんみたいなタイプだ。


……例によって、なんの根拠もないけれど。


紗雲「あ――係長! お疲れ様です」

滝代「……ったく、冗談抜きで疲れたよ。

あの院長、俺に子守りを押し付けてくれやがって……」


蚊帳の外で棒立ちしていると、伊吹さんが丁寧に解説を挟んでくれる。


紗雲「紹介します。この方は、私の直属の上司にあたる滝代巧ノ介係長です」

わたし「ど、どうも初めまして……。

伊吹さんには、あれやこれやと、お世話になっています」

わたし「ほ、本日は晴天なり――じゃなくて、えっと、その、

係長って主任と課長の間の係長ですよね、お勤め御苦労さまであります!」

わたし「ふ、ふ、不束者ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げまする――!!」


義理の父親に挨拶をしているような、謎の緊張感に丸呑みされて。

途中から、自分でも何を言ってるのか分からなくなって。


なんかもう色々と支離滅裂で、穴があったら生き埋めにされたい気分。


それと……いったい「何係」の係長なんだろう。

ちょっと気になるけど、面と向かって質問できる程わたしは勇敢じゃなかった。



滝代「記憶喪失と聞いているが――本当か?」

わたし「ひゃ、ひゃいっ! 無いです、わたし記憶ないです」


わたしは背筋を反らして、首を左右にフルフルさせる。


紗雲「たった今、染庭先生から診断結果を預かってきました。

係長も……確認しておきますか?」

滝代「いや、その必要はない。文字のデータなんかより、

本人と直接話した方が得られる情報も多いからな」


……やだ、やだやだ。わたし、話したくないです。


そんな心の内を無視するように、彼は悠々と語り出す。


滝代「――では、ここで1つ問題だ」


滝代「キミは今の状況を、どのように捉え理解している?

怒ったりはしないから、率直な意見を聞かせてくれないか」


鷹(たか)や鷲(わし)みたいな、猛禽類に似た眼光に貫かれて。

思考も感情も何もかも、見透かされているような錯覚に襲われる。


「どう今の状況を捉えているか」だなんて、とっても曖昧な質問だけど。

でも――わたしが答えなきゃ、この会話が終わりを迎えることはなさそうだ。


とりあえず、思い付いた言葉を並べて切り抜けよう。


わたし「えーと、まだ少し混乱してて……あ、でも気分は最高です!

伊吹さんが一緒だから、何も心配していないって言うか……」

わたし「こんな病院で伸び伸びと療養できるのなら、それもそれでアリかなって。

ご飯も美味しいし、先生も優しいし、お布団はモフモフだし――天国ですよ天国っ!」

わたし「やっぱり記憶がないのは落ち着かないですけど、

それでもラッキーでハッピーなのかなって、今は思ってます!」


わたし「これで…………いいですか?」


滝代「――――46点」

わたし「は…………はひ?」

滝代「今の解答に対する採点結果だ」


滝代係長が目を細めると同時に、眉間のシワが深くなる。


滝代「キミが入院生活を送れるのも、すべて我々の計らいがあってこそだ。

この用意された環境を、当たり前だと思ってもらっては困る」

滝代「己の立場を弁えて、患者らしい謙虚さを心がけることだ。

くれぐれも、俺や伊吹に余計な面倒をかけないようにな」

滝代「……分かったのなら、返事をしたらどうだ?」

わたし「は、はひっ! 心得ましたっ!」


怒らないって言ってたのに、普通に叱られたんですが。


――それに、なんなの46点って?

普通に怒鳴られるよりタチが悪いと思うんだけど!


それに迷惑をかけないって話も、すでに伊吹さんとしているし。

なんでまた、オッサンに説教されなきゃいけないんだ。


……あぁもぅ、なんか超絶ムカついちゃう!



滝代「――伊吹、お前もだ。

自分で引き受けた任務、やるからには責任を持って成し遂げろ」

滝代「これ以上の失態が重なれば、お前の父上に顔向けできなくなる。

これは我々、RECTUSとしての評価にも繋がっていく話だ」


紗雲「……もちろん、理解しています」

滝代「口だけなら何とでも言える。

行動で示してみせろ――いいな?」

紗雲「…………はい」

滝代「姉上にも、無用な気苦労をかけないようにな。

――しっかりやれよ、お二人さんとも」



そう言い残すと、滝代警部はハタハタと立ち去っていく。

それは故意に、足音を殺すような歩き方だった。


完全に背中が見えなくなってから、わたしは伊吹さんに耳打ちした。


わたし「物凄~い威圧を感じたんだけど……。

あの人、いつもあんな調子なの?」

紗雲「そうですね――週に2日は、今のような感じです。

昨日よりは機嫌が戻っていて、すこし安心しましたが……」

わたし「それは…………大変だね」


歩く説教マシーンとお仕事なんて、かなり胃が痛くなりそう……。



;廊下


わたし「――でもさ、一方的に言われっぱなしって、なんか腹立たない?

わたしは何か言われたら、黙ってなんかいられないんだけど!」

紗雲「……そうは言っても、上司命令は絶対遵守ですから。

反論ばかりしているようでは、仕事になりませんので」

紗雲「それに新米の身である私が、これ以上迷惑をかける訳にもいきませんし……」

わたし「でも――わたしは納得いかないな、そういうの。

言いたいことがあるなら、ちゃんと言わなきゃダメだと思う」

わたし「気持ちを言葉にしないと、伝わらない人もいるんだからさ」

紗雲「それは貴女の言う通りですが……それは少し論点が違いませんか?」

紗雲「係長は悪気があって厳しく接している訳ではありませんから。

私の気を引き締めるために、敢えて口煩く忠告してくれているのです」

紗雲「それに――仕事上でなくても、年長者の意見には耳を傾けるべきですよ」

わたし「グスン……伊吹さんまで、わたしに説教してくるよぅ…………」


口を尖らせながら、視線を前に戻した――その瞬間(とき)。



――人はいさ 心も知らず ふるさとは

花ぞ昔の 香ににほひける――



目が合ったのは、単なる偶然だった。


制服姿からして、高校生だろうか。

優しげな黒髪から、チラリと耳を覗かせて。


しかし……何より気になったのは、表情だった。

彼女の顔に浮かび上がる驚愕、困惑、そして――。


感情を読み解き終わるより先に、くるりと彼女は背を向けて。

今まで歩いてきた方へと、足を引き摺るようにして走り去っていく。


その後ろ姿を見て、わたしは漸く認識したのだった。


彼女の左股に、包帯が巻かれているということを。



紗雲「……どうか、しましたか?」


訝しげに、こちらを振り返る伊吹さん。

思わず、足が止まっていたらしい。


わたし「ううん…………なんでもない」


そう――なんでもないはずの光景に。

わたしは、何を動揺しているんだ?


伊吹さんに促されるまま、わたしは検査室へと歩き出した。



――その時わたしは、まったく気が付いていなかった。


待合場の人ごみに紛れて、こちらを凝視している漢の存在に。



???「見つけた……間違い、ない」

???「染庭総合病院に……アイツが、いる…………!」


???「……逃がさない。

グギギ……必ず、捕まえる!!」


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