第十六話 小さな白い貝殻

 朧達は、しばらくの間、体を休めることとなった。

 朧の体力は完全に回復していたが、陸丸達に、養生しろと言われてしまったので、朧は、甘んじて、体を休めることにしたのであった。


「にしても、面の男が、妖を操ったのじゃろうか?」


「おそらく、な」


「だが、多くの妖を一度に操れる者となると……天鬼ほどの力がなければ、不可能でござるよ」


 朧達は、面の男について語り始める。

 やはり、彼のことが気になっていたのであろう。

 空蘭の問いに、千里は、答える。

 面の男が、妖を操っているとみて間違いないようだ。

 と言っても、妖を操る事は容易ではない。

 天鬼でさえ、赤い月の影響を利用したほどなのだから。

 今回も、同じ手を使ったのであろうが、天鬼と同等の力を持つ者がいるとも思えない。

 もし、いたとするなら、間違いなく、聖印京は、とうの昔に滅んでいたであろう。


「……千里、面の男は、人間なんだよな?」


「ああ、そうだな」


 面の男について、気になる事はまだある。

 彼は、妖ではないという事だ。

 朧は、千里に面の男について尋ねるが、やはり、彼は人間のようだ。

 だとしたら、ますます、理解不能だ。

 天鬼と同等の力を持つ人間がいるとしたら、どんな人間なのか、想像ができない。

 妖の力を手に入れたのか、または、自分達と同じ、聖印一族なのか。

 謎は、深まるばかりであった。


「人間が、妖をどうやってでごぜぇやすか?」


「それは、俺にも分らない。何か、力を手に入れたのかもしれない」


「力……か」


 朧は、呟く。

 もし、面の男が、妖を操る力を手に入れたとすれば、聖印一族にとって脅威であろう。

 面の男が、存在する限り、聖印京に平穏は訪れない。

 対策を練らねばならないと朧は、警戒していた。



 しばらくすると、陸丸達は、三匹ならんで、眠りについている。

 朧が、目覚め、安堵したのであろう。

 彼らは、気持ちよさそうな表情を浮かべていた。

 時折、寝言を言いながら。

 そんな彼らに布団をかぶせた朧は、一人、庭へと足を運ぶ。

 面の男の事を考えながら。


――あの男は、一体何者なんだ?兄さんの事も知ってたみたいだし……。


 朧は、あの面の男との戦いを思い返す。

 面の男は、確かに、柚月の事を知っていた。

 おそらく、面の男は、柚月と九十九が行方不明になった事と、関係があるのであろう。

 朧は、そんな気がしてならない。


――あいつの事がわかれば、兄さんの事もわかる気がする。


 そう考えていた朧は、ふと、懐からある物を取り出す。

 それは、瑠璃色の小袋だ。

 朧は、その小袋から小さな白い貝殻を取り出し、眺めていた。

 その小さな白い貝殻を眺めていた朧は、ふと笑みをこぼした。

 まるで、その貝殻に元気づけられているようだ。

 柚月と九十九ならきっと会えると……。


「朧」


「千里」


 千里が、朧に声をかける。

 呼ばれた朧は、振り向いた。


「考え事か?」


「あ、うん……。面の男の事とか、兄さんの事とかね」


「そうか……」


 千里は、言葉を詰まらせる。

 朧は、一人で背負い込んでいると感じたからであろう。

 彼の悪い癖だ。 

 少しでも、力になれればと千里は、考えていた。

 だが、千里は、気になる事があるようだった。


「それ……」


「ん?」


「その貝殻、どうしたんだ?」


 千里は、朧が手にした貝殻の事が気になったようだ。

 朧は、自分の事を千里に語ったからだ。 

 自分が、呪いにかかってしまった事、柚月と九十九の事も、そして、自分が、柚月達と行動を共にするまで、聖印京から出た事がないことまで。

 もちろん、朧は、海を見た事がない。

 そのため、千里は、不思議に思ったのだろう。

 朧が、なぜ、貝殻を持っているのか。

 それも、大事そうに。


「あ、これ、お守りなんだ。もらったんだ」


「もらった?」


「うん。女の子にもらったんだ。俺が、小さい時に、まだ、元気だったときに。」


 朧は、千里に語り始める。

 まだ、呪いが、本格的に侵攻していない頃の事だ。



 あの頃の朧は、わんぱくで、好奇心が旺盛であった。

 大人しかった柚月とは、対照的に、走ったり、体を動かすことが好きな男の子だったのだ。

 わんぱくすぎて、よく、月読に叱られたことがあったが。

 幼い朧は、道場で、修行に励んでいる柚月を迎えに椿と共に、道場の入り口の前で待っていた。


「朧、ここで、待ってるのよ。待ってたら、柚月に会えるからね」


「うん!僕、兄さんの事、待ってる!」


 椿に、待つように言われた朧は、元気よくうなずく。

 と言っても、幼い彼は、じっと待っていられるはずもなく、周辺に植えられた草花の前まで歩み寄ったり、通り過ぎていく隊士達をじっと見たり、走ることはなかったが、あちこちを歩いていた。

 もちろん、椿の見える範囲でなのだが。

 そんな時だ。

 誰かが、道場の裏からこっそり、朧達を見ていた気がしたのは。


「あれ?」


 朧は、気になったのか、道場の裏へと走っていってしまう。

 そんな彼に、椿は気付いていなかったのだ。

 なぜなら、その直前に、道場で修行をしていた子供達が、出てきたため、柚月も出てくるであろうと入口に視線を向けていたのだから。

 朧は、道場の裏へとたどり着くが、誰もいなかった。


「いない……。誰か、いたような気がしたんだけど……」


 朧は、体の向きを変えて、椿の元へと戻ろうとする。

 だが、突然、がさっと音が、聞こえる。

 その音に反応した、朧は、再び振り返った。

 すると、銀髪で瑠璃色の瞳をした朧と同じくらいの年齢の女の子が、草花の後ろにしゃがみ込んで、隠れていたのであった。

 それも、ボロボロの布をかぶって。


「あ」


「あ……」


 朧は、その少女と目が合う。

 だが、少女は、朧から目をそらしてしまう。

 それも、無表情のまま。

 好奇心故からなのか、朧は、少女の元へと駆け寄っていった。


「君、誰?どうして、ここにいるの?」


「……」


 朧は、尋ねるが、少女は、何も答えない。

 ただ、朧から、目をそらして黙っているだけだ。

 だが、朧は、じっと、少女を見つめていた。

 気になったのだろう。

 北聖地区にいる子供達は、聖印一族か、聖印寮の隊士しかいないからだ。

 その少女は、どちらでもない、見かけない子であった。

 少女が答えないため、沈黙が続いた。

 だが、その時だ。

 ぐうと盛大な音が鳴り響いたのは。

 その音を鳴らしたのは、朧ではない。

 少女の方から聞こえたのであった。


「あ……」


「おなか、空いてるの?」


「……」


 少女は、思わず声を漏らしてしまう。

 朧は、尋ねるが、それでも、少女は、答えなかった。


「じゃあ、これ、あげる」


 朧は、懐からお菓子を取り出し、少女に差し出した。


「これ……」


「お菓子だよ。もらったんだ」


「……」


 朧が、そのお菓子を少女に差し出すが、少女は、手に取ろうともせず、黙ったままであった。

 すると、朧は、しゃがみ込んで、再び、お菓子を少女に差し出した。


「ほら」


「……いいの?」


「うん!おいしいから、食べてみて!」


 朧は、満面の笑みを浮かべる。

 そのお菓子は、朧が、最も気に入っている和菓子だ。

 少女にも食べてもらいたかったのであろう。

 彼の笑顔を見た少女は、心を開いたのか、そっと手を伸ばした。


「ありがとう……」


 少女は、お菓子をもらい受ける。

 すると、少女は、懐からある物を取り出した。

 それは、小さな白い貝殻であった。


「これ」


「ん?」


 少女は、朧に白い貝殻を差し出す。

 朧は、それが、貝殻だと知らず、不思議そうに眺めていた。


「これ、何?」


「貝殻、海で、拾ったの」


「海に行ったことあるんだね!いいなぁ、僕、まだ、行ったことないよ!海って、本当に青いの?」


 幼い朧は、まだ、聖印京から外に出た事がない。

 書物でしか読んだことがなかったため、海が青いのか知らないのだ。

 好奇心旺盛な朧は、少女に、楽しそうに海について尋ねた。


「うん、青い。綺麗だった。瑠璃色だった」


「るりいろ?」


「うん」


「そっかぁ」


 「瑠璃色」と言う言葉は、朧にとって聞きなれない言葉だ。

 だが、「瑠璃色」は、綺麗な青だとわかったようで、朧は、本当に、海が青い事を知ったのであった。

 朧は、再び、満面の笑みを浮かべる。

 少女を照らす太陽のように。


「あげる」


「いいの?」


「うん。もらったから」


 お菓子をくれたお礼なのだろう。

 少女は、貝殻を朧に差し出す。

 朧は、その貝殻をもらい受けたのであった。


「ありがとう!」


 朧は、少女にお礼を言う。

 無表情だった少女が少しだけ、笑みを浮かべた。

 朧の優しさが、少女に伝わったからであろう。

 だが、その時であった。


「朧?」


「あ」


 椿に声をかけられた朧は、振り返った。

 椿は、柚月と共に朧の後ろに立っていたのであった。


「何してるの?」


「うん、今ね、女の子と……」


 朧は、柚月と椿に、少女を紹介しようと、もう一度、少女がいた方向へと体を向きなおす。

 しかし……。


「あれ?」


 先ほどいた少女は、どこにもいない。

 朧が、振り返った瞬間にいなくなってしまったようだ。


「待ってなさいって言ったでしょ?」


「ごめんなさい……」


「……まぁ、いいわ。ほら、行くわよ」


「うん!」


 朧は、柚月と椿と共に、歩き始めた。

 白い小さな貝殻を手にしたまま。



 朧は、穏やかな表情で語り終える。

 白い小さな貝殻を眺めながら。


「ずっと、持ってるんだな」


「うん、ずっと。これを見てると、元気が出るんだ。前向きになれるって言うか、心が落ち着くって言うか……」


 朧が、呪いにかかり、寝込んだ時も、柚月と九十九を探すために、旅した時も、何度もその貝殻を手にし、眺めていた。

 心が折れそうになり、あきらめかけた時に、眺めていたようだ。

 その少女の事を思いだすのだろう。

 最後に笑った少女の笑顔を。

 まるで、彼女が、励ましてくれているかのように朧は、思えたのだ。


「その女の子には会えたのか?」


「ううん、その子の名前も、わからないし。それっきり、会ってないけど。いつか、会いに行きたい。これのお礼、言わないとな」


「……会えるといいな」


「うん」


 朧は、満面の笑みを浮かべる。

 あの時と同じ笑顔を。

 彼の笑顔を見た千里は、穏やかな気持ちになったのか、珍しく、微笑んでいた。


「朧様」


「あ、聖印寮の人だ」


 隊士が、離れにたどり着き、朧に声をかける。

 朧は、隊士の元まで、駆け寄った。


「どうしたんですか?」


「すみません。その妖と共に、すぐに、南堂に来てください。月読様がお話があるそうです」

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