第十話 赤い月の襲来
なんと、予知した一週間前に、赤い月が出現してしまった。
血のように赤い満月は、闇夜を赤に染め上げていく。
赤い月を見た人々は、目を見開き、顔を青ざめた。
「あ、赤い月だ!」
「逃げろ!」
人々は、逃げ惑い始める。
四方八方へ、我先に建物へ入ろうと。
一人の女性が、妖を連れて、建物の中へ入ろうとした。
だが、その妖は赤い月を見たまま呆然と立ち尽くしている。
決して、動こうとしたなかった。
それどころか、体が震え始めていたのであった。
「あ……ああ」
「ど、どうしたの?さあ、早く……」
女性は、焦燥に駆られて、妖の腕を引っ張ろうとする。
その時だった。
「がああああっ!」
「きゃあああっ!」
妖が、絶叫を上げ、大きく口を開ける。
まるで、暴れるかの如くだ。
自我を失ってしまったようだ。
その場にいた女性を喰らおうと迫ってくる。
女性は、悲鳴を上げて、逃げ始めた。
「うわあっ!あ、妖が……」
「とにかく、逃げるんだ!」
周辺にいた人々も逃げ惑い始める。
妖は、凶暴化し、人々に襲い掛かろうと追い始めた。
その場にいた女性は、座り込み、体を震え上がらせて涙を流す。
共に過ごし、家族のように接してきた妖が、一瞬のうちに豹変してしまったからだ。
信じられない光景だ。
あの妖は、赤い月の日が来ても、絶対に大丈夫だと言っていたのに。
彼女も信じていたのに。
赤い月は、彼女と妖の絆さえも壊すほどの力を持っているようにしか思えなかった。
赤い月を目の当たりにした朧と初瀬姫は、衝撃を受け、呆然と立ち尽くしている。
赤い月から放たれる血のように真っ赤な光は、二人を覆い尽くそうとしているかのようであった。
「赤い月が……」
「なんで、こんな日に限って……」
初瀬姫にとってまさに最悪の日であろう。
無理やり、顔合わせに出席させられ、その場から、逃げたら、江堵に叱られ、さらには、赤い月が出現したのだから。
だが、朧も同じだ。
朧は、宝刀・紅椿を持っていない。
顔合わせの為、持って行くなと勝吏から言われていたからだ。
何かあれば、警護隊に任せればいいと言っていたが、やはり、持って行くべきだったと朧は、後悔していた。
「来る!」
朧は、感づいていた。
妖達が一斉に聖印京へと集まってくる。
まるで、誰かに呼ばれているかのように。
天鬼が、いないというのに、なぜ、聖印京を襲撃にし来たのであろう。
誰かに操られているのであろうか。
思考を巡らせる朧であったが、考えている暇はない。
今は、初瀬姫を守らなければならないのだから。
「初瀬姫!屋敷にお戻りください!ここは、危険です!」
「そ、そんなこと言われましても……!」
朧は、初瀬姫に屋敷へ戻るよう叫ぶが、初瀬姫は、混乱しているのか、戸惑い、動こうとしない。
恐怖に怯えているのかもしれない。
今は、迷っている場合ではない。
朧は、初瀬姫の腕をつかんで、屋敷へ戻ろうとした。
だが、一瞬の出来事であった。
遠くにいた妖達が、聖印京にたどり着き、結界を破壊してしまったのだ。
そして、妖達は四方八方に別れ、朧達の前に現れ、朧達は、取り囲まれてしまう。
逃げる道は、閉ざされてしまったのであった。
「ひっ!」
初瀬姫は、小さく悲鳴を上げ、涙ぐむ。
恐怖で身が硬直してしまったようだ。
――もう、来たのか……。それも、凶暴化してる……。天鬼が、討伐されたって言うのに……。
妖達は、まるで、何者かに操られているかのように凶暴化している。
赤い月が出現したとしても、これだけ多くの妖達が、一斉にここに来るだろうか。
確かに、妖は、未だ自分達の命を狙って襲う者もいる。
だが、それも少なくなってきたはずだ。
それなのに、今、朧達は、大群の妖達に取り囲まれている。
本当に、赤い月の影響だけなのだろうか。
何者かが、操っているようにしか思えなかった。
「初瀬姫、俺のそばから離れないでください」
「え、ええ。で、でも、どうするの?宝刀、持ってるの?」
「……いえ、ですが、ご安心ください」
朧は、札を取り出し、自分の両手に張りつけ、呪文を唱える。
すると、札が光りだし、両手は光の刃を纏い始めた。
「俺の武器は、これですから!」
朧は、聖印能力が発動できない代わりに、陰陽術と刀術、格闘術を組み合わせて戦ってきたのだ。
今、朧は、宝刀を持っていないが、妖に対抗するには十分な力と言える。
朧は、初瀬姫を守るように前に出て構える。
妖達は、一斉に朧に襲い掛かってきた。
朧は、恐れることなく、冷静に、妖達に殴り掛かる。
殴られた妖は、吹き飛ばされ、後ろにいた妖達までも巻沿いにする。
それでも、ひるむことなく、襲い掛かる妖達に対して、朧は次々と殴り飛ばし、つかんで投げ飛ばした。
だが、それだけで、妖達は、浄化できない。
殴られても、起き上がっていく妖達は、朧と初瀬姫に迫っていた。
――やっぱり、宝刀がないと倒せないか……。せめて、聖印能力が、発動できれば……。
抵抗はできるものの、倒すことは不可能な状態。
聖印が、発動できれば、宝刀がなくとも、妖を浄化できるが、朧は、発動できない。
朧は、劣勢に立たされている状態であった。
だが、妖は容赦なく、朧に襲い掛かろうとしていた。
それも、一斉に。
「朧!」
初瀬姫は、思わず叫び、目を閉じてしまう。
朧が、食い殺されてしまうと思ったのだろう。
だが、次の瞬間、初瀬姫にとって、信じられない光景が、目に映った。
初瀬姫は、恐る恐る開けてみると、朧は、怪我一つ負っていない。
なんと、朧の前に、巨大な白い虎が現れたのだ。
それも、朧を襲うことなく、妖から守っているように見える。
「な、なにあれ……」
「来てくれたんだな……陸丸!」
なんと、白い虎は、陸丸だ。
あの小さな白い虎が、巨大化したようだ。
陸丸は、顔を朧の方へと向ける。
すると、陸丸は、ある物を口にくわえていた。
それは、宝刀・紅椿。
妖に対抗できる手段の一つであった。
「これは、紅椿!ありがとう、陸丸!」
朧は、紅椿を鞘から抜き、陸丸の前に出て、構えた。
「行くぞ!」
朧は、地面をけり、陸丸も妖にとびかかっていく。
朧が、斬りながら、紅椿の技・眠り姫の園を発動し、妖を一気に眠らせる。
続けて、陸丸が、飛びかかり、妖を引き裂き、討伐していく。
見事な、連携だ。
朧は、傷一つ付けられることなく、陸丸と共に、妖を討伐していった。
「す、すごい……」
初瀬姫は、あっけにとられているようだ。
無理もないだろう。
朧は、宝刀・紅椿を手にした途端、妖を次々と討伐していったのだ。
いや、紅椿だけではない。
陸丸が共に戦ってくれたからこそ、朧も初瀬姫も無事だったのだ。
妖と共に戦うという事は、今までの戦場をひっくり返してしまうほどなのではないかと、初瀬姫は、感じ取っていた。
妖を討伐し終えた朧は、紅椿を鞘に納め、初瀬姫の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?初瀬姫」
「え、ええ……」
朧に救われた初瀬姫。
彼のかっこよさに、見とれ、顔を赤らめてしまう。
初瀬姫は、うなずきながらも、とっさに、目をそらしてしまった。
そこへ、陸丸が朧と初瀬姫の元へ駆け付けた。
「朧、大丈夫ですかい!?」
「うん!陸丸は、大丈夫なのか?」
「あっしなら、平気ですぜ!安心してくだせぇ!」
陸丸の身を案じる朧であったが、陸丸は、無事のようだ。
赤い月の影響を受けていない。
陸丸の様子をうかがっていた朧は、安堵していた。
「朧殿!助太刀するでござる!」
「ここは、わしらに任せるのじゃ!」
「空蘭!海親!」
空蘭と海親も合流する。
しかも、二人も陸丸と同じで巨大な赤い鳥と巨大な青い海蛇に変化している。
彼らを見た初瀬姫は、驚愕していた。
朧は、妖を連れているのだ。
しかも、その妖達は、朧に味方している。
これは、一体どいうことなのだろうか。
「ねぇ、あれって、妖よね?」
「はい。でも、ご安心ください。俺の仲間です」
「仲間?」
「はい」
朧は、初瀬姫の質問に、正直に答える。
彼の答えを聞いた初瀬姫は、知ったのだ。
人間と妖が、共存しているというのは、真実だと。
人間と妖が共存し始めたという噂は、初瀬姫も知っていたが、どうも、信用できずにいた。
しかし、彼らは、朧と共に妖を撃退し、自分を助けてくれた。
もはや、疑う余地などなかった。
「海親!お前は、皆の傷を癒すんだ!街の方がひどいかもしれない。頼んだぞ!」
「了解でござる!」
朧に命じられた海親は、飛びあがり、街の方へと飛んでいく。
海親の能力は、雨を降らせ、傷を癒すことができる。
彼のおかげで、朧は、傷を負っても、治してもらい、危機を乗り越えてきた。
「空蘭!初瀬姫を安全な場所に連れていくんだ!いいな?」
「わかったぞ!」
「え?ちょっと!」
「いいから、乗ってください!」
初瀬姫を安全な場所へ連れていくように、空蘭に命じた朧。
初瀬姫は、戸惑うが、朧が、強引に空蘭の上へと乗らせた。
空蘭は、朧に命じられた通り、初瀬姫を乗せて、空高く、舞い上がった。
「ま、待ってってば、ちょっと、朧!」
初瀬姫は、手を伸ばして、叫ぶが、朧の元から遠ざかっていく。
空蘭は、そのまま、初瀬姫を乗せて、飛び去っていった。
「陸丸!お前は、俺と一緒に来い」
「合点でごぜぇやす!で、どこに行くんですかい?」
「とりあえずは、ここを出る。妖達を食い止めないと」
「御意!」
朧は、陸丸の上に乗り、陸丸は、軽々と塀を飛び越えてる。
屋根の上に飛び移りながら、陸丸は、屋敷を出ようとしていた。
だが、朧は、気がかりなことがあった。
それは、妖達の様子だ。
そのため、朧は、陸丸に質問した。
「なぁ、陸丸」
「なんですかい?」
「陸丸達は、凶暴化はしなかったのか?」
「……一度は、我を忘れそうになったでごぜぇやすが、なんとか持ちこたえたでごぜぇやす」
「そうか……」
朧の質問にためらいながらも答える陸丸。
陸丸達は、どうやら、凶暴化しそうになったところを、どうにか持ちこたえたようだ。
朧を傷つけたくないという強い想いのおかげで、自我を保てたのであろう。
「と言うよりも、操られそうになったといった方が、正しいかもしれねぇですぜ」
「操られた?」
「へい。誰かの声が聞こえた気がするんでごぜぇやす」
「……もしかしたら、操る力を持った妖がいるってことなのか」
なんと、陸丸達は、赤い月の影響ではなく、声が聞こえた為、自我を失いかけたようだ。
天鬼は、力任せに、妖達を支配していたのだが、今回は、そうではないようだ。
誰かが、術をかけて妖達を操ったのかもしれない。
朧は、思考を巡らせていたが、考えている暇はなかった。
なぜなら、朧達の前に妖達が、出現からであった。
「朧、来ますぜ!」
「うん、行くぞ、陸丸!」
「へい!」
朧と陸丸の前に、妖達が立ちはだかる。
朧は、紅椿を鞘から抜き、陸丸は、妖達に突っ込んでいくかのように、向かっていった。
そのころ、面をかぶった男が、街に入り込み、屋根の上に上っている。
そこから、面の男は、赤く染まっていく聖印京を眺めていた。
「目覚めるな。あの男が」
面の男は、そう言って、屋根へと飛び移る。
向かった先は、本堂であった。
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