第九話 不機嫌なお姫様

 朧が、婚約の話を聞かされてから一週間たった。

 とうとう、この日が来てしまった。

 初瀬姫との顔合わせが……。

 顔合わせの時間は、昼時となっている。

 朧は、自分の部屋で、直衣のうしを着用し、身支度を整えたのだが、どこか、表情が暗かった。


「はぁ……」


 朧は、思わずため息をついてしまう。

 今、身に着けている装束が肩に重くのしかかっているのではないかと思うほど、気が重い。

 彼の様子を見ていた海親が、心配そうに朧の元へと歩み寄った。


「朧殿……大丈夫でござるか?」


「う、うん……」


 朧は、笑顔でうなずくが、どこかぎこちない。

 空蘭が、いつの間にやら、海親の隣にいた。

 彼女も、朧を心配しているのだろう。

 皆、朧の事を気にかけているのだ。


「緊張しておるのじゃろう。大丈夫じゃて」


「そ、そうだな……」


 空蘭は、朧を励ましてくれている。

 朧も、彼女に感謝し、うなずくのだが、やはり、どこかぎこちない笑顔のように見えた。


――緊張じゃないんだけどな……。


 正直に言えば、緊張ではなく、憂鬱なのだ。

 仕方がないとはいえ、婚約者とその家族との顔合わせをしなければならない。

 もし、婚約者の方が納得していたのであれば、もう、逃げようがないのだ。

 断ることすら、難しくなってしまうだろう。

 どうにかして、この婚約を取りやめられないかと朧は、一週間考えていたのだが、何も思いつかない。

 そして、ついに、この日を迎えてしまい、朧は、何度目かのため息をついていたのであった。


「朧、そのお姫さんが、どんなお方なのか、あっしらにも教えてくだせぇ」


「わかった。おとなしくしてたらな」


「へい!」


 陸丸は、朧の元へ駆け寄る。

 陸丸達も、気になっているのだろう。

 初瀬姫がどのような人物なのか。

 もし、本当に、朧と結婚するとなれば、陸丸達も、彼女と接していくことになる。

 もしかしたら、妖である自分達を快く思っていない可能性もあるため、少々不安でもあったのだ。

 朧も、彼女の素性がわからない以上、何とも言えない。

 陸丸達の不安を取り除くには、少しでも、彼女の素性を知るしかなかった。

 もちろん、婚約を断る方法を最後まで考えているのだが。

 準備が終わった朧は、すっと、立ち上がった。


「じゃあ、行ってくる」


「いってらっしゃーい」


 朧は、御簾を開け、部屋を出た。

 陸丸達に見送られて。



 朧は、勝吏、月読と合流し、千城家の分家の屋敷へと入る。

 女房に案内され、初瀬姫達の準備が整うまで、別の部屋で待機することとなった。

 朧は、不安だらけの中、何度もため息をつきそうになるが、さすがに勝吏達の前では、それができない。

 勝吏は、朧の心情を察していないのか、この顔合わせを楽しみにしていたかのように笑顔で待っている。

 月読は、相変わらず、冷静な表情で待っていたのであった。


「初瀬姫がどんなお方か、楽しみだな」


「は、はい。ですが、どうして、千城家の屋敷で、行うことに?」


 顔合わせや婚礼の儀などは、いつもであれば、本堂を借りて行うものだ。

 婚約と言うのは、聖印一族にとっては大事な事。

 聖印能力を増やすという意味においてだが。

 だが、今回は、千城家の分家の屋敷で行われることとなった。

 何か理由があるに違いない。

 朧は、それとなく勝吏に尋ねてみたのであった。


「あちらのご要望でな。まぁ、こちらも、一緒に旅をしてほしいと頼んだし……」


「まあ、それに比べたら……」


 確かに、こちらは、無理な要望をしている。

 結婚したら、自分と共に旅に出てほしいと頼んでいるのだ。

 そんな身勝手な要望が本来なら通るはずがない。

 だが、事情を察してか、彼らは、その要望すらも承諾してくれている。

 そう考えれば、彼らの要望をこちらも、承諾しなければならないであろう。

 朧は、これ以上、詮索してはいけないと察し、うなずいたのであった。

 その時だ。

 千城家の女房が、御簾の前に現れたのは。


「失礼します。勝吏様、月読様、朧様、ご準備が整いました」


「わかった。では、行こうか」


「はい」


 準備が整ったようで、朧達は、立ち上がり、部屋を出る。

 いよいよだ。

 初瀬姫とその家族の顔合わせが始まるのは。

 朧は、次第に緊張感が高まっていく。

 近づくにつれて、胸の鼓動が鳴り響きそうだ。

 朧は、勝吏達に気付かれないように、呼吸を整え、落ち着かせた。

 そして、とうとう、初瀬姫達が待っている部屋へとたどり着いた。


「失礼します」


 朧達は、部屋へと入っていく。

 その場にいたのは、二人。

 男性と少女のようだ。

 栗色の髪に、赤い瞳を持つ男性は、笑顔で朧達を出向かてくれている。

 だが、反対に茶髪で長い頭髪を左右の高い位置でまとめており、深緑の瞳を持つ少女は、目を細めて、口をへの字に曲げている。

 彼女は、不機嫌なようだ。

 いやいや連れてこられように見える。

 朧は、恐る恐る彼女の前へと座った。


「このたびは、お越しくださり、誠にありがとうございます。私が、千城江堵でございます。で、こちらが……」


「……」


 勝吏の前に座っている男性・千城江堵は、自己紹介をし、隣で不機嫌そうに座っている少女・初瀬を紹介するが、初瀬は黙ったままだ。

 紹介する気もない。

 これには、朧達も、驚いた様子だ。

 江堵は、慌てた様子で、初瀬を見ていた。


「初瀬」


「……千城初瀬ですわ」


「よ、よろしくお願いいたします。つ、妻の方は、ちょっと体調の方が……」


 初瀬は、不愛想に自己紹介をする。

 だが、朧と目を合わせようともしない。

 江堵は、安堵はしているものの、やはり、慌てた様子だ。

 無理もない。

 初瀬の母親は、体調がすぐれないようで欠席している。

 しかも、初瀬は、不機嫌だ。

 鳳城家を相手にこのような状態なのだから、江堵も心が落ち着かないのであろう。

 朧は、正直、江堵の事を、同情し始め、断りづらいと感じていた。


「そうだったか。いや、こちらこそ、大変な時期だというのに、ご無理言いまして」


「いえいえ、とんでもございません!」


 江堵は、慌てて頭を下げる。

 相当、こちらを気遣っているようだ。

 彼の様子を見ていた朧は、ますます、断りづらくなり、内心、困惑していた。


「では、こちらも紹介しよう。私が、鳳城勝吏だ。妻の月読、息子の朧だ」


「よろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします」


 勝吏は、月読と朧を紹介し、朧と月読も頭を下げる。

 江堵も頭を下げるが、初瀬は頑なに頭を下げようとしない。

 あの鬼のように恐ろしかった月読を目の前にしてもだ。

 千城家の姫君は、恐れを知らないのかと思うほどに。


「では、始めましょうか。それで、輿入れの事についてですが……」


「嫌ですわ!」


 婚約のことについて話し始めた江堵であったが、突然、初瀬は、嫌だと答える。

 これには、朧達も驚愕した様子だ。

 あからさまに不機嫌ではあったため、納得していないと思っていたが、堂々と嫌と言えるとは、恐ろしいと思いつつ、うらやましいと思ってしまった朧なのであった。

 さすがの江堵も顔が青白くなり、慌てふためき始めた。


「こ、こら、初瀬!」


「わたくしは、結婚なんかしたくありませんわ!何度も言ってたじゃありませんか!」


「そ、そう言うな、初瀬……す、すみません」


「いえ……」


 江堵は、何度も頭を下げる。

 勝吏は、彼に気を使って、笑顔を作っているが、内心彼も動揺しているのであろう。

 月読も珍しく困惑しているようだ。

 当然かもしれない。

 初瀬姫が、突然、嫌と言いだしたのだから。


――やっぱり、結婚して旅しろとか言われて、納得できるわけないか。このまま、断ってくれれば……。


 朧は、初瀬姫の心情を察している。

 突然、結婚しろと言われ、夫となる自分と旅に出ろと言われるのだ。

 無理もないだろう。

 朧は、初瀬姫がこのまま断ってくれれば、この婚約は、なかったことになるのではないかと淡い期待を抱いていた。

 それは、朧にとっても、初瀬姫にとってもいい事なのだから。

 勝吏達には、申し訳ないが。


「だがな、初瀬。朧君は、今、兄上の柚月君と九十九を探しに旅に出ておられる」


「それが、なんですの?」


「お前が、朧君と結婚すれば、旅に出る事を許可するぞ」


 どうやら、旅のことについては、話していなかったらしい。

 旅に出ていいと江堵が言うと、初瀬姫の表情が変わる。

 あんなに不機嫌だったのが嘘であったかのように、目を輝かせているのだ。

 本人は、気付いていなさそうだが。


「で、では、あの役目も?」


「も、もちろん、降りていい」


 あの役目も降りていいと聞いた瞬間、初瀬姫は、目を瞬きしている。

 あの役目というのは、どんなのであろう。

 しかも、嬉しそうにしているという事は、初瀬姫にとって、あまりいい役目ではなさそうだ。

 しかも、このままでは、婚約を承諾しかねない状況だ。

 これは、朧にとって不利な状況になりかねなかった。

 しかし……。


「そ、そんな事でわたくしが、納得すると思っていますの?」


 初瀬姫は、我に返ったのか、再び、不機嫌な表情へと変わる。

 どうしたのかと思うほどに。

 これには、江堵も、再び、困惑していた。


「だ、だがな……」


「と、とにかく、この話は、なかったことにしてくださいまし!」


「あ、初瀬!」


 初瀬姫は、突然、部屋を出てしまった。

 あちらのお姫様も、大胆不敵と言ったところであろうか。

 違った意味で。


「も、申し訳ございません!少々、お待ちくださいませ!」


 江堵は、顔色がますます青白くなり、今にも倒れそうだ。

 だが、倒れている場合ではない。

 初瀬姫を説得しなければならないのだから。

 江堵は、勝吏達に謝罪し、慌てて部屋を出てしまう。

 朧達は、部屋に取り残されてしまったのであった。


「なんだか、あちらも、大変そうだな」


「そうですね……」


 突然の出来事に勝吏も月読もあっけにとられた様子。

 朧は、安堵はしていたものの、不安が残っていた。

 これから、どうなるのであろうかと。



 その後、初瀬姫が部屋に戻ってくることはなかった。

 江堵が、疲れ切った様子で、勝吏達に謝罪し、お詫びにご馳走をふるまうとのことだった。

 勝吏達は、江堵を憐れみ、ご馳走をいただくこととなった。



 空は、夜へと変化したころ、朧達は、江堵や千城家の分家の者達と食事を楽しんでいた。

 と、言いたいところであったが、初瀬姫の事もあって、皆、表情が暗い。

 朧達は、美味しいと言って、気遣うのだが、皆、生気を失っているかのように目が死んでいた。

 特に、江堵は、やつれてしまったかと思うほど、疲れ切っていた。

 朧は、厠へ行くため、席を外す。

 そして、厠から部屋へ戻ろうとした時であった。


「あ……」


「あ」


 なんと、初瀬姫と偶然居合わせてしまったのだ。

 気まずい空気が流れ込み、朧も初瀬姫も黙ったままだ。

 沈黙だけが流れてしまった。

 だが、何か初瀬姫は言いたげそうにこちらを見ている。

 初瀬姫は、ため息をついて、重たい口を開けた。


「ねぇ、あなたは、どう思っていますの?」


「え?」


「婚約の事ですわ!あなたは、納得されていますの?」


「いや、俺は……納得してません」


「ですわよね。なのに、お父様ったら、勝手に進めるんですもの」


 朧は、ためらいつつも正直に話す。

 初瀬姫の前では、嘘をついても仕方がないと思ったのであろう。

 もし、納得していると言えば、なぜ?と問いただされてしまうかもしれない。

 ここは、正直に答えた方がよさそうだと朧は、判断した。

 初瀬姫も朧の答えに納得したのか、不機嫌そうな表情を浮かべて話す。

 やはり、初瀬姫も納得しないまま、話が勝手に進んだようだ。


「で、あなたは、本当に、旅に出てますの?」


「あ、はい。兄と親友を探しに」


「そう……」


 旅に出ていると知った初瀬姫は、どこかうらやましそうな表情を見せる。

 どうしたのだろうかと、心配した朧は、初瀬姫に尋ねようとした。

 だが、その時だ。


「きゃああああっ!」


「なんだ!?」


「何事ですの!?」


 突然、女房の悲鳴が聞こえる。

 朧と初瀬姫は、驚愕し、動揺した。

 だが、朧は、気付いてしまう。

 恐ろしく全身が硬直してしまうような感覚。

 朧は、この感覚を知っている。

 五年前のあの日も、同じ感覚に襲われたからだ。

 不安に駆られた朧は、すぐさま、外へと向かった。

 初瀬姫も、不安に駆られたのか、朧の後を追うように、外へ向かった。


「あれは……!」


 外に出た朧は、目を見開き、驚愕している。

 なんと、夜空に赤い月が出現していたのであった。

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