第5話


「そろそろ倉庫のれもいっぱいになってきました。今回も、よかったら譲りますよ」

 シスター・イデアがそう教えてくれたのは、今朝のことだった。

 去年くらいから、シスターは倉庫にまった端切れをレリンに譲ってくれていた。レリンがさいほうの授業をだれよりも楽しんでいるところに目を付け、「布たちを有効に活用してほしい」と、逆にシスターからお願いされたのだ。

 端切れでも、い合わせればクッションカバーにもぬいぐるみにもなる。細切れになってしまったものでも、まくらなどに入れれば綿代わりのめものに生まれ変わる。練習用にいくら布があっても足りないくらいのレリンにとっては、これ以上ないごほうだった。

 おかげでレリンは、一日の授業をじようげんで過ごすことができた。苦手なしいの授業も、放課後のことを思うとちっとも苦だとは思わない。ジェーンにも「何かいいことあった?」と聞かれてしまうくらいだ。

 裁縫教室準備室の奥には、シスター・イデアが端切れをしまっておく倉庫がある。それ一枚ではハンカチさえ縫えないだろう様々な形の布であるが、すぐ捨てるのはもったいないからとひとまず保管しているのだ。

 レリンは本日の授業を終えると、シスターからかぎ束を借りて倉庫へと急いだ。

 生徒は普通、準備室には入らない。そのため室内は教材や教科書などが積まれており雑多な様子であるが、奥にある倉庫は違った。レリンが今日の夕方に来ることが分かっていたからか、シスターはレリンが作業しやすいよう、倉庫の中はきちんと整えてくれていたのだ。

「……ふわっ!」

 倉庫をランプで照らしたとたん、思わずレリンは声を上げてしまった。

 りようにあるレリンの自室の四分の一ほどのあまり広いとは言えない小部屋だが、かべぎわたなにはところせましと箱が載せられている。そこにこんもりと積まれた、端切れたち。素材と色ごとに箱を分けてくれていて、大小様々な布がレリンのとうちやくを待ってくれていた。

てき! ありがとうございます、シスター!」

 今ここにシスターはいないが、レリンは何度目になるか分からない裁縫教師への感謝の言葉を口にする。そして持っていたランプをかべつるし、上着のそでをまくった。

(よし、待っていなさい、可愛かわいい布たち!)

 ポケットから「作りたいものリスト」を取り出し、レリンは目をかがやかせて布入りの箱に飛びついた。


 端切れを保管している倉庫があるのは、準備室のさらに奥。面積はせまいが壁の素材はがんじようなので、辺りの音も人々のざわめきも耳に入らないし、時の流れさえ意識から追い出してしまう。

 レリンの端切れそうさく意欲のほのおがようやく収まったころには、準備室はすっかりやみで包まれていた。

(ついつい長居しちゃった)

 箱いっぱいに端切れを詰め、レリンは倉庫に鍵をける。長時間、箱を持ち上げたりびしたりしゃがんだりをり返したので、体の節々が痛い。しかも倉庫はひんやりとしていたので、体は冷えてしまっている。

 それでも、たくさんの戦利品を手にできたレリンはほくほくの笑顔だ。

(すぐに取りかかろう! 冬用のとんカバーを新調しないと! あ、ジェーンへのお返しに何か作ろうか……いや、先にご飯か)

 食事抜きにしてでも作業をしたいところではあるが、育ち盛りの体に一食抜きは後でつらくなると、分かっている。夕食抜きで作業にぼつとうし、夜中に空腹で目が覚めてしまったことが前にもあるのだ。

 空腹でねむれぬ夜を過ごすのは、もうこりごりだ──

 ふっと意識が遠のきそうになり、あわてて首をってん張る。ここは、聖堂学校。あの湿しめっぽい地下室ではない。

 端切れから勇気をもらうようにぎゅっと、箱をかかえる。ランプをいつたんわきのデスクに置き、レリンは準備室から教室につながるドアを開けようと、ノブに手をばす。

 ──だが、レリンがノブをつかむより早く。

 ドアが反対側からたたき開けられた。

(えっ?)

 じようきようを察するより早く、黒くて大きな何かが目の前に立ちふさがる。そして太いうでが伸びてきて、ぜんとするレリンの首の後ろを摑んでその場に引きずりたおしてきた。

「きゃっ!?」

 目の前の世界がひっくり返り、体ににぶしようげきが走る。

 気が付くと、ゆかに叩きつけられるようにうつぶせにされていた。顔面を床に打ち付けなかったのは、こんな非常事態でも布入りの箱を手放さなかったおかげである。

「貴様がレリンだな」

 頭上でひびく、うなるような男性の声。レリンの後頭部と背中を押さえてこうそくしてくるその男の声に、じたばたもがいていたレリンは息を吞んだ。

 レリンが親の敵でもあるかのような、明らかな殺意をはらんだ低い声。それを耳にし、レリンののどからヒッと悲鳴が上がる。

 ぐっとレリンの後頭部があつぱくされる。呼吸すらままならずき込むレリンだが、次に飛んできた声を耳にして目をまたたかせた。

「待ちなさい、ジオ! 誰が引きずり倒せと言ったの!」

 いつしゆん、聞きちがいかと思った。

(い、今の声は……?)

「ジェー……げほっ」

だまれっ!」

「やめろ、ジオ」

 冷静な声。どこかで聞いたことのある、つやのある男性の声。

 とたん、レリンの体を押さえつけていた腕がすっと遠のいた。しかし拘束が解かれても、意識がもうろうとしていたレリンは、自力では立ち上がることすらできない。

 そんなレリンの体を、別の腕がき上げてくれた。レリンをようしやなく押さえつける腕ではない。かたい筋肉で包まれているが、レリンをいたわってくれるやさしい両腕。

 両脇から腕を差し込まれ、上体を持ち上げられる。レリンの胸と床にはさまれてぺたんこにつぶれてしまった紙製の箱が、ぽてっと床に落ちた。

 そのまま背中を支えられ、レリンは床に座り込む形で起き上がることができた。少しだけぶれる視界の向こうから、こちらにけてくる少女は──

「ジェーン……?」

「そうよ!……ああ、よめり前の乙女おとめはだに、なんてこと!」

 今のジェーンは、いつもぶかかぶっているフードを取りはらい、三つ編みをほどいてやわらかなきんぱつあらわにしていた。窓から差す月光を受け、整った横顔が輝く。

 ジェーンは心配顔でレリンの顔にれ、ほおに付いていたほこりを取り払ってくれた。

「ごめんなさいね、乱暴して……ジオドール、わたくしの話を聞いていなかったの!?」

「……レリンという少女が準備室にいるはずなので、連れてこいと」

「そうね。でも続けて、彼女はわたくしの友人だから話がしたい、とも言ったわよね?」

「それは……まあ、そうですが……」

 ジェーンのしつせきに、狼狽うろたえたような男の声が答える。レリンを問答無用で引きずり倒した、あのおおがらな男の声だ。先ほどの暴行を思い出し、びくっと体がふるえる。

 大柄な男性におびえるレリンに視線をもどし、ジェーンは申し訳なさそうにまゆを垂らす。

「……本当にごめんなさい、レリン。うちの暴走騎には後できつーく言っておくから」

「……いえ、あの、それよりも……」

 ジェーン。聖堂学校内にいる男性。騎士。

(これって、どういう状況?)

 レリンの疑問を受け取ったジェーンは、ふーっと息をつく。

「……本当はもっとおん便びんに事を進めたかったのよね。もし気分がすぐれないなら、一旦休んでもらって後日話をするけれど……」

「いえ、今聞くわ」

 レリンははっきりと答えた。ジオドール、という男に引きずり倒されたのはなかなかショックな出来事だが、だいぶ気持ちも落ち着いてきた。ジェーンに叱責されたからかジオドールは部屋のすみに引っ込んでいるし、近くにはジェーン以外いない──

(……ん? この、私の体を支える腕は?)

 ゆっくり、振り返る。何も言わずレリンを支えてくれていた人も、レリンを見下ろしてくる。

 うすぐらい教室内では、彼のかみや目の色を正確に読み取ることは難しい。だが月光に照らされるたんせいな顔立ち、そして優しいまなしは間違えようもない。

 ──もう、話すことなんてないと思っていた。

「王子様……?」

「おや、またそのように呼んでくれましたね」

 またしても彼を「王子様」呼びしてしまったレリンだが、対する彼は頰をゆるめ、うれしそうに微笑ほほえむ。

 先日、校内の広場で出会った「黒騎士団」の青年。ハンカチを拾ってくれたしんな彼が、今、大きな手の平でレリンの背中を支えている。それに気づき、レリンはぎょっと目をみはった。

(……わ、私、「王子様」に抱えられている!?)

「も、申し訳ありません!」

 慌てて彼ときよを取ろうとしたレリンだが、青年は首を横に振り、立ち上がろうとするレリンのかたを押さえてジェーンに向き直らせた。

「このままで構いません。……どうか、彼女の話を」

「あ……」

「王子様」再来のおどろきで、目の前にいるジェーンの存在を忘れていた。

 急ぎ姿勢を正すレリンだが、ジェーンは無視されていきどおるどころか、何かおもしろいものでも見つけたかのようにくちびるはしを上げ、くつくつと笑っている。

「……ふふ。やっぱりあなたでよかったわ」

「……私?」

「そう。わたくしはあなたに、お願いしたいことがあるの」

 ジェーンのいちにんしようが変わった。レリンはごくっとつばみ、いつものひようひようとしたふん欠片かけらもないジェーンを見つめる。

「わたくしはあなたのような人がほしかったのよ。だから、伝えるわ。……わたくしの本当の名は、ジェーンではないの」

 ジェーンは──いな、ジェーンであった少女は、ほんの少しだけさびしそうに微笑む。

「わたくしは、ルディア・レイ・ステイラー。フランチェスカ王国第二十三代女王メルテルのむすめよ」

 ルディア。王国の王女で、次期女王の座を約束された王太子。

 取り巻きに囲まれているはずの王女が、平民である自分ではお目にかることもできないと思っていた王女が、今目の前でしゃがんでいる。

(ジェーンが……王女様……?)

 レリンは目を瞬かせた。どうやらジェーンはとてもおもしろいジョークを言っているようだ。

うそ……?」

「貴様! ひめ様が噓をくとでも……!」

「黙ってろ、ジオ。姫様たちのじやをするな」

「フォルスの言う通りよ。ちょっと黙ってて、ジオ」

 ジオドールと、フォルスと呼ばれた「王子様」が言い合っている。だが彼らの言葉が、これが夢でも噓でもない、真実であると告げていた。

 ジェーン──「姫様」と呼ばれた少女はレリンの言葉に気を悪くした様子もなく、「本当よ」と微笑む。

「まあ、すぐに信じろという方が難しいわね。でも、これは真実。わたくしはいろいろと事情があって、聖堂学校に編入した。くわしいことは言えないけれど、わたくしにはあなたのような人が必要だったのよ」

「王女様に、私が……?」

 まだどことなくぼんやりとしたまま、レリンは問う。

(王女様が私を必要とするなんて……あり得ないわ)

 レリンがまだゆめ心地ごこちなのに気づいたのか、ジェーン──ルディア王女はぷくっと頰をふくらませ、レリンの額を指先でつついてきた。

「もー、本当だって。お城とかではねこを被っているだけで、わたくしはルディアなの」

「で、でもそうだとしても、どうして王女様が私を?」

「ん、理由はいろいろよ。でも、王女がいつぱん市民と仲良くなっちゃいけないって法律はないわ。むしろこれからの世の中、交友関係は広げていくべき。簡単に言うと、レリンはわたくしにとっての、一般市民の友だち一号よ」

 レリンは目をまたたかせ、ルディアの顔をぎようする。さすがに頭ははっきりしてきたし、これが夢ではないとも分かってきた。

(王女様に、平民の友だちが必要……)

 ルディアは、すべてを語っているわけではないのだろう。どうしてちゆうはんな時期に編入をとか、どうして平民ととか、どうして正体を明かしたのかとか、疑問はいくらでもある。

 だが、王女はレリンを必要としている。部下や使用人としてではなくて、友だちとして。

 ルディアは微笑む。

「わたくしは、これから先もあなたのよき友でいたい。いつものようにいつしよさいほうをして、おしやべりをして、をしたときには手当てをしてもらったりもして──」

「なっ! 姫様のそのお怪我は、この女が──」

「もうおまえだまれ、ジオ」

 言い合いをする男二人には目もくれず、ルディアはおごそかな口調で続ける。

「……今はまだ、全てを語ることはできない。でも、どうかこれからもあなたのクラスメートでいさせてほしい。……あなたをわたくしたちの問題に巻き込ませることは、決してしないわ」

「王女様……」

「私のことは、これからもジェーンと呼んで。今くらいは、ただの女子生徒でいたいからね」

 そう言ってはかなく笑うルディアの顔を、レリンは見つめる。

 レリンはフランチェスカ王国国民である。たみの忠誠は、だいなる女王にある。

 だとすれば、王女ルディアの願いを受け入れ、彼女の友としてこれからも生活することがレリンの、国民としての義務である。

(……ううん、義務だけじゃない)

 レリンは、気づいていた。

 先ほどからルディアは、笑う時にほんの少し寂しそうにしている。王女の命令ではあるが、レリンにこばまれることをしているかのように。

(私は、ジェーンと共にいたい)

 それが、レリンの願いでもあるから。

「……分かりました──いえ、分かったわ、ジェーン」

「……ありがとう、レリン」

 王女はほっと息をつき、そのぼうり付けられていたあいの表情をかなぐり捨てて手を差し出してきた。

 差し出された手を、迷うことなくにぎり返す。

 握った手の指には、あちこち包帯が巻かれていた。

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