第5話
「そろそろ倉庫の
シスター・イデアがそう教えてくれたのは、今朝のことだった。
去年くらいから、シスターは倉庫に
端切れでも、
おかげでレリンは、一日の授業を
裁縫教室準備室の奥には、シスター・イデアが端切れをしまっておく倉庫がある。それ一枚ではハンカチさえ縫えないだろう様々な形の布であるが、すぐ捨てるのはもったいないからとひとまず保管しているのだ。
レリンは本日の授業を終えると、シスターから
生徒は普通、準備室には入らない。そのため室内は教材や教科書などが積まれており雑多な様子であるが、奥にある倉庫は違った。レリンが今日の夕方に来ることが分かっていたからか、シスターはレリンが作業しやすいよう、倉庫の中はきちんと整えてくれていたのだ。
「……ふわっ!」
倉庫をランプで照らしたとたん、思わずレリンは声を上げてしまった。
「
今ここにシスターはいないが、レリンは何度目になるか分からない裁縫教師への感謝の言葉を口にする。そして持っていたランプを
(よし、待っていなさい、
ポケットから「作りたいものリスト」を取り出し、レリンは目を
端切れを保管している倉庫があるのは、準備室のさらに奥。面積は
レリンの端切れ
(ついつい長居しちゃった)
箱いっぱいに端切れを詰め、レリンは倉庫に鍵を
それでも、たくさんの戦利品を手にできたレリンはほくほくの笑顔だ。
(すぐに取りかかろう! 冬用の
空腹で
ふっと意識が遠のきそうになり、
端切れから勇気をもらうようにぎゅっと、箱を
──だが、レリンがノブを
ドアが反対側から
(えっ?)
「きゃっ!?」
目の前の世界がひっくり返り、体に
気が付くと、
「貴様がレリンだな」
頭上で
レリンが親の敵でもあるかのような、明らかな殺意を
ぐっとレリンの後頭部が
「待ちなさい、ジオ! 誰が引きずり倒せと言ったの!」
(い、今の声は……?)
「ジェー……げほっ」
「
「やめろ、ジオ」
冷静な声。どこかで聞いたことのある、
とたん、レリンの体を押さえつけていた腕がすっと遠のいた。しかし拘束が解かれても、意識がもうろうとしていたレリンは、自力では立ち上がることすらできない。
そんなレリンの体を、別の腕が
両脇から腕を差し込まれ、上体を持ち上げられる。レリンの胸と床に
そのまま背中を支えられ、レリンは床に座り込む形で起き上がることができた。少しだけぶれる視界の向こうから、こちらに
「ジェーン……?」
「そうよ!……ああ、
今のジェーンは、いつも
ジェーンは心配顔でレリンの顔に
「ごめんなさいね、乱暴して……ジオドール、わたくしの話を聞いていなかったの!?」
「……レリンという少女が準備室にいるはずなので、連れてこいと」
「そうね。でも続けて、彼女はわたくしの友人だから話がしたい、とも言ったわよね?」
「それは……まあ、そうですが……」
ジェーンの
大柄な男性におびえるレリンに視線を
「……本当にごめんなさい、レリン。うちの
「……いえ、あの、それよりも……」
ジェーン。聖堂学校内にいる男性。騎士。
(これって、どういう状況?)
レリンの疑問を受け取ったジェーンは、ふーっと息をつく。
「……本当はもっと
「いえ、今聞くわ」
レリンははっきりと答えた。ジオドール、という男に引きずり倒されたのはなかなかショックな出来事だが、だいぶ気持ちも落ち着いてきた。ジェーンに叱責されたからかジオドールは部屋の
(……ん? この、私の体を支える腕は?)
ゆっくり、振り返る。何も言わずレリンを支えてくれていた人も、レリンを見下ろしてくる。
──もう、話すことなんてないと思っていた。
「王子様……?」
「おや、またそのように呼んでくれましたね」
またしても彼を「王子様」呼びしてしまったレリンだが、対する彼は頰を
先日、校内の広場で出会った「黒騎士団」の青年。ハンカチを拾ってくれた
(……わ、私、「王子様」に抱えられている!?)
「も、申し訳ありません!」
慌てて彼と
「このままで構いません。……どうか、彼女の話を」
「あ……」
「王子様」再来の
急ぎ姿勢を正すレリンだが、ジェーンは無視されて
「……ふふ。やっぱりあなたでよかったわ」
「……私?」
「そう。わたくしはあなたに、お願いしたいことがあるの」
ジェーンの
「わたくしはあなたのような人がほしかったのよ。だから、伝えるわ。……わたくしの本当の名は、ジェーンではないの」
ジェーンは──
「わたくしは、ルディア・レイ・ステイラー。フランチェスカ王国第二十三代女王メルテルの
ルディア。王国の王女で、次期女王の座を約束された王太子。
取り巻きに囲まれているはずの王女が、平民である自分ではお目に
(ジェーンが……王女様……?)
レリンは目を瞬かせた。どうやらジェーンはとてもおもしろいジョークを言っているようだ。
「
「貴様!
「黙ってろ、ジオ。姫様たちの
「フォルスの言う通りよ。ちょっと黙ってて、ジオ」
ジオドールと、フォルスと呼ばれた「王子様」が言い合っている。だが彼らの言葉が、これが夢でも噓でもない、真実であると告げていた。
ジェーン──「姫様」と呼ばれた少女はレリンの言葉に気を悪くした様子もなく、「本当よ」と微笑む。
「まあ、すぐに信じろという方が難しいわね。でも、これは真実。わたくしはいろいろと事情があって、聖堂学校に編入した。
「王女様に、私が……?」
まだどことなくぼんやりとしたまま、レリンは問う。
(王女様が私を必要とするなんて……あり得ないわ)
レリンがまだ
「もー、本当だって。お城とかでは
「で、でもそうだとしても、どうして王女様が私を?」
「ん、理由はいろいろよ。でも、王女が
レリンは目を
(王女様に、平民の友だちが必要……)
ルディアは、
だが、王女はレリンを必要としている。部下や使用人としてではなくて、友だちとして。
ルディアは微笑む。
「わたくしは、これから先もあなたのよき友でいたい。いつものように
「なっ! 姫様のそのお怪我は、この女が──」
「もうおまえ
言い合いをする男二人には目もくれず、ルディアは
「……今はまだ、全てを語ることはできない。でも、どうかこれからもあなたのクラスメートでいさせてほしい。……あなたをわたくしたちの問題に巻き込ませることは、決してしないわ」
「王女様……」
「私のことは、これからもジェーンと呼んで。今くらいは、ただの女子生徒でいたいからね」
そう言って
レリンはフランチェスカ王国国民である。
だとすれば、王女ルディアの願いを受け入れ、彼女の友としてこれからも生活することがレリンの、国民としての義務である。
(……ううん、義務だけじゃない)
レリンは、気づいていた。
先ほどからルディアは、笑う時にほんの少し寂しそうにしている。王女の命令ではあるが、レリンに
(私は、ジェーンと共にいたい)
それが、レリンの願いでもあるから。
「……分かりました──いえ、分かったわ、ジェーン」
「……ありがとう、レリン」
王女はほっと息をつき、その
差し出された手を、迷うことなく
握った手の指には、あちこち包帯が巻かれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます