第4話


 ジェーンが編入してきて、半月ほどった。

 不思議な少女ジェーンはあっという間に同級生にみ、ヨランダたちともおしやべりする姿が見られるようになった。一方、単独行動を取ることもあり、一人でふらふらとろうを歩く姿もしばしばもくげきされる。

 明るく活発な彼女だが、さいほうの上達に関してはまだまだ厳しいものがあった。

「とても独創的なのだけど、評価の材料にするのは難しいってさ」

 席にもどってきたジェーンは、たった今返へんきやくされたばかりの自作品を目の高さにかかげ、首をひねっている。

「私としては、とってもいい出来なんだけどなぁ。レリンはどう思う?」

「えっ」

 意見を求められたレリンは、返答にきゆうした。

 ここ十数日のレリンの努力により、ジェーンの作品は糸の固まりになることなく、なんとかハンカチとしての原形を保てるようになっていた。

 しかし。

(どうやったらこんなに糸が飛び出るの……? 玉結びはきよだいだし、びてるし──この黒い水玉模様って、血だよね?)

 そっと、隣の席のジェーンを見る。満面の笑みでレリンの評価を待つジェーンの左手の指には、包帯が巻かれている。何度も指をすので、その都度レリンが手当てをしてやっているのだ。いちいちきようだんまで救急用品を取りに行くのもめんどうなので、今ではレリンとジェーンのテーブルのわきに、小さな救急箱を置いておくようにしていた。

 そんなジェーンこんしんの作品は、シスター・イデアが返却する気持ちもよく分かる、たいへん前衛的ないつぴんであった。

「……うん、まあ、今まで見たことないようなざんしんなデザインね」

「うふふ、ありがとう! ここまで作れるようになったのはレリンのおかげだからね。それ、シスターには返されちゃったし、よかったらもらってくれる?」

 言葉にまったのは、いつしゆんだけだった。

 ジェーンは、自分の裁縫のうでまえかいめつ的である自覚はないようだ。だが彼女は一度始めたことをちゆうで投げ出したり、やけになったりしない。糸がほつれ、布が伸びながらも、文字通り血とあせで作ったジェーンの渾身の作品なのだ。受け取らない理由はない。

 すぐにレリンは笑顔になり、ハンカチを受け取った。デザインがはじけているだけでなく、異様に重い。糸を大量に使ったからだろうか。

「ええ、もちろん。大切に持っておくわ」

「できたら毎日、きに使ってね!」

 さすがにその言葉には、だくの返事をすることはできなかった。


 裁縫の授業が終わり、レリンとジェーンは並んで教室を出た。

 のんびり廊下を歩くレリンたちの脇を、「今日提出の課題がー!」とぜつきようしながらもうスピードでヨランダたちがけていく。廊下を走るのはごはつなのだが、彼女らは一刻も早く図書館に行きたいのだろう。レリンはヨランダたちのじやにならないように道をゆずった──のだが。

「あっ……!」

 裁縫箱の上にせていたジェーンのハンカチが落下する。つう、ハンカチが落ちたくらいなら音はしないはずだが、このハンカチは落ちたときにコトンと音がした。重量があるあかしだ。

 ハンカチを拾おうと、レリンはその場にしゃがむ。それに気づいたジェーンも足を止め、り返った──が。

 ──ぐしゃり、とレリンの目と鼻の先で、ジェーンのハンカチがみにじられた。

「あら……いやだわ、ぞうきんを踏んでしまいました」

 おほほ、と頭上で響く高笑い。おそるおそる視線を上げたレリンは、自分を見下ろす女子生徒とばっちり目線を合わせてしまう。

 とたん、どくっ──と心臓が大きくはくどうし、直後には冷水を浴びせられたかのように体中がふるえてくる。

(貴族の、おじようさまだ……!)

 ハンカチに気を取られて、彼女らが接近していることに気づかなかった。いつもならすぐさま道を空けて、面倒事に巻き込まれないよう自衛に努めるのに。

 レリンよりひとつかふたつほど学年が上だろう、あでやかなぼうの女子生徒。彼女は取り巻きの友人たちがくすくす笑う中、ぐりぐりとハンカチを踏みつけてくる。その行動で、彼女がぐうぜんハンカチを踏んだのではないことが分かった。

「……立って。行こう、レリン」

 その場に固まってしまったレリンのかたに、温かい手の平がれる。ささやいてくるジェーンの声も、いつもより少しだけこわばっているように感じられた。

「あれなら、もういいから」

 づかうようなジェーンの声。だが今はその言葉に、なおうなずくことができなかった。

「……よく、ない」

「え?」

 ──立ち向かうのは、こわい。体が震える。

 でも──どうして、あのハンカチを見捨てられるだろうか。

 指を何度も刺しながら、傷をこしらえながら、ジェーンがいつしようけんめい作ったものなのに。

 震える己の体をしつし、レリンはくちびるみしめてれいじように向かってこうべを垂れた。

 ──レリンの行動に、周りにいた者たちがざわめく。

「申し訳、ありません。どうか……それを返してください。大切なものなのです」

「はい?……このような雑巾が?」

 令嬢も、まさかレリンが頭を下げてまでしてハンカチの返却を求めるとは思わなかったのだろう。声がじやつかん裏返っている。

「っ、はい! お願いします!」

「…………鹿みたい。行くわよ、みんな

 たんそくと共に、足が退かれる。興をがれた令嬢が取り巻きと共に去っていくのには目もくれず、レリンはボロボロになったハンカチをそっと手に取った。

(ひどいどろ……でも、よかった。穴は空いてないし、大きな解れもなさそう)

 これくらいなら、軽く手洗いすればだいじようだろう。

 ほっと息をついて立ち上がったレリンだが、かたわらに立っていたジェーンはまどったようにまゆを寄せていた。

「……レリン、そこまでしてくれなくてよかったのに」

「ううん……ごめんなさい、ジェーン」

「ん? なんで謝るの?」

「……言い返せなかった」

 ──雑巾、とジェーンのハンカチをなじった令嬢。

ちがう、と言えなかった……)

 それは雑巾なんかじゃない、と言えなかった。これでは令嬢と同じように、レリンもまたジェーンの渾身の作品を馬鹿にしたことになる。

 レリンの思いを察したジェーンが、息をんだ。ぶかかぶったフードの奥で、赤茶色の目が見開かれている。

「何を言っているの!……私一人ならなんとでもしてやったけど、レリンはそうもいかないじゃない。それに、あんな連中に頭を下げるくらいなら、ハンカチ一枚くらい見捨ててくれてもいいのよ! 私だって、それがレリンたちのよりおまつなのは分かってる。言い返す必要なんて、もともとないのに!」

 まなじりを決して、ジェーンは声高く主張する。貴族の令嬢を「あんな連中」なんて呼ぶのもすえおそろしいことだが、それでもやはり、ジェーンの言葉に頷けなかった。

(私に、もっと勇気があれば)

 もっと勇気があったら。嫌なことは嫌と言い、じんに立ち向かえるほどの力があったなら。

(いろいろなことが、もっとうまくいったのに)


 とぼとぼと歩き去っていくレリンの背中を、ジェーンはしばし見つめていた。やがて、そのみずみずしい唇のはしが持ち上がる。

「……やっぱり、あなたがいいわ。レリン」

 フードにかくれて周りの者には見えないが、そうつぶやいた時のジェーンは何かをたくらむような、不敵なみをかべていた。

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