第2話


 レリンは針を進めていた。今日の課題は、綿めんのハンカチ製作。

 教師が指示した通りのハンカチができたならば、残りの時間でステッチを入れてもいいということになった。ぜん、やる気がいてくる。

「……もしもーし。お隣、いいかしら?」

 レリンはこの裁縫の授業を受講する誰より、作業が速い。速さだけでなく、縫製や糸の始末など、クラスメートのはんとなっている。しいや歌唱など、ほかの授業ではよくても平均点といったレリンがゆいいつ首席を取れる、大好きな科目だった。

「えーっと、こんにちはー。隣、座ってもいいですか?」

「……え?」

 ポンポンとかたを叩かれたので、レリンは目をまたたかせて顔を上げる。どこからか声がしているな、とは思っていたが、自分に向かって呼びかけられていたとは。

 そこには見慣れない少女が立っていた。真新しい裁縫箱を大切そうに胸にかかえており、制服のフードをぶかかぶっているので顔立ちはうまく読み取れない。彼女が小首をかしげると、フードのすきから三つ編みにした金色の髪の毛がこぼれ落ちてきた。

「初めまして。私、今日から裁縫の授業を受けるの。シスター・イデアから、あなたに教わるといいと言われて」

 シスター・イデアとは、今教きようだんで別の少女にい方を教えている教師のことだ。四十代くらいの落ち着いた女性で、裁縫が大好きなレリンは今までにも何度も、シスターの世話になっていた。彼女からのすいせんとあらば、断る理由はない。

 レリンは体ごと少女の方に向け、となりの席の椅子を引いた。

「そういうことなら……隣、どうぞ」

「ありがとう! 私、ジェーンっていうの」

 ぴょんとねるようにレリンの隣に着席した少女は、はずむ声で自己紹しようかいした。校内の規則にのつとり、自己紹介の際に家名は名乗らない。貴族と平民のかきを取りはらおうという方針のためだ。

 この教室の机は、二人がけられる長机だ。ジェーンのエリアまで進出していた自分の道具を引き寄せていると、ジェーンがにこにこと話しかけてくる。

「私ね、今日編入してきたばかりなの。それでね、裁縫の教室がどこにあるのか分からなくって、迷ってこくしちゃったの」

 えへへ、と舌を出して笑うジェーン。

 編入生、知らない少女、ということで最初こそまどっていたレリンだが、じようぜつひとなつっこいジェーンの様子に、すぐに肩の力をいた。

(明るい子……私と同い年なんだよね……?)

「そうだったの……私はレリン。よろしくお願いします」

「レリンね。こちらこそ、よろしく!」

 差し出された手を、レリンは迷わず取った。

 その手は、レリンが思っていた以上になめらかで小さかった。


 シスター・イデアがレリンをジェーンの「お世話係」に任命した理由は、ジェーンの手先を見ていれば──いな、それ以前に「どうやって開けるのかしら?」と裁縫箱を上下にすって開けようとする姿を見ればすぐに分かった。

 針に糸を通す方法、型紙通りに布をはさみつ方法など、の基礎からていねいに教えていく必要がある。いざ作業を始めると、縫ったそばから糸が抜け落ちていく。玉結びを教えると、「なんてすばらしい発想なの!」と大いに喜んでいた。

 レリンは作業が速いので、隣でジェーンの補助をすることができる。これをシスター一人に任せると確かに、骨も折れるし他の生徒のめんどうを見られなくなるだろう。

 しかしジェーンは不器用なのか、丸一時間かけてもまともに直線縫いすることもできなかった。他のクラスメートは、とっくに課題を完成させているというのに。

「私ね、おさいほうって今まで一度もやったことがなくって」

 授業後、ジェーンはあっけらかんと教えてくれた。しやべりながら片づけをしているので、裁縫箱の中がごちゃ混ぜになっている。当然、これではふたを閉められそうにない。

「私、家の都合でなかなかここに入学できなかったのよ」

「ジェーンは王都にお住まいなのですか?」

「そんなかたくるしいことづかいしなくていいわよー。……そう、私は王都生まれの王都育ち。今までは、実家の仕事を手伝っていたの」

 子どもが入学可能年ねんれいになっても、入学金や授業料が足りない場合は資金にゆうができてから編入させるし、実家が商家の場合は経営の手伝いでいそがしい時期を外して、おくれて編入することもある。平民のむすめが編入してくるのはめずらしいことではないので、ジェーンのい立ちについても「そういうものか」と、レリンはなつとくした。


 ルディア王女が編入するといううわさは、生徒たちの間でひそやかに流れていった。きっとうそだ、いや本当だ、と仲間同士で議論する者もいたのだがある日、「ルディア・レイ・ステイラー殿でんの編入について」の告知がされ、噂が真実であったと証明された。

 編入当日は午前中の授業がすべて休講になった。別に授業をしても構わないのだが、生徒たちは王女おしの行列を見に行くのでどうせ授業が成り立たないだろう、という学校側の判断ゆえだったそうだ。

「レリンは本当にいいの?」

「ええ。なんだかもみくちゃにされて、でもしそうだから」

 レリンはしようして、ヨランダたちを見送った。

 ヨランダたちはこれから、王女のお越し行列を見に行くのだという。今朝から学校内は王女おむかえの準備万ばんたんで、王女が通るろうは立ち入り禁止のロープが引かれている。それでも皆は王女の姿をひと目でも見ようと廊下にさつとうしていた。休講の判断はけんめいだったということだ。

(ヨランダにはああ言ったけれど、本当はちょっとだけ、見たかったかも。……ドレス)

 自室にもどったレリンは、の上でひざを抱える。

王家御ようたし「ロイヤル・クチュリエール」のマダム・ローレルこんしん作という、一級品のドレス! 見たいけれど……)

 レリンはりようの自室の窓から開放廊下を見下ろした。そこは遠目でも、女子生徒集団でごった返しているのがよく分かる。

 最前列争そうだつ戦に負けた生徒たちがぺいっと列からはじき出され、もみくちゃになりながらひとみの中に消えていく。今日ばかりは、せいれんな聖堂学校も何もあったものではない。

「……うん、無理だ」

 午後からは通常授業が始まる──はずだ。楽しみな裁縫の授業もある。これだけは休講にならなくて本当によかった。

 しばらく椅子の上でため息をついた後、裁縫箱をかばんに入れた。自室で大人しく裁縫してもいいのだが、今日は天気もいいのでせっかくだから外で日光を浴びながら作業したい。

 人混みで混雑する廊下をけて中庭に降り、レリンは一人、秋色に染まる小道を歩く。二年前、入学したてのころは校舎のしろりのかべがんじような鉄製のめんごうが、まるでかんごくのように思われてこわかったものだ。

 校舎を壁伝いに進むと、ブーツが地面に降り積もった落ち葉をみしめる。ここしばらくは天気もよいので落ち葉はからりとかわいており、さくさくと軽快な音がした。赤や黄色の落ち葉にいろどられた小道はさながら、おしゃれなカーペットのようだ。

 この小道を抜けた先の中庭は、ほかの広い中庭よりは日当たりが悪い。貴族生まれの生徒が日当たりのいい中庭を使うので、レリンのような生徒はこちらの中庭でくつろぐことが多かった。

「もしもし、だれかいらっしゃい……ませんね、よし」

 一応声は掛けたが、誰もいない。好条件だ。

 ベンチのわきとうかんかくに生えた広葉樹は、夏場はかげを作ってくれる有りがたい存在だったが、今は落ち葉を大量に落としている。レリンはベンチにこんもり積もる落ち葉をはらいのけてこしけ、裁縫セットを広げた。

 今日の授業用の課題はすでに仕上がっている。そのため今は、余り布を使ってパッチワークを作っていた。生徒用の布にはそれほど余裕はないのだが、シスター・イデアにお願いすると用の余り布をゆずってくれる。れでは衣類やハンカチを縫うことは難しいが、パッチワークでクッションカバーやとんの上掛けを作ることができる。

「布団……そうだ、まくらカバー、そろそろ新調したいな」

 つぶやきつつ、きれいに折りたたんでいた作りかけのパッチワークを目の前で広げ、模様をかくにんする。譲ってもらった布の色や素材はまちまちなので、思った通りのがらを作るのは難しい。難しいが、あたえられた布や糸を使し、どのように活用しようかと考えるのもまた楽しい。

「秋……落ち葉、赤、黄色……いいかも」

 ちょうど、先ほど払い落とした落ち葉のように。落ち葉と一言で言っても、赤や黄色、オレンジ色に緑が残った色など、様々だ。イメージがふくらみ、自然とレリンの口元がみを形作る。

 こうやって、思いの向くままに針を進めるのが好きだ。もちろん、授業で課題を仕上げるというのも創作意欲をげきされるが、のんびりと過ごしたいときは自分のその時の気分や好みに応じたものを作りたい。

 裁縫をしていれば、余計なことを考えずに済む。

 そう、余計なことを──


『あら、あんたにしてはいいものを作ってるじゃないの! しなさい、これなら店に出せそうだわ!』

 どうして。それはいつしようけんめい作ったものなのに。どうして持っていくの?

『……何なの、その目? 養子のくせに、生意気な!』

 あくしゆほうしよくひんかざられた手が、レリンから布をうばおうとする。

 レリンは泣いてていこうする。返して、返してとうつたえる。

『おだまり! さっさと次のを作りな! きたない手でこれ以上触さわるんじゃないよ!』

 必死にばした手は、無情にも打ち払われる。泣いてもさけんでも、一生懸命作ったパッチワークは戻ってこない。

 代わりに与えられたのは、製図用の定規によるれいてついちげきで──


「あれ、レリン?」

 のほほんとした明るい声が、暗いもやり払う。

 レリンは目をまたたかせ、顔を上げた。やわらかな秋の日光が差す中、とことこと歩いてきたのは、頭からすっぽりフードをかぶった少女。

「ごきげんよー。日向ひなたぼっこ中?」

 間延びした喋り方は、彼女のとくちようでもある。目元はフードでかげになっているが、くちびるが笑っていた。

 ひらひらと手を振りながらやって来る彼女を見ているととたんに、まくの奥でがなり立てていた女性のり声がかき消え、胸に温かな熱がともる。

 レリンはこわばっていたほおゆるめ、少女に微笑ほほえみを返した。

「こんにちは、ジェーン。……午前中は休講だしいい天気だから、お外で裁縫の練習をしようと思って。……ジェーンは? ルディア様を見に行かなくていいの?」

「ん? 興味ないから」

「ないの?」

「わざわざ見に行かなくても、これから学校でいくらでも見られるでしょう? それに私、あんな人混みの中にっ込む気力はないし」

「ああ、それは私も。ヨランダたちにさそわれたけれど、おじようさまたちにね飛ばされそうで……」

「だよね」

 レリンのとなりに腰掛けたジェーンが、レリンの顔を見上げて笑う。笑うと、みずみずしい唇のすきから真っ白な歯がのぞいた。

(ジェーンは、不思議な子)

 とてもひとなつっこく、さいほう教室の他のクラスメートにも積極的に話しかけていく。裁縫の才能がなかなか上達しない彼女だが、失敗しても指をしても、いつも楽しそうに笑っている。

 それでいて、気が強い。彼女は現在の聖堂学校の、「平民の生徒は貴族の生徒に道を譲る」などといった風習を快く思っておらず、編入して十日程度だというのにさつそくあちこちで貴族の女子生徒としようとつり返している問題児である。一昨日おとといは、平民の女子生徒が上級生の貴族の令嬢になんくせを付けられている現場にとつげきし、貴族相手に勇ましくたんを切っていた。

 レリンはゆかに座り込んでぼろぼろ泣く下級生を見かねて助け起こしたのだが、かといって貴族の令嬢に物申せるだけの勇気も勝算もなかった。

 そこへジェーンがけつけた。

 ジェーンはレリンと下級生を背にかばい、「貴族は平民を守るものではないのか」「これはメルテル陛下のご意思に反することだ」と正論を並べ立てたのだ。

 最初はジェーンを張り飛ばさんばかりの勢いだった相手も、「女王の思想に逆らう」と言われると額に青筋を立てつつ、退散していった。女王メルテルは貴族相手でも、おのれの臣下にふさわしくないと判断した場合はそつこく切り捨てる。そういう人間であると、貴族だからこそよく理解していたのだろう。

 そういうわけでジェーンは早速貴族の生徒たちに目を付けられてしまい、昨日はついにどこぞの令嬢に裁縫授業の後で呼びだされていった。レリンはヨランダたちといつしよにひやひやしながら待った。そして十数分後にもどってきたジェーンは、「話がつまらないからげてきた」とけろっとして答え、レリンたちをぎようてんさせたものだ。

(ジェーンは、強い)

 体の中に清らかな光を宿しており、周りの者たちにそのぬくもりをしみなく分け与えるような少女。真っぐな心を持つがちょっぴりぼうで、見ているとはらはらしてしまう。

 彼女の側にいると、レリンまで温かな気持ちになれる。

 ジェーンの声を聞いていると、体にみこんだやみが、せいが、激痛が、いやされていく。

 レリンはジェーンに気づかれないよう、ぎゅっと自分のうでつかむ。制服にかくされたはだ。そこに刻まれたきずあとは、誰にも見せるわけにはいかない。

 あと数年、まんすれば。約束を果たせば、レリンはあの家から解放されるのだから──

 レリンはけんしわを寄せ、ささっと糸の処理をした。

「おっ、ばやい玉留め。やめちゃうの?」

「ええ、別のことを考えていると、思い通りの形にならないから」

「そういうもんなんだ……」

 ジェーンの視線を浴びつつ、レリンが糸切りばさみで木綿糸を切断した直後。

 ──ひゅっ、と悪戯いたずらな秋の風が背後からき付けてきた。

「あっ」

「おっ」

 並んで座るレリンとジェーンの間に、するどい風が吹く。風はベンチに置いていたレリンの裁縫箱の中をあさり、数枚の布地をふわりふわりと宙に巻き上げた。二人が見上げる中、青い秋晴れの空に様々な色の布地がう。

「わー、見事に飛んだね」

「そ、そうね!……ごめんなさい、ジェーン! ちょっと回収するの手伝って!」

りようかい!」

 ジェーンはいやな顔一つせずりようしようしてベンチから降り、地面に落下した布を拾い上げていく。

 彼女の周りに落ちているのは、ほとんどが端切れ。先ほどまで作っていたパッチワークは重量があるからか、飛ばずに済んだ。

(……あっ、しゆうを入れたハンカチ……)

 はっとして裁縫箱を見るが、そこにはほとんど何も残っていない。箱の底の方に作りかけの刺繡入りハンカチを入れていたはずだ。刺繡の授業を受講できないため、独学による作品だ。

 それも、ない。

 さあっと青ざめたレリンの背後で、ジェーンが声を上げた。

「おっ、あっちに一枚行ったよ、レリン。あのサイズは……ハンカチかな?」

「っ、ありがとう、取ってくるわ!」

「はーい!」

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