第8話
あさきちはオカンが朝拾ってきた猫だ。
側溝で鳴いているのを発見して家に連れてきた。
当時でどれくらいかは分からないが、おそらく1ヶ月かそこらの仔猫だった。
仔猫はおろか猫の飼い方も知らない私たちは、インターネッツで調べたとおりまず病院に連れて行った。
そこで先生に「これは猫ではなくて、ラットの骨格標本だ」と言われるほどに、あさきちはやせ細っていた。
最初オカンは自分が拾ったのは猫ではなくねずみだったのか、と驚いた。物の例えだとわかって、皮肉を込めて名前はラット朝吉と名付けた。
あさきちは仔猫用のミルクを哺乳瓶で与えて育てた。
ミルクの後に体をさすってゲップさせたし、おしっこやウンチも下半身をティッシュで刺激して排泄させた。
というわけで、あさきちの経験もあって仔猫の世話は大丈夫だろうと考えていた。
そもそもルナという母猫がいるのだから、お世話は全部任せればいい。私たちは子育ての環境を整えることに専念した。
ルナはもともと寝床にしていたソファーを巣に決めたようだ。仔猫たちが転げ落ちないようにタライのような形の猫クッションを用意したら仔猫5匹と親猫でちょうどいい感じに収まった。
「仔猫たちの目は何色かしら?ルナちゃんと同じ綺麗なブルーだといいわねえ。」
オカンはまだ目も開いていない仔猫たちを眺めながら楽しげに言った。ちょっと前まで猫が増えて寝込んでいたが、里親の心配がなくなったので大分落ち着いたようだった。
ルナの目は銀色にも見える澄んだ青だった。オカンは白くて青い目をしたルナが、他の2匹と違って洋猫なのを気に入っていた。
「白い猫と言えば、あの猫が気になるわ。猫ハウスよりちょっといったところにある家の猫。あの猫はルナちゃんに似てた気がするのよ。」
オカンはある猫の話をしだした。
猫ハウスより長い散歩コースとなると、あまり私とニコラスは行かないのだが、確かに白い猫がいたような気がする。
「あの大きな犬を散歩させてるおじさんの家の猫?」
私が思い当たることを言うと、そうそうとオカンは相づちをうつ。
「あの白い猫はどんな目の色をしてるのかしらね。」
大きな犬を散歩させてるおじさんとは数回会ったかどうかだ。
あの大きな犬は吠えはしないのだが、牙を剥いてくるので私はちょっと怖くて近づけなかった。
そのおじさんが帰っていく家の玄関先にいる白い猫を見たかもしれない。
だめだ、思い出せない。
私が記憶を巡らせてるのをお構いなしにオカンはまた別の猫の話をしだした。
「以前ご近所の家に左右の目の色が違う猫がいたじゃない?あさちゃんと喧嘩してたあの猫。あれも素敵よねえ。」
思い出したようにオッドアイの猫の話をしだした。あさきちが縄張りに侵入してうなって追い返したことがある。オカンはその喧嘩をみて、猫とヤクザはよく似てい
る、と思ったそうだ。
「オッドアイ?」
私が何気なく口にした単語にオカンが反応した。よくアニメやゲームなどでは左右の目の色が違うキャラクターの説明にオッドアイと使われているので、気にして
いなかったがあまり一般的な言葉ではないのかもしれない。
私はタブレットで『オッドアイ』を検索する。
「『左右の目の色が異なることを、オッドアイと呼ぶ。「オッド」には不揃い、片方などの意味がる。日本では金眼銀眼といわれ縁起が良いとされる。』」
「ウチの仔猫たちの中にも金眼銀眼の子はいるかしらね?いたらいいわね?」
オカンは縁起物とうオッドアイに興味津々だ。結構珍しいものだろうから、そんな簡単には産まれないだろうと調べてみると。
「『白猫からオッドアイの猫が産まれる確率は25%です。』結構高いな?!」
調べたサイトを読み上げながら、意外な数字に思わず声を上げた。25%といったら4匹いれば、1匹はオッドアイということだ。
だけども、まだ仔猫たちは産まれて1週間も経っていない。
目はまだ開かない。
5匹の仔猫たちがどんな目の色をしているのか、私たちはとても楽しみにしていた。
そんなある日。
仕事がお休みで遅めに起きた私はリビングでテレビを点けた。とりあえず撮りためたアニメでも観よう。
オカンは出かけてるらしく姿が見えない。これは好都合。ゆっくり消化できる。
椅子に座ってソファーの『ルナの巣』に目をやる。
白いふわふわがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ。仔猫が5匹。
おや、ルナがいない、と私はすぐに気付く。
もともと外をぷらぷら散歩してお腹を膨らませるような猫だ。それは母猫になっても変わらないのだろう。
私は巣にいる仔猫たちにそっとタオルをかけた。
産まれたての仔猫は体温調節が上手くできない、仔猫同士で集まってぬくぬくと寝ていたが、母猫がいないと心配だ。
ともかく私はレコーダーを操作して、録画しておいた番組を再生しはじめる。
ためていたアニメを2本、3本と消化していく。
そして1時間がすぎようとしたころ、いよいよ私はこれはおかしいのでは気づき始めた。
母猫は、ルナはいつからいない?
すやすやと寝ている仔猫たちとテレビ画面を落ち着かない様子で交互にみる。
猫の授乳は3時間くらいの感覚で行われる。もうルナの姿を1時間以上みていない。
私はもしかしてルナがネグレストしてるのではないかと想像した。
レコーダーの停止ボタンを押して、私はリビングを出た。
家のどこかにいるのではと思い探したが、いたのはあさきちと八の字だけだった。
ルナがいない!
ようやく私は事態を把握する。ルナがいないのだ。
それも心配だがそれよりも心配なのは仔猫たちだ。
私はリビングに戻り巣を確認する。5匹ともまだ寝ている。だがもしかしたらお腹を空かしているのかもしれない。
今にもルナは帰ってくるのかもしれないし、帰ってこないのかもしれない。
私がおろおろと家の中を落ち着きなくうろついていると
(暇なんなら散歩に連れていけあああああああ!!!)
わんわん!とニコラスが吠え始める。
ニコラスは普段お昼寝をしている時間だったが、私が休みだと察して散歩を催促してきた。
いや、散歩どころじゃない。と思ったが、すぐにその考えを改める。
私は休日はあまり外に出ない。外出するには理由が必要だ。
『仔猫用のミルクを買いに行く。』という理由でいいのだが、もしかしたらルナが帰ってくるかもしれない。という楽観的思考が邪魔して行動に移せないでいた。
『ニコラスの散歩に行く。』ならいつものルーチンだ。
よし、でかけよう。私は決心した。
ニコラスをサークルからだし、首輪をはめリードを付ける。
財布を持ち、車の鍵をポケットに突っ込み、ニコラスと一緒に車に乗り込んだ。
ニコラスは乗り物が好きだ。休日はニコラスとドライブして買い物に行ったりする。
だので、これはいつものだ。まだ、非常事態ではない。落ち着いていこう。
私は自分に言い聞かせる。
ニコラスは助手席でブンブン尻尾を振っている。
さあドライブだ。いつもペット用品を買いに行くペットショップに出かけよう。
いつも我が家の動物のペットフードを買う大きなペットショップに到着すると。
私はニコラスと一緒に入店して目当ての「子猫用のミルク」を探し出す。
ルナの上等な餌があるあたりにあるだろうと思っていたらアテが外れた。
仔猫の餌は割と多種多様に揃っているのだが、存外ミルクがない。
犬猫用の紙パックに入った牛乳は見つかったが、昔あさきちに与えたあの粉ミルクがなかなか見つからない。
ニコラスと店内をぐるぐると回ってようやくみつけた。
それは大きめの缶詰で、言ってしまえば人間の赤ちゃんの粉ミルクと同じような感じのものだった。
犬用と猫用のコーナーの中間あたりに両方が一緒に陳列されていたので見逃していた。
これだこれだ。早く買って帰って仔猫たちにご飯をあげなくてはいけない。
私はその缶を手に取って「うっ」と小さく呻いた。
ミルクの値段は2000円程、そして哺乳瓶が700円程。
うお、粉ミルクってこんな高かったか?
仔猫のミルクは大きなサイズのそれだけだった。もっと小さいのがあると勝手に思っていたので面食らった。
ミルクを探すのに結構な時間をかけてしまった。もしかしたらもうルナは帰ってきているのでは・・・
そんな思いが頭をよぎるが、私はそれを頭を左右に振って払う。
いやいや、ここまできてまだそんな希望的観測で考えてどうする。
粉ミルクと哺乳瓶を持ってレジに向かい精算し、大急ぎで家に帰る。
助手席でドライブを楽しむニコラスをみながら
できたらルナがもう家にいてくれたらいいのになあ、とまだそんな風に考えていた。
果たして帰宅しても、まだルナはいなかった。
よかった、いや、よくない。全然よくない。ルナのやつは本当にどこにいったんだ?
そっちも心配だが、今は仔猫たちだ。
きっとお腹を空かせているはず・・・と思ったが、意外とすやすやと穏やかに寝ていた。
だがもしかしたら腹ペコで寝ているのかもしれない。
私はもうとにかく仔猫にミルクを与えることが最善だと考え、容量を量ってミルクを作り始めた。
缶詰のプルタブを引っぺがえして蓋を開けると粉ミルクが姿をあらわした。コーヒーにいれたらなんか美味しそうな具合の粉だ。
それを缶に入っていたスプーンですくいとり哺乳瓶に入れ、お湯を注ぎ、人肌に冷ませばミルクの完成だ。
私は哺乳瓶に哺乳器のゴムを付け、1匹仔猫を巣から抱き上げた。
お腹を空かせているからきっとすぐに食いつくに違いない!
そう思って仔猫の口にゴムを押し付けるが飲むどころか吸い付きもしない。
おや、もしやお腹は空いていないのか。
いや、授乳の間隔は3,4時間。とっくにそんな時間は過ぎているはず。
まさか衰弱してしまっているのか?私は不安になりながら代わる代わる仔猫を抱き上げ哺乳器でミルクを与えようと試みる。
だが仔猫たちは誰もミルクを飲まなかった。
そんな馬鹿な、あさきちのときは夢中で飲んでたのに。
オロオロと私は狼狽え涙目になる。
このままでは仔猫たちが死んでしまう!
私はもう恐怖と不安に耐え切れなくなっていた。
そのとき
「ただいまー。」
オカンが帰ってきた。
オカンは私が仔猫に哺乳器を押し付けている様を見て驚く
「何してんの?あんたは?」
「いや、オカン!ルナがいないんだよ。」
私は今朝からルナがいないことを説明する。
「あら?私が出かけるときはいたんだけどな?で、何してんの?」
「仔猫にミルクあげてんだよ!!」
私は必死で答えると、それでわざわざ買ってきたの?とオカンは笑いながら私の手から哺乳器と仔猫を取ると、ミルクを飲ませ始めた。
「俺がやっても飲まなかったのに・・・あさきちと同じようにしたのに・・・」
手際よくミルクを飲ませるオカンに、羨望よりも嫉妬が勝り私がすねていると
「あんたが下手くそなのよ。赤ちゃんはとりあえず口に突っ込めば飲むもんなのよ。」
そんなもんなのか。私が感心してる間にオカンは次々と仔猫にミルクを与えていった。
満腹になった仔猫たちは再びすやすやと眠り始めた。
さて、仔猫が飢えてしまう心配はなくなった。
しかしまだルナは帰ってこない。
私たちは、かつてあさきちが行方不明になった時を思い出していた。
もしかしたらルナは自力で帰ってこれないかもしれない。
仔猫5匹を育てる覚悟をいよいよ決めなければとしていた。
結局ルナはその日帰ってこなかった。
だがしかし、翌日未明にルナは帰ってきた。
(大変!大変!すっかり道に迷っちゃったわ!)
ルナは慌てた様子で巣に飛び込んだという。
その一部始終を目撃したオカンはその様子をこう例えた。
「まるで不思議の国のアリスのうだぎのような慌てっぷりだったわ。」
なんやかんやでネグレスト騒動は終結した。
ちなみに私が買ってきたミルクは犬猫がおいしくいただきました。
間接的にではあるが仔猫たちにも飲んでもらえたのであった。
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