第7話

散歩に出て5分、近所の公園を抜けて用水路の方へ向かう。

ニコラスはそわそわしている私に構わず、いつものように匂いを嗅ぎながら楽しそうに散歩していた。

このあたりで猫地蔵の母と会うのが一番多かった。

だが気配がしない。

猫地蔵の母の気配を感じ取ると、ニコラスは一直線に走り始めるのだ。

それが今はない。

毎日会うわけではないし、ここ以外でも会うことはある。

そう上手くはいかないか、と諦めかけたその時

「あらあら、こんばんは。今日は早いのねえ。」

後ろから不意に話しかけられた。

私が会いたかった猫地蔵の母、その人である。

(こんばんは!!ごはんちょうだあああああああい!!)

ニコラスは猫地蔵の母に気が付くと、2本の後ろ足で立ち上がって短い前足を彼女の膝に押し当ててねだる。

「はいはい今ごはんあげるからね。ちょっと待ってね。」

猫地蔵の母はニコニコと笑いながら、いつもの調子でニコラスに餌を与えはじめた。

今だ、と思ったものの、よく考えたら「うちの猫が子供を産んだ」なんて突然赤の他人から言われても困るんじゃないか?

私はこの千載一遇のチャンスで、土壇場で、怖気づいてしまった。

言っておくが私はコミュニケーション障害ではない、と思う。

しかしちょっぴりコミュニケーションに対して臆病で小心者なのだ。

言うならば「コミュ小」とでも呼ぼうか。

まあコミュ小なのだ。

だがもうここで引き返すわけにはいかない。それぐらい今は非常事態なのだ。

「あ、あの、実は」

私はどもり気味に声を発した。猫地蔵の母は意外そうに私の顔をみた。

いつもならここで「さようなら、お休みなさい。またお会いしましょう」と別れるのだ。

「実は今朝うちで飼っている猫が子供を産んでしまいまして・・・」

「あらあらまあ、それは大変。避妊はしてなかったのね?何匹?」

「え、ええ。子猫だと思って避妊はしていなかったんです・・・5匹です。」

「まあまあ、それでどうなさるの?」

私はなんとかインターネッツや張り紙で里親を探すつもりだと話した。すると

「なら猫倉さんを頼るといいわ。あの方はすごいのよ。何匹も猫を保護されてるんだから。」

猫倉さん?と私が聞き返すと近所で小さい犬を飼っている人だと教えてくださった。

ああ、あの人か。ニコラスとの散歩で何度かお会いしてことがある。

だけどそんな猫の慈善活動をしている人が近所にいるなんて私は初耳だ。

「私から話しておくから今度ご自宅に行ってみるといいわ!」

彼女の気持ちはとてもありがたかったが、これはあくまでも私の家の問題だ。

これ以上知らない人に迷惑をかけることになりそうで、抵抗があった。

何より、私はコミュ小だ。

「・・・っ。ありがとうございます。でも、まずは自分で色々調べてみます。」

私はかなり落ち着いていた。起こった事を誰かに話すだけで、こんなにも気が楽になるものなのか。

私はお礼を述べて

「それで、もしもどうにもならなかったり、困ったことがあったら。そのときは猫倉さんとお話してみます。」

これからどうするか、とりあえず方針は決まった。

「あらそう。だけどいつでも話してくれて構わないわ。きっと力になれるわ!」

猫地蔵の母は「お母さん猫と仔猫ちゃんたちによろしく」と告げ、私たちと別れた。

散歩を再開し歩き始めた私の胸は高鳴っていた。

大丈夫だ。大丈夫、なんとかなる!

もうさっきまでの不安はなかった。

我が家を多頭飼育崩壊なんてさせない!

私の胸には勇気が湧いていた。


「というわけで、いざとなったら猫倉さんを訪ねればいいわけですよ、オカン。」

私たちが小一時間程の散歩を終え帰宅すると、オカンは回復していたので猫地蔵の母と話したことを教えた。

やはりオカンも猫倉さんのことは知っていた。

二人で話しているうちに、そういえばお家の前にたくさん猫の写真が貼ってあったことを思い出した。

なるほど、あそこは猫の駆け込み寺だったのか。

私はもういますぐにでも猫倉さんを頼るべきだと考えていた。

猫地蔵の母にはああ言ったが、それが最善だと思えたので私はオカンにこう言った。

「正直もう猫倉さんの家に行ってくればいいと思います。」

するとオカンは目を見開き

「ええ!私が?!!嫌よ!!!」

即答した。

オカンもコミュ小なのだ。知らない人の家に突然お邪魔するなんてできない。

しかしルナはオカンが保護した猫だ。オカンが一番頑張るのが道理である。

そう言っても渋るオカンを私が説得していると

(夜の散歩の時間ですよおおおおおおお!!!!)

ニコラスがバウバウと催促し始めた。

1日3回の散歩は私たちが決めたことではない。

彼が行きたいから行くのだ。というか3回以上行く日もある。

よって夕方の散歩に私が行っても、夜の散歩にも連れて行かなくてはならないのだ。

私は話を途中で切り上げて散歩に出発することにした。

そうして散歩していると、またも猫地蔵の母とお会いした。

すると彼女は嬉しそうに

「猫倉さんに猫ちゃんのこと話したら協力してくださるって!」

よかったね!と言ってくるが、私は鳩が豆鉄砲くったような顔で

「ええ?!あ!ありがとうございます?!」

あれ?話がさっきと違くない?と思いながらもなんとかお礼を言う。

なんか知らないうちに話が進んでいるぞ?

先ほどまで頭の中にあった里親探しのプランが一気に霧散する。

猫地蔵の母は先ほど私と別れたあとすぐに、猫倉さんの家に相談に行ったそうだ。

「また会えてよかったわあ!とにかく明日のお昼にでも訪ねてみるといいわ!」

何にせよ強力なネコのコネを手に入れたのだ。頼らない手はない。

私は家に帰ると、オカンにそのことを話した。

話が通ってるから大丈夫、と言ってもなお渋るオカンにウンザリしたが、気持ちは分かる。

でも私は仕事で家に昼間はいないから、オカンが行くしかないのだ。


そうして翌日、オカンは猫倉さんのご自宅に話をしに行った。

オカンが家の前で呼び鈴を押しても応答がなく、出直そうとしたときである。

家の前に車が止まった。

ちょうど猫倉さんが野良猫の保護活動から帰ってきたそうだ。

車からオカンより若干年上の女性が降りてきた。彼女が猫倉さんだった。

猫倉さんは、車から猫を入れたケージを下ろすとオカンに

「アンタかい?避妊もせずにメス猫を放し飼いにしたバカってのは!?」

そう言い放ったそうだ。初対面でバカとは失礼な、と思ったが実際そうだからぐうの音もでない。

「まあ産まれてしまったのはしょうがない!とりあえず2ヶ月だ!」

仔猫を子猫まで育てて欲しい、そこまで育てればいくらでも貰い手はいる。

そう言った。

世の中には「猫の予約」というのがあるらしい。

オトモのスカウト条件みたいなものだ。

猫倉さんのような猫保護活動団体に「こういう猫がいたら里親になりたい」と予約をするのだ。

模様や性格、性別などだが、ダントツで一番人気なのは「子猫」なのだそうだ。

子猫であればどんな模様でも種類でも構わない、そんな里親志願者が大勢いるのだ。

ペットショップで2歳3歳ましてや10歳の犬猫なんていないだろう、つまりそういうことだ。

飼うなら子供のころから育てたい、そんな人がたくさんいるのだ。

私だってそうだ。愚かしいとは思うが。

とりあえずオカンと猫倉さんはお互いの連絡先を交換した。

仔猫の色を1匹ずつ教えて欲しいと言われたので、「全部真っ白です。」と伝えると大変驚かれたそうだ。

5匹産まれて全部同じ毛色なのは大変珍しいことなのだそうだ。

とにかく仔猫たちの将来は心配なくなった。

あとは無事に育てるのみだ。

こうしてルナと私たちの子育てが始まるのであった。








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