第5話

「ああ!あわわ!70匹になってしまう!多頭飼育崩壊しちゃうううううう!!!」

昨日観た番組のシーンがフラッシュバックして、オカンは混乱を極めていた。

なんとか平静を保とうと、私に必死に説明する。

朝の4時頃、ルナが不安そうな声でにゃーにゃー鳴きだしたそうだ。

心配になって、背中をさすってやっていると、出産が始まってしまい今に至る。

オカンの手には、タオルにくるまれた白いおしぼりのような赤ちゃん猫がくーくーと寝ていた。

私は寝ぼけながらも呑気なものだと嘆息していると

「あ」

ソファーの上でうずくまるルナの背中が見えた。

そのお尻からは、赤黒いものがひり出されている。

「もう一匹こんにちは赤ちゃんしてるぞ。」

今は朝だから、おはようございますか。そんな冗談を言えるくらいには、私は目が覚めていた。

「・・・。これ、お願い。」

オカンはタオルごと赤ちゃん猫を私に押し付けてきた。

「!?ア!アワワワ!マ!マカセテ!」

突然のことに驚いたが、私はそれをしっかり受け取る。

生っぽい。生暖かいお肉の感触に慄く。

赤ちゃん猫を私に任せると、オカンはリードとエチケット袋を用意し始めた。

散歩の準備をするオカンを見て、ニコラスはサークルの中で弾む。

(おはようございます!散歩の時間だあああああああ!!!!)

喜ぶニコラスを出し、首輪とリードを装着し

「じゃあ朝の散歩に行ってくるわね。」

と、私に笑顔で言うので

「あ、ああ。いってらっしゃい。車に気をつけて。」

普通に見送ってしまった。

ガラガラぴしゃん。

オカンとニコラスが玄関を出て行く音を聞いて

「あ!」

私は完全に覚醒する。

「に、逃げやがった!!!」

手には産まれたての赤ちゃん猫。目の前には分娩中のルナ。

正直もう、私のキャパはすでに許容オーバーしていた。


さてどうしたものか。

私はゆっくりとルナに近寄る。そしてじっくりとその赤黒い物体を見やる。

ドラマだったらお湯を沸かしたりするよなあ、と思いながら、自分に何かできることはないか探す。

猫から猫が出てくるという生命の神秘、躍動は、ぶっちゃけグロい。

ふわふわの毛玉がお母さん猫からぽんぽこぽーん!

なんてファンシーなスペクタルは一切ない。

そこには必死に我が子をこの世界に誕生させんとする母猫と、一生懸命この世界に生まれ落ちようとする赤ちゃん猫の戦いがあった。

この世界は私たちに非情に厳しい。母猫にも赤ちゃん猫にも、世界は等しく試練を与える。

どちらかが少しでも力を抜けば、世界は容赦なくその命を奪っていくだろう。

自らを助く者を、神は助くのだ。何もしなければ、誰もがそのまま死んでしまう。

その様子を見ながら

私にできることなんて、見守ることだけだな。

無力な私はそう悟る。

二匹目の赤ちゃん猫を無事に出産すると、ルナは愛おしそうに舐め始めた。

『母猫は仔猫の鼻先を舐め、呼吸を促す』

私はタオルにくるまった赤ちゃん猫をルナの傍らにそっと返し、コーヒーを淹れ椅子に座り、タブレットで猫の出産について調べ始める。

ぺろぺろとルナが舐めていると

「んみゃああああああああ!」

と、産声が上がった。ようこそ世界へ。

ルナはまだぺろぺろと我が子の体を丁寧に舐め続ける。

誰に教えてもらったわけでもなく、ルナは自分がすべき事をわかっているようだった。

自分の体に何が起きているか分からず、不安がっていたが、ことが始まれば全ての手順を初めから知っていたかのように行動していた。

人間が慌てていることの、なんと滑稽なことよ。

不思議なものだ。DNAってすげー。

生命の神秘の営みに感動を覚えていると、ルナが赤黒い物体をガツガツと食べ始めた。

「??!!!!!!!?!!?????!!!!!!」

え?いま何を食べた?

え、え?赤ちゃん食べちゃった?

いたずらする子は食べちゃうぞ?

驚いてガタっと椅子から立ち上がると、ルナのそばには赤ちゃん猫は2匹いた。

ほっとして座り直す。めっちゃびっくりした。めっちゃグロかった。大変なものを目撃してしまった。

バクバクと早鐘を打つ胸を抑えながら、タブレットをスイスイと操作し得心する。

『娩出された胎盤は、栄養補給と巣の清掃をかねて、多くの母猫が食べる。(胎盤摂食)』

な!なるへそ~!今のは胎盤をむしゃむしゃ食べていたのね~!は~!なるへそ~!びっくりした~!

私は未だ体験したことのないショッキングな猫の行動に激しく動揺する。

思わず手を出しそうになったが、こういった後産期は邪魔してはいけないそうだ。インターネッツが言ってるんだから間違いない。

オカンは第一子を取り上げてしまったが、やはりあまり良くないのだ。

最悪自分の子供と認識せずに、育児放棄してしまう可能性があるらしい。


そうこう調べてるうちに、さらにルナは第三子を産み始めた。

ちょうどそのとき

ガラガラぴしゃん。

「ただいまー。」

と、オカンとニコラスが散歩から帰ってきた。

「ああ、うん。おかえりなさい。」

私は少し呆れながら、不機嫌そうに出迎え、

「現在進行形で出産は絶賛継続中だぞ、オカン。なに散歩いってますの?」

軽く糾弾する。

「だ、だって怖かったんだもん。」

なにがだもんだコンチクショー。

とりあえず、ニコラスがルナに近づいたら大変だ。

早々にサークルにお帰りいただく。

そのとき時計は午前9時を指していた。もうそろそろ私は出なければいけない。

オカンに出産時の注意を伝える。

胎盤摂食もジャマしないよう言うと

「中国だと怪しい漢方の材料よね~。」

などといつか見た海外ドラマのことを言い出した。

まあだいぶ落ち着いたようだ。なら安心だ。

「ええ?!まだ産んでるの?ひゃあ、何匹産まれるのよ!」

オカンは絶叫しつつも、余裕があるように感じた。面白くない。

私はタブレットに指をすべらし

「『ギネス記録は、18匹。』だってよ。」

意地悪に笑いながら読み上げた。

とにもかくにも、素人にはどうにもできない。

危険なようなら動物病院に行くよう言い残し、私は家を出た。


午後7時半頃、私が帰宅するとソファーに白いふわふわなクッションが置いてあった。

もうわかっているが、クッションではない。ルナとその子供たちだ。

今朝のようにもう体は濡れていなかった。

ふわふわな毛並みが呼吸とともに膨れたり縮んだりしていた。

「あのあとお昼の12時ごろまで出産は続きました。」

ソファーで寝ていたオカンが、のそりと起き上がる。

ルナの傍らには真っ白な毛玉がひーふーみー・・・五つ。

子供たちは5匹みんな体が真っ白だった。

こうして我が家に猫が5匹増えた。

多頭飼育崩壊の恐怖よりも、その可愛らしい仔猫の誕生を、祝福せずにはいられなかった。










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