第3話

ニコラスとの散歩は余程私の体調が悪くない限り行われる。

毎日ほぼ夜の散歩に行くのだ。

以前犬嫌いの方に「犬のフン持って帰れよ!!」と注意されたので

「ちゃんと回収してますよ。」とエチケット袋(中身入り)を見せたら

「ちっ!昼も夜もご苦労なことで!盆も正月もないんだな!!」と、すごい嫌味を言われたことがある。

ちょっとあんまりだったので、そのことを犬好きの方にお話したところ

「その人は馬鹿だね。犬に人間が決めた休日なんて意味がある訳ないじゃない。」

と、金言を授かった。なるほどなあ。

そう、犬に人間の都合など関係ないのである。

つまり新しい猫が来て飼い主がバタバタしてようと、彼の散歩にはなんの影響もないのだ。


私はその時期、ニコラスが他の散歩コースに行きたがっても、猫ハウスに行くように歩いていた。

「猫戦争」の経過を見るためだ。

詳細は省くが、掻い摘んで言うと東屋の猫の世話をしている人達と、近隣住民の猫トラブルだ。

どんどん増えていく注意書きの張り紙に、ご近所の方の苦悩が見て取れる。

しかしその甲斐もなく、猫ハウスに餌を与えに来る人たちが来なくなることはなかった。

私はその様子を野次馬根性で見物に行っていたのだ。

その日、私は正直内心ビクビクしていた。

もしも「猫を返せ!」なんて張り紙がたくさんあったらどうしよう?

おっかないなあと思いながらも、私は確認しないわけにはいかなかったのだ。

ルナが猫ハウスで(やり方はどうあれ)世話をしようとしている人がいるかどうかを。

猫ハウスがに近づくにつれ、見慣れた不気味な影が見えてくる。

猫お兄さんだ。

猫お兄さんは猫ハウスに立っていた。

やっぱりだ。先日まではやっぱり座ってルナを撫でていたんだ。私は確信する。

猫お兄さんの挙動はいつだって不可解だが、今日は明らかに挙動不審だ。

その場に立ったまま、あたりをキョロキョロと首だけ振って見回している。

直立不動で何かを探しているようだ。

私はもしも、彼が真剣にルナを探していて、まともに世話をしようとしているのが感じられたのならば、ルナを病院に連れていったことや、今は家で世話をしていることを伝えてもいいと考えていた。

だが猫ハウスには相変わらず

「猫に餌を上げないでください!」

「餌を与えるなら掃除をしてください!」

「猫を捨てないでください!」

そんな注意書きしか貼られていなかった。

なので私は悟る。

猫お兄さんは猫を愛でたいだけだな、と。

そしてぶっちゃけ怖いからとっとと帰りたい。

私がプロファイリングしながら猫ハウスを通り過ぎようとしたときだ。

一台の軽ワゴンが走ってきた。

その黒い軽が猫ハウスの前で停車すると、助手席側から年配の女性が降りてきた。

そして道路の真ん中に餌をザザーっと撒き始めたではないか。

私は仰天した。ルナを見つけた時よりもずっと。

こんなワイドショーで取り上げられるような光景はじめて見た。眼前で繰り広げられるそれに、非現実的なものを感じていた。

すると猫ハウス周辺から2匹の猫がまっしぐらに駆けてきた。

ガツガツ!カリカリ!と餌を貪る様子を満足げに見つめる夫婦。

私が唖然としていると

「たまー!」

私は再度仰天した。猫お兄さんが走ったのだ。

餌やり中の夫婦に猫お兄さんが駆け寄る。

「たま!タマ知リませんカ!!?」

彼は甲高い声を引っくり返しながら、必死に詰め寄る。

タマとはルナのことだろう。

名前を付けて、猫ハウスの住人で共有しているのだろうか?

やっぱりお話するべきだろうか、そうあれこれ私は考えながら、彼らの会話に耳をダンボにする。

「たま・・・?・・・。ああ・・・あの・・・?・・・白い猫?・・・・」

よく聞き取れないが、名前に思い当たることは無い様子だ。

じゃあやはり猫お兄さんが勝手にタマと呼んでると考えて良さそうだ。

そして彼らには面識がない。女性の反応はそう示していた。

年配の女性は驚きながらも彼と会話を続ける。私は少しでも情報が得られるのではと一歩近づく

「あの白い子猫のこと?10日前から姿を見るようになったわねえ。朝はいたような気がするけど。いなくなっちゃったの?」

彼女の声に耳が慣れてきた。先程より音を拾える。

てゆーか朝も餌撒いてるんかいアンタら。

有益な情報を得た。そして貴方たちは、私たちが唾棄する側の人種だ。

話すことはない。

足早にこの場を立ち去ろうとしたとき。

猫お兄さんと目が合った、気がした。

LED街灯の逆光で顔は見えないがそんな気がした。

暗闇に猫背気味に佇む風貌。

私は恐ろしくなって、平静を装いつつ、無関係な犬の散歩中の人間として猫ハウスを立ち去った。

翌日、猫ハウスを訪れると猫お兄さんは2匹の猫の写真を以前と同じようにゴツいカメラで撮影していた。

暗闇の中でパシャ、パシャ、とシャッター音がしていた。

それっきり、彼がタマを、つまりルナを探すことは一切なかった。


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