3-2
フゥイジンとダグはヤシの部屋で寝ることになった。ベッドが一つしかなく、最初はお互い譲り合おうとしなかったが、ダグがわーぎゃー騒ぐのでフゥイジンが堪らず折れる。うるさく騒がれる度に、いつこいつを追い払ってやろうかとか、なんで付いてきていいなんて言ったのかと、疲れと後悔を重ねるフゥイジン。理由について考えるも、記憶の隅に立っているあの小さな女の子の背中が、こちらを振り返ろうとする。あの子が振り向いてしまう前に、フゥイジンは借りた毛布に包まりながら、その埃臭い匂いを嗅いだ。思考に呑まれるのは俺らしくない。するとダグがフゥイジンを呼ぶ。
「まだ何か文句があるのか」
フゥイジンがうんざりしたような声で聞いた。
「あのさ、ヤシとサリヤに何か手伝いとか、できないのか?」
絶対に来ると思っていた質問から、あまりにも単純でわかりやすいダグの性格に呆れるフゥイジン。
「奇形の問題も金の問題も、この町とあいつらの関係も、俺にはどうする事もできねぇぞ」
フゥイジンの答えに返事をするでもなく、ダグは考えるようにしてそのまま眠りに落ちていった。
ヤシはサリヤの部屋で見張りも兼ねて一緒に寝ていた。すぅすぅと寝息をたてる妹の鼻面を撫でてやると、ムズムズとくすぐったそうに動く。こうしてかわいい妹の仕草を見ていると、この子が人を襲ったことが嘘のように思えてくる。父を物心つく前に亡くし、その分懸命に働いていた母を一緒に支えてきた。母を亡くした後、奇形の医者を探そうと提案し、説得したのはヤシの方であった。控えめで大人しい上に、奇形であることから色々な目線や言葉を向けられてきたサリヤは、人を怖がる。きっと故郷から出るのも怖かった事だろう。しかし、サリヤは付いてきてくれた。本当の所自分は、このまま汚染により廃れてゆく故郷で父や母のように病気になり、何もせずに死んでいくことを恐れていた。生きる理由と目的、それに希望まで持たせてくれた妹に、ヤシは感謝していた。
サリヤの寝顔を眺めながら物思いに耽っていると、サリヤが小さく唸り出した。段々とその唸り声は大きく、苦しそうになる。ヤシはサリヤに声をかけながら、落ち着かせるために優しく抱きしめ背中をさする。しかしサリヤの力は強くなっていき、ヤシの抱きしめる腕を解こうとして暴れ始めた。
「サリヤ! 大丈夫、大丈夫だからな!」
ヤシは必死に力を入れるも、普段よりも力が強くなっているサリヤに突き飛ばされてしまい、ベッドから転げ落ちてしまう。サリヤはその隙に扉まで飛び移る。丁度その時、物音を聞きつけ急いでやって来たフゥイジンが扉を開けた。お互いが衝突しそうな距離で向かい合うが、先に動いたのはサリヤだ。歯を剥いて飛び掛かるも、フゥイジンは咄嗟にサリヤの額を押さえつけ、そのまま横に転がり倒す。ぎゃっと短い悲鳴を上げるも、サリヤはすぐに体勢を立て直した。怯むことなく再び襲いかかろうとするサリヤに対してフゥイジンも応戦しようと構える。
「何かあったのか!?」
サリヤの後ろで、激しい物音に気付いて目を覚ましたダグが部屋から飛び出して来た。サリヤは素早くダグの方を振り向き、襲う対象をフゥイジンからダグに変える。逃げろと言うフゥイジンと、背中を丸くするサリヤの異様な姿を見て、ダグは状況を素早く理解した。ダグが再び部屋に戻ろうとして動いたのと、サリヤが飛びかかったのはほぼ同時だった。一歩の差で、ダグが先に扉を閉める。サリヤは閉められた扉にへばりつき、爪で引っ掻いた。
「サリヤ! 止めるんだ!」
ヤシの必死の呼びかけに反応し、サリヤはダグの部屋の扉を引っ掻くのを止めたが、そのまま家の扉まで走りだし、勢い良く外へ飛び出して行った。
「ダメだ、家から出ちゃダメだサリヤ!!」
ヤシもフゥイジンとダグと共に急いでその後を追った。
走り回っている途中、サリヤは町の一角の鳥小屋に気付いた。扉を開けると、寝ていた鶏達が一斉に暴れだす。サリヤは一匹の首を掴むと、そのまま腹に噛み付いた。腹の中が満たされると同時に、頭や心の中に渦巻く黒いモヤが少しだけ晴れた気がした。しかしまだ、黒いモヤは自分を支配している。
「サリヤ、家に帰ろう」
サリヤの後ろで、追いついたヤシが言葉をかけた。サリヤの目は一瞬だけヤシを映したが、すぐにまた見失ってしまう。威嚇するように唸り、サリヤはヤシに飛びかかった。
「ヤシ!」
後ろで見ていたダグが、焦ってヤシを助けようと動くが、フゥイジンがそれを止めた。
「まだ見てろ。あいつが今どうにかしなきゃ、これからだって妹を止めることなんてできやしねぇ」
ダグはフゥイジンの言葉を理解し、飛び出していきたい気持ちを我慢した。
ヤシは逃がさないよう、力強くサリヤを抱きしめる。サリヤはその腕から逃げ出そうと必死に抵抗する。そして、思い切りヤシの肩に噛み付いた。熱い痛みを感じるが、決してこの腕を離さない。しかしそれでも一層力を強めるサリヤ。ヤシはサリヤの名前を叫び、止まれ、落ち着け、家に帰ろうと必死に声をかける。どうしたらいいんだ、凶暴になってしまったサリヤには、二度と自分の声は届かないのか。ヤシの気持ちに迷いが生まれたその時、サリヤはヤシの腕を振りほどいた。そして、すぐ後ろで心配そうに見ていたダグにも襲いかかろうとする。ダメだ、その子はサリヤを助けてくれた、その子を傷つけてしまったら――。正気に戻った時サリヤの心は衝撃を受けた砂の城のように、ボロボロと崩れてしまうだろう。きっと二度と同じ城を作ることはできない。止めなければ。ヤシはサリヤの兄という心を捨て、自分自身も犬になったように、怒りや威嚇や支配といった気持ちを包み隠さず叫んだ。
「サリヤ!止まれと言ってるだろう!」
サリヤの頭の中にキーンとヤシの声が響く。それは兄の声ではない、自分を従えようとする支配者の声だった。サリヤは怯えたように動きを止める。
「サリヤ、こっちに来なさい」
ヤシは低く威嚇するように言うが、サリヤはその声を聞こえないとでも言うように無視をする。
「こっちに来いと言ってるんだ!サリヤ!」
またも、ヤシの声が頭に響く。この声には何故か逆らえない。サリヤはおずおずと、ヤシの方に歩いていく。そしてそのままゆっくりと、ヤシに抱きとめられた。
「よし、いい子だ」
その言葉と共に、サリヤは大人しく頭を撫でられる。まるで懐の大きいリーダーやボスに褒められたような、優越感と満足感に満たされた気分だった。ふと、頭に立ち込めていた黒いモヤがすっきりと晴れていくのをサリヤは感じた。身体は酷く重たいが、自分を抱きしめているのは、大好きな兄だ。安心感に包まれてとても居心地が良い。サリヤはぎゅっと兄を抱きしめ返す。その様子に、ヤシは息をついた。すると、サリヤが何かを言おうと、口を動かした。うぐうぐと、言葉にならない声が口から漏れる。どうしたと聞くと、サリヤがポケットから飴玉を取り出し、ヤシの手に上に置いた。
ヤシは理解した。昼間サリヤが出かけていたのは、働き詰めの兄のために何か食べ物を買ってくるためだったのだ。自分も腹を空かせているであろうに、三つある飴玉を一つも食べずに、兄のために取っておいたのだ。この小さな優しさに、生きていた頃の母も、そして自分も、どれだけ支えられただろう。奇形なんて関係ない。サリヤは大事な妹だ。妹を守るために、いつもは優しい兄として、必要であれば厳しい支配者として、サリヤを守ると誓った。
朝になり、フゥイジンとダグはこの町を発つ準備をしていた。
「ヤシ達はここを出ないのか?」
心配そうにダグがヤシに聞く。
「昨日の鶏小屋の騒ぎ、幸い見つかってはいないから、僕の肩の傷が良くなるまではここにいることにするよ。僕がしっかりしていれば、たとえ暴れてもサリヤが言うことを聞いてくれるのも分かったことだしね」
そう答えたヤシは、優しくも強い眼差しをしていた。
行くぞとフゥイジンに声をかけられ、ダグも後をついて行こうとするが、ふと思い立ち、ポーチからあの拾った時計を取り出した。
「これ、やる! 売って金にしたらいいよ! 大した金にならないけど!」
ダグは半ば無理やり時計をヤシの手に握らせた。
「じゃあな、元気でいるんだぞサリヤ! ヤシに迷惑かけんじゃねーぞ!」
そう言いながら先を歩いているフゥイジンに追いつこうと走り出したダグに、大きく手を振るヤシとサリヤであった。
「お前馬鹿だろ」
高値が付いたであろう時計を簡単に譲ってしまうお人好しのダグに、フゥイジンは心の底から呆れているようで、理解出来ないとでも言いたそうだ。
「あんなのまた拾えばいいんだ!」
おれは宝の目利きがあるからな、なんて確証の無いことを言っているダグに、フゥイジンは更に呆れる。
「言っておくが次の場所じゃあ飯は奢らねぇぞ。昨日の飯代も払えよ」
約束のことなんてすっかり忘れていると思っていた上に、またも奢って貰う気満々だったので、ダグはわかりやすくギクリと肩を震わせた。
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