2
太陽が沈み始めていた。
瓦礫が長い影を作り、少し冷えた風が流れる。
ここは小さい村のようだが、壁の崩れた家がちらほらあり、人がいる気配は全く無い。
フゥイジンが辺りを見渡す。
廃墟と化した家をちょっと拝借して、野宿とするか……と考えていたところに、またも後ろから話しかけられた。
「フゥイジン、今日はここで休むのか?」
今日何度目だろうか、そう思うほど、ダグは延々とフゥイジンに話しかけていたのだ。
無視し続けていればそのうち飽きてどこかに行ってしまうだろうと思っていたが、かれこれ一日中ずっとダグはついてきている。
正直なところ、フゥイジンはそのダグの話し声に疲れ切っていた。
「……あのなぁ、いい加減にしろよお前」
フゥイジンは足を止め、低い声でダグに言う。
「いつまでついてくる気だ? 参考にするとかいう目的は果たしただろう? いい加減うっとうしくてたまらん」
つっぱねるような冷たい言葉なのだが、フゥイジンがやっと話しかけてくれたことにダグは嬉しくなった。
歯を見せてにひ~と笑いながらフゥイジンの顔を見て言う。
「お前、変なんだよな!!!」
ダグのその言葉に、フゥイジンは心底怪訝な顔をした。
「変なやつって気になるだろ? 気になるやつについていくんだおれは!」
わかったかと詰め寄るように言うダグに、さっぱりわからん……とフゥイジンはイラつきと呆れと疲れの混じった長いため息を吐いた。
「おれのことは気にしないでくれていいからさ! いないんもんだと思ってくれよ!」
ダグはふふんっと胸を張って言った。
出会った最初も似たようなことを言っていた気がするが、それは無理な話だと、ダグとしばらく一緒にいたことで理解していた。
やかましい面倒くさい鬱陶しい……そういった言葉が頭に浮かぶ中、フゥイジンは結局またダグを無視することにした。
ダグはフゥイジンの心情など気にしていないようで、にひひと笑った。
「はら、へったな……」
ダグが穴の開いた屋根から見える星を眺めながら言う。
火は焚いておらず、星と月の明るさだけがダグを照らしていた。
朝から何も食べていない、というか、この間フゥイジンからもらった干し肉を食べてからは、水以外何も口にしていないことを思い出した。
そう思うと、余計に腹が減る……、ダグのお腹がぐるぐると鳴った。
向かいにいるフゥイジンは寝転がっている。
「……もうねるのか?」
聞いてみるも、フゥイジンから返事はない。
ダグはフゥイジンがまた無視するようになったことが不満だった。
「いいよ! 外でなんか探してくるからな! いいもんがあってもお前なんかにやらないからな!」
むっとした顔をしながら、ダグは外に走っていった。
ダグの足音を聞きながら、フゥイジンは顔を上げた。
行き倒れていたところを助けたのが間違いだったか……、フゥイジンは眉間にしわを寄せる。
でも、気になって仕方なかった。無意識に、ダグを抱き上げていのだ。
忘れたくても忘れられない記憶の向こうの、あの子供に似ている気がした。
話してみれば性格は違うものの、フゥイジンはダグからあの子供によく似た純粋さを感じ取っていた。
自分のことを、恐怖や先入観などを感じさせず人を信じる目で見つめる、あの感覚。
あの目が嫌で仕方ないと思っていたが、あの子供から離れてみてわかったのだ。
自分に向ける眼差しや心が、とても居心地のいいものだったことを――
昔の自分のままだったら、そんなことに気づくことはなかっただろう。
気づかないままでいたかった……、フゥイジンは大きく舌打ちをした。
ダグはフゥイジンのいる場所から少し離れた家に入り、中を物色していた。
ガラガラと音を立てて、瓦礫を除けていく。
食べられそうなものは無いに等しいが、せめて使えそうな物や金目のものなどがあればと、ダグはせっせと手を動かした。
ダグは不機嫌だった。
少年の件のことで多少は自分のことに興味を持ってくれたのではないかと思っていたが、そんなことは無く、フゥイジンはずっと無視ばかり。
話しかけてくれたと思えば、また無視されて、そのまま一度もまともな会話をしていない。
腹が減っているからか、余計にムカムカする気がした。
腹立たしい気分に任せて手を動かせば、瓦礫の隙間からキラリと光る物が見えた。
ダグは目を輝かせそれを握り引っ張るが、その拍子に勢いよくしりもちをついてしまった。
「いってぇ~……!」
涙目になりながら握った手を見ると、千切れた鎖の先に懐中時計がくっついていた。
懐中時計はひどく汚れているが、ダグにはこの瓦礫の中で輝く宝物のように見えた。
「やった! これは高く売れるぞ!」
本当の所この時計の価値など知りもしないダグだが、この中で一番綺麗だからという理由で高価なものだと感じていた。
満足感に浸りにこにこしながら懐中時計を眺めていると、ふと背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
ダグはピタッと身体を静止させる。
何かがこちらを見ている、気がする。
星が瞬く静かな夜に、自然の音ではない、生き物が呼吸をする音が聞こえるのだ。
一瞬フゥイジンかと思ったが、この生き物は獣のようにグルル、グルルと喉を鳴らしている。
ダグは緊張した自分の心臓の音を聞きながら、ゆっくりと後ろを向いた。
そこには、顔の中心に大きな目が一つだけある、あばら骨の浮いた奇妙な狼がいた。
口からよだれと自身のものかわからない赤黒い血をダラダラと垂らして、視点の合わない目でダグの方を向いている。
狼はぐちゃりという音を立て、牙を見せつけるように口を開けた―――
ダグはとっさに家の奥に走り出していた。
逃げなければ喰われてしまうと、身体が勝手に動いてしまっていた。
瓦礫の山を崩して狼の足を止めようとするも、狼は合間をぬい瓦礫を飛び越えてダグを追いかけてくる。
息を荒くし、一つしかない目をひんむいて追いかけてくる狼の姿は、ダグを食べたくて仕方ないという風にしか見えない。
ダグは崩れた壁の穴から家の外に脱出するも、足がもつれて転んでしまった。
一刻も早く逃げなければと、必至に這いつくばって前へ前へと進もうとする。
しかし、狼がこちらに走りながら唸り声をあげているのが聞こえた。
後ろを向かなくても、狼が飛び掛かってこようとしているのがわかった。
ダグは恐怖から叫び声を上げ、とっさに自分をかばうように左腕を前に出した。
その時、狼の牙と硬い物がぶつかる音が響いた。
ダグの左腕に噛みついている狼だが、その腕はなかなか噛み千切れない。
左腕に巻いていた包帯が、はらりとほどける。
そこから見えたのは、鈍く光る刃物のような腕だった。
なんとかその腕で狼の牙を受け止めたものの、狼はやせ細っているとは思えない力でダグを抑え込む。
じわじわと近づく狼の口から、よだれと血がダグの頬に落ちた。
――その時、狼のほうが悲痛なうめき声を上げた。
フゥイジンは狼の背中にサバイバルナイフを突き刺していた。
狼の力が緩んだ隙に、ダグはすぐさま身体を起こし、狼のそばから逃げ出した。
フゥイジンはそのまま、ナイフで狼の身体を引き裂く。
狼の皮がべろりとめくれ、黒く腐ったような内臓がぼとぼとと落ちた。
一つしかない目の視点は合わないまま、狼は倒れて動かなくなった。
「こりゃ食えそうにねぇな」
フゥイジンは狼を眺めながら言う。
ダグはいまだ、ハァハァと荒く呼吸をしながら、倒れた狼を見た。
「……、奇形の、オオカミ……」
ダグはまだ落ち着いていない頭のまま、そう呟いた。
「今時珍しくねぇだろ」
フゥイジンがそう言って、ちらりとダグの左腕を見た。
今時珍しくない―その言葉が、自分にも向けられていることをダグは察した。
ダグは左腕の包帯を巻き直しながら、フゥイジンに自分の左腕について話した。
ダグの左腕は生まれつき奇形だった。
動かない手が徐々にろうそくのように固まったと思えば、ボロボロと剥がれ、刃物のように鋭くなっていたそうだ。
自分も奇形の腕を持つから、あの奇形の少年にもあんなに肩入れしてたわけだ……
「その腕をどうにかしてほしくて、俺についてまわっていたのか?」
フゥイジンの問いに、ダグは違うと声をあげた。
「おれの腕は……きっとどうにもならないんだ……」
ダグが初めて落ち込んだ声でそう言った。
「奇形なんて助けるようとするやつ、今まで見たことがなかったんだ、
たとえお金や食いもんのためだからって、奇形のために何かしてくれるやつなんか、フゥイジン以外に、見たことなかったんだ」
だから、フゥイジンのことがどうしても気になってついてきてしまったのだ、と。
フゥイジンはその言葉から、ダグが今まで生きてきた厳しい世界を察した。
身寄りの無い奇形の人間がどれほどつらい生活を強いられているかは、今まで色々な国や街を回ってきたフゥイジンには容易に想像できた。
同情するほど優しい性格ではないし、人に対して甘くもないフゥイジンだが、ダグの悲しそうな表情には、何か心に引っかかるものを感じてしまう。
一瞬浮かんだのは、記憶のあの子供の泣いた顔だった。
そのことに気付いて、フゥイジンは今まで一番大きなため息を吐いた。
「明日には近くにある街に着く、そこに行きゃ何か食えるだろう」
その言葉に、ダグがハッと顔を上げた。
「つ、ついてっていいのか!?」
「勝手にしろ、だが俺はお前に対しては特に何もしてやらねぇからな」
その言葉に、ダグはにひひと笑った。
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