1-1

 この町も空気が汚れていた。

ダグは淀んでぬるくなった風を吸い込まないよう、首に巻いてあるマフラーに顔を埋め、着用している貫頭衣をより体に巻き付けるようにぐっと握る。

ダグは親も家もない孤児の少女で、年齢は未だ十を越していないようだった。

肩の下まで伸びた髪は無造作にまとめてあり、活発な印象を持つ褐色の肌も、随分と薄汚れていた。

彼女は今、とにかく腹が空いている。

食べる物を求めすがるようにして立ち寄ったこの町だが、戦場として荒らされてから数年以上時が経っている様であった。

建物はすっかり朽ちており、人が住めるような状態ではないことがわかる。

それでもまだ、行先の無い老人や子供達がここに住んでいた。

痩せ細った身体は、食べ物を探すために歩き回る力など無いように見える。

もし食料があったとしても、ここの住人から貰おうとすることはできないな――

そう思える余裕があるだけまだマシかと考え、ダグはぐるぐると鳴った腹をさすりながら、その町を後にした。


 ダグはおぼつかない足取りで歩き続けたが、その体力は長くは持たなかった。

ふっと足の力が抜け、膝をつき、そのまま倒れ込んでしまう。


「はら……へった……」


ダグは疲れと空腹に身を委ね、深い眠りに誘われるように目を閉じたのだった。



 ダグが目を覚ました時には日が暮れ始め、木々の頭がオレンジ色に染まっていた。

ぼーっとする頭でそれを見ていると、ふと視界の隅に黒い影があるのを感じた。

その影は動いている。

ダグははっとして飛び起きた。

そこには、見知らぬ男が座っていた。


「だっ、だれだ!」


男はチラリとダグを見ると、返事もせずに作業を進めた。

よく見ると小さく木を組んでいる。

ここで火を炊こうとしているのがわかった。


「だれだって、聞いてんだよ!」


ダグは威嚇するように叫び、男を睨みつける。

彼女は今まで、子供で女だからと見下されて生きてきた。

そのためいつの間にか、男のような荒い喋り方をするようになっていた。

男はダグの方を見ずに、口を開く。


「わーわー喚くなチビ、目が覚めたならとっとと消えろ」


男の物言いに、ダグは少しむっとした。


「だったら何でおれを助けた……! おれに何するつもりだったんだよ!」


男は面倒くさそうに息を吐いた。


「別にお前みたいな小汚ぇチビに何かしようなんて思ってねぇよ」


この辺りは見晴らしがいい方で、人間や動物が近付いてきたとしても、すぐに察知できるような場所である。

男は、ここは一夜野宿するには丁度いい場所だと思っているようだった。


「お前が倒れていて邪魔だったからどかしたまでだ、わかったらどっか行けよ」


ダグはハッとして、自分の身の周りを探りながら言った。


「けっ本当は身ぐるみでもはごうとしたんじゃねぇのか!? おれは何にも持ってねぇ……ぞ……」


ダグは大声を張り出したと思ったら、段々と声が小さくなり、男の手に持っている物を見つめた。

男は干肉の入った袋を取り出していた。

すると、ダグの腹が大きく鳴った。

男は自分の手に持つ干肉の袋を見たあと、ダグのことも一瞥する。

しかし男は何も言わずに干し肉を腰の鞄にしまった。

男の、その肉を見せつけてきたような行動に、ダグはわなわなと震えた。


「なっなんだよ! あわれだとでも思ったのか!? いらねーよ! 食いもんなんて! 知らねぇやつから肉なんて……」


元々ダグは、大袈裟ながらも内心死ぬんじゃないかと思うほどに腹が減っていたのだ。

そのため、男の持つ干肉を無視することができなかった。

男は見た目痩せ細っているわけでも無く、空腹で死にそうなわけでも無さそうである。

ダグは腰に巻きつけてあるボロボロのホルダーから小さなナイフを取り出して、男に向けた。


「そのっ、その肉をよこせ! 小さいからってバカにするなよ、おれはこのナイフで何人もヤってきたんだぞ……!」


男はダグの決死の脅しを何とも思っていないようで、特に反応もせず焚き木に火を起こしている。

ダグの方は、男がどう出るか、ナイフを握りじっと様子を見ていた。

男は木から煙が上がったのを確認すると、やっとダグの方に目を向けた。

ダグはその視線に身体をびくりとさせたが、ナイフを握る手には力を込める。

男はまたも面倒くさそうに息を吐くと、干し肉の入った袋を取り出し三つほど手に持った後、残りを袋ごとダグの足元に放り投げた。

ダグは男の行動に驚くが、何か裏があるんじゃないかとその袋を拾わずに、じっと男を睨む。


「食えばいいだろう」


男はそう言うと干し肉を軽く火で炙り、食べ始めた。

ダグは男が肉を齧る姿を見てとうとう我慢ができなくなった。

飛びつくような勢いで袋を掴み、中にあった干し肉に噛り付く。

袋の中身は空になった。

正直ダグはまだ食い足りなかったが、それでも久々の食い物で、久々の肉だったのだ、これだけでも充分だった。


 ダグは空腹が満たされ落ち着いたためか、気持ち的に余裕ができているのを感じた。

ふと男を見れば、黙って自分のナイフを研いでいる。

干し肉を貰ったことにより、ダグの男への警戒心は少し薄れていた。

ダグは思い切って男に話しかける。


「なぁなぁ食いもんありがとな! でもお前変なやつだな、おれみたいな孤児を助けたり食いもんまでくれるなんて!  見たところお前も汚いかっこしてるな!」


ダグは子供ながら、思ったことをそのまま口に出していた。

ダグから発せられる、子供の高い声質に耳の中が少しキンキンしているのを感じて、男の眉間にはシワが寄った。


「お前が俺を脅したんだろうが、助けたなんて思ってねぇよ」


男は見た目三十代、黒い髪を後ろで一つに束ねており、ダグの言った通りの小汚くなっている、長めのマントを羽織っていた。

そして左の頬には口の端から耳までの縫い傷があった。

食べ物もくれたし僅かだが会話も返してくれる、ダグは男に興味を持った。


「なぁなぁ! お前どこから来たんだ? なんか仕事してるのか? 家はあるのか? 家族は? どうやって金を稼いでいるんだ?」


頭に浮かんだことを次から次へ質問として聞いてくるダグの勢いに、男はいらつき少し身体を引く。

しかし男は嫌がっているわけでは無いようであった。

ため息をしつつ、研いだナイフを確認しながら男はダグの質問に答えた。


「……お前と一緒だ、色んなところを流れて暮らしている

その日を凌げればいいように生きてるからな、家も何も持っていない」


男の腰に鞄と数本のナイフをしまっているホルダーが見えた。男は研ぎ終わったナイフをそのホルダーにしまう。


「ふーーん、その日をしのぐってどうやるんだ?」


男はまた一回り大きさの違うナイフを取り出し、整備を始める。


「……その日の分の金や食料を報酬に何でも屋をやっている

家や故郷の無い奴か奇形相手だがな」


奇形、と聞いてダグは男の顔を見た。

身体の一部が変形しており、健常者から一線引かれた者たちを世間では奇形と呼ぶ。

この時代、戦争で使われた化学兵器などの物質による影響で、奇形として産まれてくる者が多く、中には人間には見えない酷い見た目の者や、後天性の奇形の病気になる者もいた。

戦争が絶えず、戦場が増え、何百種類もの得体の知れない化学物質が混ざり合い、空気や水や土が汚れる。

その結果、戦争が終わった後も人々が戻らず、汚染されたままの国や街が世界中に数多くあった。

他の土地に移り住むこともできず、その場に取り残されてしまった者も少なくはない。

男はそういった国や街を回り、貧しい者や奇形の者達の抱える悩みや問題を解決して僅かな報酬をもらって生活している、との事らしい。

なるほど、とダグは思った。


「……お前、もしかしていい奴なのか?」


男はダグの言葉に少し怪訝そうな顔をした。


「いい奴? 仕事としてやってるんだ、善意でやってるわけじゃねぇから報酬はきちんと頂く

どんなに少なくどんなに相手の負担になろうとも仕事した分は貰うさ」


ダグは男の言うことに、なるほどと思った。

善意だけでは食べていけないことは、ダグもよくわかっている。

男のその言葉を聞いて何かを決めたダグは、男を頭から足の先まで何度も往復して見た後、うんうんと頷いた。


「おれ、ダグっていうんだ! なぁおっさん、おっさんの名前は何て言うんだよ?」


その質問に男は眉をひそめる。


「そんな顔すんなよ、名前くらい教えてくれてもいいだろ! 大人のくせにこじんじょーほーとかいうの気にしてるのか? おかーさんに、名前おしえんなっていわれてんのか?」


聞きたくもないダグの名前を聞かされた上に、馬鹿にされたかのような質問攻めに、こいつの口はいつになったら閉じるんだとイラつきながらも、男はダグの顔を見た。

男はふと、記憶の中にある唯一の優しい思い出を、ダグに重ねてしまった。

ダグは男の記憶の中にいるとある人物に、似ていた。


「……フゥイジンだ」


男はぽろっと、名前を言ってしまった。


「そうか、フゥイジン! フゥイジンだな!」


ダグは子供らしくにっと口角をあげて笑う。

フゥイジンはしまった、と少しだけばつの悪そうな顔をした。


「なぁなぁフゥイジン、おれにもその、何でも屋ってやつ、手伝わせてくれよ! ちょうど仕事を探していたんだ!」


ダグは先日まで居座っていたところを去り、また新たな居場所と自分のできることを探しているところだったのだ。

フゥイジンについていけば飢え死ぬことは無さそうだと、ダグは何となくであったが確信したのだ。

話に聞く限り怖いやつでも、甘ったれでも無さそうだし、とダグは少し上からの目線である。

しかしフゥイジンは、すぐさまキッパリと断った。


「なっ何でだよ! おれみたいなチビ役にたたねぇと思ってんのか!? それとも女だからってナメてんだろ! しつれーにもほどがあるぞお前!」


ダグはフゥイジンにつっかかる。


「わーわー喚くうるさい奴は面倒くさい」


フゥイジンの言葉はダグのうるさい声を一刀両断し、言われたダグはんぐっと口をつぐんだ。


「チビだろうが女だろうが関係ねぇ、助手も連れもいらねぇよ」


強い拒絶を含んだ言葉だと、ダグは感じた。


「もう夜だ……、朝になったら、さっさとどこかに消えることだな」



 夜が明けたばかりの肌寒い時間に、フゥイジンは身仕度をし始めていた。

ダグは寝たふりをしてそれを見ている。

昨日から見ていると、フゥイジンの荷物は腰に巻いた小さな鞄とナイフ二本だけのようだった。

フゥイジンが歩き出して少し経った後、ダグはさっと起き上がり、見つからないように後をついていく。

と言っても、元々見晴らしのいい場所であったため、歩くにつれて木々の数も減り、隠れるところが無くなってしまう。

ダグは見つかることを承知で、距離を置きつつフゥイジンの後ろを歩いた。

すると、フゥイジンはため息をつきながら立ち止まり、後ろを振り向いた。

何も言わずにダグを睨むかのように見つめている。


「なっなんだよ! 言いたいことがあるなら言え! 」


ダグがそう言うと、フゥイジンは口を開いた。


「なんでついてくる? ついてきてももう肉はねぇし、お前を連れていく気もねぇぞ」


ダグはそれを聞いてにひひと笑った。


「わかってるさ! だから、お前の仕事ってやつを今後のさんこーにしようと思って!  一度見たらどっか行くからさ! いいだろ! おれのことはいないと思ってくれればいいよ!」


これ以上一緒に連れていけと言っても、フゥイジンは自分を拒むだろう。

お願いしたって進展は無さそうだと、ダグなりに理解はした。

しかし、自分が気になった物は見てみないと気が済まない。

ダグはフゥイジンが奇形を相手にどのように接し、どのような仕事をするのかが気になっていた。

フゥイジンは面倒くさいとでも言いたそうな顔をしたが、黙ってまた歩き出す。

好きにしろと言っているのだとダグは思った。


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