26―4

「お二人のおかげです! ほんとにありがとうございました!」


 元気な声が部屋に響く。

 無事にリロードを終えた少女が、両足でしっかり立ち上がる。

 今まで歩いていなかったからか、どこかおぼつかないが、紛れもない希望に満ちた歩みである。

 笑顔を見せる少女には、開いた蓮の花びらも、点在していた花托も無かった。


「あ、パシェルさんは?」


 パシェルの姿も無かった。


 ヤーニは、壁に片手を付き、バランスと取る少女に近寄る。

 無言のまま、手にした小さな皮袋をずいと差し出した。

 パシェルから受け取っていた餞別である。

 中には、少女が自立するために必要な費用が入っていた。


「あの、パシェルさんにお礼をしたいのですが、どこに……」


 受け渡したと同時、聞かれたくない質問を受ける。


 ――遠くに行った。

 それだけしか言うことが出来なかった。

 空気の淀みを感じ、逃げるように外に出る。


 眺める景色は一面の蓮の池。


(わたしは疲れたの。だから早くあの人の元に行きたい。それだけ)


 ふと頭を過ぎるのは、先刻のやりとり。

 そして、リロード中にパシェルが話した事も。


 ワンダラーとの争いを抜け、仲間とも別れ、助産師の生活を始めて三〇年…… 虚しさは晴れることはなかったと。

 そしていつしか、愛する者と同じ場所に行きたい願望が強くなったと。


(天国って知ってる? 旧文明の時の迷信。死ねばみんなそこに行く。わたしもきっとそこに行く。だから、生きるのはもういいの)


 リロードの終盤、消え入りそうな声で言うパシェルが思い出される。


(わたしの過ち…… この子さえ無事に治せたらもうなにも未練はない)


 消え入りそうになりながらも、和やかで幸せに満ちた横顔が、ハッキリと頭に浮かんだ。



「だからなんだっていうんだ」


 揺れる水面を見つめ、ヤーニは思う。

 愛する者を失えば、自分の命もどうでもよくなるものなのか? 命を惜しむのが生命ではないのか? 例えそれが本望だったとしても、自分を頼りにする者達を捨てての死など許されるのか?


 揺れる水面は、ヤーニの心。

 わき出した疑問は、ワンダラーアンチを果たしても尚、晴れない曇りを生んでいた。


「ヤーニさん!」


 少女の声に、はっと我に返り振り返る。

 走ることはまだ難しいはず。にもかかわらず、少女は駆け寄り、笑顔を送る。


「どうしてもこれだけは伝えたくて…… わたし、パシェルさんみたいな助産師になることにしました!」


 その時、ヤーニは視界が微かに霞むのを感じた。 何故だか解らないが、暖かいものがこみ上げる。 それは、ワンダラーアンチを使命としている者には断じてあってはならないことだった。


「……僕はもう行くよ」


 去り際、ヤーニはひたすら自分に言い聞かせる。

 この感情は忘れなければならないと――

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