26―3

 レンガ造りの家々が並び立つ、ここ〝ボンセクイテン〟の街。

 街を空から俯瞰する影が一つ。

 しきりに首を動かし何かを探す、ヤーニである。

(あ、あそこか)


 お目当てが見つかった。

 レンガ造りの路地の奥、隠れるように他の建物の壁に囲まれた家がある。

 その入り口の前に立つ一人の女性に狙いを定め、身構える。

 拳にはやる気が満ち、その瞳には獲物を狙う光が宿る。

 狙うはアセンションを拒むワンダラー。

 音吏から聞いたワンダラーの事実は、ヤーニのやる気を刺激させ、使命感を駆り立てさせていたのだった。


「パシェルさん、ありがとうございました!」


 男の弾む声が、向かう先から上空に響く。

 対象のワンダラーに対して発せられた声だと知り、ヤーニは一旦飛び出すのを止め、様子を見る。 会話が聞こえた。

 耳では無く、意識を欹(そばだ)て、さらに聞く。

「ではまた。お大事に」


 肩まで伸びたブロンド髪の女性〝パシェル〟は、表情を変えずそう言うと、早々にその場を離れた。


(チャンスだ)


 ヤーニは思い、再び構える。

 対象が歩く場所は、人通りの少ない路地裏。

 一人になったのを好機とし、そっと強制リンクタグをテンプレート(オーラをそのままタグ文字にする技術)で作り出す。

 パシェルの足下に、タグを当てる。

 場は荒れ地に変わった。


(遊ぶのはもうやめだ。せめてすぐ終わらせる)


 ワンダラーを道楽でアンチする事は、音吏の話を聞いた後では出来なかった。

 驚いている間に決めようと、ヤーニは思念波をすぐに放つ。

 だが、パシェルの方も伊達ではなかった。

 降りかかる危険を第六感で感じたか、身を翻し事なきを得る。

 土煙が辺りを覆う。

 地面は大きく抉られ、惨事の有り様を物語る。


「……誰?」


 パシェルは顔色一つ変えなかった。

 その余裕な態度に、改めていた加虐心が湧いてくる。


「見掛けによらず素早いね」


 からかってやろうと、瞬時に背後に移動し、声を出す。

 それには流石に動揺したらしい。

 パシェルは、浮遊し距離をとった。


「恨みを買うような生き方はしてないつもりだけど?」

「そうなんだ。でも残念。アセンションを拒むワンダラーはアンチされなければならない、ってことだよ」


 ヤーニはいつもの調子で接した。

 改めた考えはいずこへか…… どうやって怯えさせようかと、にやけ顔。


「ああ、てことはヤーニね。見た目が聞いてた話と違うけど……」


 未だどこか余裕そうなパシェルだが、もう一度思念波を放てば竦むだろう、とヤーニはさらにしたり顔。

 しかし……


「まあいいか。やっと来てくれたんだ。好きにしていいよ」


 湛えた笑みは、この時消える。

 それは、ヤーニにとって予想外の一言だった。

 さらに意外がやってくる。

 パシェルは両手を広げ、敵意を示さず近付いてきたのだ。

 表情は心なしか穏やかで、恐怖や策略を考える様子は見られなかった。

 この無防備な行動に、ヤーニは目を白黒させる。

 今なら造作もなく仕留めることが出来る。

 ちょっとでも思念波を打ち出そうものなら、その魂は一瞬で浄化される…… にもかかわらず、ヤーニは出来なかった。


(な、なんでこっちが驚くハメに)


 これまで浄化して来たワンダラーは、皆恐怖から逃げ出し、命乞いをし抵抗してきた。

 だがこのパシェルはそれとは逆の行動をした。

 その差異が、理解しがたいことだった。


「こ、この姿だから僕がヤーニだって信じてないんだよね。じゃあ……」


 ヤーニはキャプチャーを用い、いままでヒゲを蓄えた壮年の男の姿をしていた。

 それを解除し元の姿へと戻る。

 ワンダラー達に知られたこの姿を見れば、今度こそ望むような声を上げるはず。


「今更言わなくてもそれぐらい解ってるし」


 上がるはずだった叫び声は、自身の心の中で張り上がる。


(これならどうだ)


 力を見せつけて、絶望感を与えてやろう……

ヤーニは考え、牙をむけた。

 今リンクタグで隔離しているこの思念空間は、荒れ地。手頃な巨岩が多くある。

 ヤーニは、一際大きな巨岩をターゲットに、すぐさまバイブレーションタグを作り出した。

 それにより引き起こされたフォトンエネルギーの超振動は、瞬く間に狙った巨岩を粉微塵に消し去った。


「噂通りのチートぶりね。それだとわたしも楽に逝けそう」


 パシェルには恐怖の概念がないのか、力を目の当たりにしても素っ気ない態度を崩さなかった。

 ヤーニは肩を落とし、ついに両手を地に伏した。

 これまで一度も屈した事のないヤーニが、武器も持たぬパシェルを前に苦杯を舐めたのだ。

 それは、始めて味わう〝敗北〟だった。


「君はタルパというのを知らないのかい! いや、君たちが一番よく知ってるはずだ」


 地に垂れた頭を上げ、声を荒らげ獅子吼する。


「昔、〝退化派〟が作り上げたタルパが、敵対するワンダラーを次々に消し去った…… 僕だって知ってる話だ。名前は、む……」

「無柳(むりゅう)。ほとんどのワンダラーは知ってるはずよ」


 間近に迫ったパシェルが会話を繋ぐ。

 差しのべられた手は眼前に。

 つい、掴んで立ち上がる。

 知っているなら、なぜ怖がらない…… もはやヤーニは、それしか考えることが出来なかった。


 パシェルは、ヤーニを待っていたのだと話す。

 アセンションを拒むワンダラーだけを狙うなら、自分がわざと強く拒めば、それが信号となって早くにやってくるはず…… そう考え実行していたという。

 しかし、なぜそんな真似を……


「わたしはもう十分生きた。もうなんの未練もないの。あなたの手を借りれば楽に浄化出来るんでしょう?」


 ヤーニは完全に気押されていた。この死を望む行動に恐怖すら覚えていた。

 それほどまでにパシェルの思考が解せなかった。

 再び座り込み、呆然自失。

 ため息が頭上から聞こえた。思考停止で上を向く。

 と、見下ろすパシェルの両目が、急に閉じられる。

 テレパシーらしい。


「ちょっと人に会いに行く。とりあえず、また」


 テレパシーを終えて早々、パシェルは立ち去ろうと歩み始める。


「そうだ、あなたなら…… 一つだけ、お願いがあるんだけど、いい?」


 かと思うと、振り返り、何かの助力を願い出る。

 ヤーニは無意識にそれに相づちを入れた――







 半ばやけになってついて行った先は、湿っぽさを感じる沼地だった。

 沼に咲く無数の蓮は、どこか薄暗く感じる沼地を明るく着飾り、それは同時にヤーニの心にも色を添えた。


「あそこよ」


 パシェルが指差した先には、家とは呼べない粗雑な小屋があった。

 中にはパシェルがテレパシーで疎通しあった人物が居るらしい。

 早速家に入った時、第一に聞こえたものは、少女の明るい声だった。


「パシェルさんこんにちは! そちらの方は?」


 ヤーニは、少女を見るなり眉間に皺(しわ)を寄せる。

 パシェルが自分を臨時の連れだと紹介していく中でも、ただひたすらにその姿を凝視する。


「何なんだい? この人は?」


 パシェルに耳打ちする。


 ――ロータスコラージュ。

 答えはすぐにそう返る。


 少女の体中には、蓮の花が咲き誇り、また花托(かたく)が幾つか点在していた。

 コラージュという現象を知らないヤーニには、その姿はまさに衝撃。思わず身震いを覚えてしまう。


「えっと、ヤーニさんね。よろしく!」


 屈託のない笑顔にも、引きつり顔で答えてしまう。それがなんだか悔しかった


「この子にはね、両親がいないの。アバター中、助産師がミスをしてね。この姿もその影響」


 小声で隣のパシェルが言う。

 アバターという行為は知っていた。

 自分を作り出したタルパ法、その完全な劣化版だと。

 劣化版だからこそ、こんな有様になるのかと、ヤーニは悟る。


(たしか、タルパの方が、本当の進化した人類の繁殖法だって言ってたっけ)


 リリが完全なアセンションに躍起になるがよく解った。

 憤る中、パシャルから外出の誘いが来る。

 言われたとおり、外に出る。

 再び沼地の景を見る。


「コラージュを治すには、リロードという方法しかないの。それには子のイメージを作った両親の助力が重要なんだけど、あの子にはそれは望めない、だから…………」


 パシェルがようやく手助けを求めた理由を語った。

 要は両親に変わりリロード(生んだ子に対し、再びアバターをする行為)の手伝いをしてほしいという事だ。

 それなら簡単だ、とヤーニは意気込む。

 しかし、実際はそうでもないらしい。

 仮に第三者がリロードを行った場合、両親が行う時よりも膨大なオーラの消費を伴うとされている。

 また、仮にオーラをまかなうため数十人が集まりリロードを行ったとしても、子を生み出す際に両親が決めたイメージを知らなければ、成功は有り得ない。

 両親でなければ絶対に不可能だと言われる由縁はそれにある。


「簡単な話じゃない、というか、本当は無理は事なの。でも、あなたなら……」


 ヤーニは、無限ともいえるオーラを持った存在。

 それなら確かにリロードに用いる膨大なオーラを賄(まかな)える。

 でも、リロードを行うのは誰か…… 子のイメージを決めた両親が居ないのでは、結局は不可能ではないのか…… ヤーニはそう考えるが、瞬間的に閃いた。


「そう。わたしがリロードをするの。あの子の誕生を手伝った助産師は…… わたしだから。両親のイメージは理解してるし」


 パシャルは少し笑っていた。だが、隠しきれない物悲しさは、ヤーニの心に影を落とす。


「どうして、そんなに死に急ぐんだい?」


 内に現れた感情を、そのまま口から吐き出す。

 他者のオーラを大量に受けた場合、魂に過度の負担が掛かるのは必須。 とてもパシェルが耐えられるとは思えなかった。

 だがパシェルは、やるという。

 どのみちアンチされていた身。

 なら、最期にこの命を役立てよう…… それがパシェルの意思だった。


「助産師の君を必要とする人もいるはずなのに…… それでも未練はないのかい?」


 ヤーニは、パシャルを始めて見た時を思い出す。

 あの時、男から感謝を受けていた。きっと助産師としての礼を受けたのだろう。それを思えば、まだこの世にとどまるべきでは無いのかと、ヤーニは素直に思いをぶつけた。

 が、パシェルの気は変わらない。


「わたしも昔は進化を願うワンダラーの一人だったの」


 気は変わらないが、思いは伝わったらしい。

 パシェルもまた、思いの内を語り出す。


 ワンダラーとの争いの中、知り合った二人の男女と共に、進化を願い争い続けたという事。

 戦いの最中、同胞と争う虚しさが芽生え、日に日にその思いが強くなったという事。


「仲間の一人は、争いの中で亡くなった。わたしは彼の事が…… 好きだった」


 その件が、半開きになった虚しい思いを完全に開かせたのだとさらに話す。

 これまで表情を崩さなかったパシェルだが、この時ばかりは違っていた。

 ぼうっとした目は、遠くを、いや、虚無を見るそれである。


「わたしは疲れたの。だから早くあの人の元に行きたい。それだけ」


 死に急ぐ理由を伝えたのだろうが、ヤーニにはまるで解らなかった。

 死ねば先に旅立った愛する人の元に行ける。その心理が解せなかった。


「そういうことだから。協力する気になったら入ってきて」


 パシェルは短く言い残し、少女の家へと入って行く。

 残されたヤーニの耳に、風の音。

 生暖かい空気の流れを数分浴びる。

 意を決し、躊躇いがちにドアノブに手をかける。 が、それを回すことが出来なかった。

 ドアノブは手のぬくもりで温まり、体は風で冷やされる。

 部屋の温度を纏うことになるのは、それから一〇分後の事だった――

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