21ー2

 電話、テレビ……

 旧文明の叡知を色濃く残す巨大ビル〝カニールガーデン〟は、太古の音を響かせる。

 ビルの最上階にある隠された一室。あらゆる音が遮断されたリリの部屋だけは、静寂に包まれていた。

 そこに、ドアを叩く乾いた音が二三響く。

 中のリリは、「どうぞ」と音を招き入れた。

 やって来たのは、クレロワ・カニール。

 口は、挨拶より先に報告をあげる。


「……そっか。でも変ね。こうもすんなり行くなんて」


 報告を聞き、リリはふぅと息を出し、力の抜けた体をソファーに倒した。

 女性らしさをギリギリで保つ姿勢で、そのまま寝転ぶ。

 このまま眠ろうかと決め込んだ、その矢先……


「あれ? 今日はやけに静かだね」


 ソファーの背もたれから声がした。

 だらけた体を一気にはね飛ばし、リリはしばらくソファーを睨む。


「……これからは、直接この部屋にリンクするのを禁止にしますよ」


 ソファーの影から、人影が。

 白髪のシワの深い老婆だった。 

 いつのまにかこの部屋にやって来てソファーの背後に身を潜めていたらしい。

 からかわれたと知り、リリは口を尖らせ、詰め寄った。だが、まるで迫力がなかったためか老婆に再び笑われる。


「ヤーニ君、今日はなんの用事かな? それに〝その格好〟は?」


 やり取りに業を煮やしたか、クレロワが間に声を放つ。


「あ、そういえばまだ解除してなかったね」


 老婆はふいに両手を広げた。

 その途端、老婆の姿が、水がはじけ飛ぶかの如く周囲の壁に消え、別の輪郭を生み出す。

 現れたのはヤーニだった。


「それが〝キャプチャー〟というものか。浄化した荒らしに成り済まし、本体を隠してワンダラーアンチを可能にする。まったく便利なものだ」

「そこまで考えてないよ。これはただの遊びでやってるだけ」


 淡々としたクレロワと、飄々としたヤーニ。

 二人のやり取りを、リリは一旦終わらせる。

 ヤーニは笑顔をそのままに、ソファーに座る。そして、「クエスト」の報告をしに来たと告げた。

 与えられたら役割をクエストと呼び、遊びの気分でそれを果たす。全てを遊戯として行うヤーニらしい思考であった。

 そしてリリはその思考をすぐに諌めた。

 命は命。遊び半分で殺めるのは進化派の理念に反するためである。

 

「だって簡単すぎてつまらないし。やっぱり俺も他の役目に混ざりたい」


 しかし、ヤーニに正論は無駄だったようだ。

 前に散々、与えた役目の重要性を説き、やる気を与えたはずなのだが、子供ゆえの飽き性か…… 呆れと、それ以上の可愛らしさを同時に感じ、リリはため息に似たと息を漏らす。


「……仕方ないですね。言いそびれてたディセンションについての話し、今するのもいいかもですね」


 突き出した指で、自身の髪の色と同じ紺の色で「ディセンション」と文字を書く。


「ディセンションは、人から生み出させるオーラを使って行う行為です」



 ――人は、魂から生体磁場(オーラ)を放つ。

 空間に漂うフォトンエネルギーを取り込み、魂で〝濾過〟したものがオーラと言える。

 そのため、オーラは喜びや悲しみといった人が持つ感情によって質を変える。


「魂自体、人が持つ精神エネルギーです。そのエネルギーから作られる生体磁場は、当然、精神状態や気分、ストレスで変わってくるってわけです」


 指を立てながら、リリは続けた。


 ――魂が感情によって放つオーラは、大きく二つに分けられる。

 魂が、喜びや幸福にある状態に発するオーラの事を〝ポジティブオーラ〟

 怒りや悲しみにある状態に発するオーラの事を〝ネガティブオーラ〟


「その二つのオーラは、これから話す事にとても深く関わって来ます」


 若干退屈そうにあくびをしたヤーニに対し、リリはすかさず釘をさした。


「アセンション時、ポジティブオーラが世界に満たされている場合、わたし達が望む理想のアセンションを果たせます。ですがもし、アセンション時にネガティブオーラが溢れていたら…… 残念ながら今の世界のような不完全な進化にしか果たせないのです」


 ――ディセンションは、個々の持つネガティブオーラを、チャネリング時に使用するシンクロードを通じて他者の魂に流し込み、負の感情を感染させる行為。

 それを抑止する手段は、強力なネガティブオーラを放つ者、つまり、ディセンションの影響を強く受けた者の排除。そしてもう一つ…… ポジティブオーラを世界に蔓延させ、ネガティブオーラという叢雲の抑止。


「数々の流行を生み出し、世界を賑わせる度、ポジティブオーラは広がりを見せる。私はそのためにこの地位にまで登りつめ、ここにいる」


 沈黙していたクレロワが、出番とばかりに口を開く。

 著名人という肩書き、そして、体格の良さも相俟って、語り始めたクレロワからは、貫禄ある力強い雰囲気が漂っていた。


 話を聞いて、ヤーニはなぜか興奮していた。

 そして俄然「ディセンションの排除に協力したい」と息巻きはじめる。

 当然、リリは否を出す。

 ヤーニの〝対象をもてあそび消滅させる癖〟それを指摘した上で、さらにいう。


「もてあそばれた方の気持ちを考えてください。恨みとかを残すと思いませんか? その感情もディセンションには格好の餌ですよ。だからまずはその癖を反省してください」


 トドメとばかりに指でヤーニの額を弾く。

 さすがにこれには堪えたようだ。

 ヤーニはうつむき「うん」とだけ反応し、それ以上は言わなくなった。


「良い子ですね。それにディセンションの件は、こちらでもう対処は余裕なんですよ。だからワンダラーアンチをがんばってくださいね」


 ヤーニの頭を撫でた後、クレロワの方に目配せをする。

 ニヤリと相手の口元がゆっくり動いた。


「この間リリが広めたダークミラー、あれこそがディセンションを抑止する最大のものなのだよ」


 ポジティブオーラを擬似的に人々のシンクロードに通じさせ、正の感情を蔓延させる事が出来るダークミラー。

 それは、ディセンションを抑止するには十分な効果がある。


「でも気になることがありまして…… 変なんですよ」


 リリはわざと大袈裟にため息を付き、ソファーに身を放り投げた。


「ダークミラーは無事世界中に配布…… ここなんです。うまく行き過ぎてる気がします。彼ら退化派はわたし達の事を知っていてもおかしくないはずです。この計画だって予想はついてるはず。それを止めようとしないのが気になりまして」


 寝転びながら、窓辺に立つヤーニを見る。

 反射した表情と、目が合う。

 反射的に、表情を柔らかくリリは笑う。


「相変わらずここからの眺めはきれいだね」


 今度は、振り向いたヤーニの視線に触れた。

 さっきとは違い、どこか大人びた雰囲気に、リリはウインクで明るく答えた――

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