12「見下ろす深淵」
12―1
谷間を繋ぐ、長く伸びる橋の上に、三人の男が立っていた。
皆一様に、橋から下。渓谷の深淵を見つめていた。
その内の一人は、右腕を赤く染め、険しい表情を浮かべている。
三人が睨む先、なにやら蠢く影が一つ。それは谷間の岩盤を打ち砕き、戯れるように暴れていた。さらに、周りには奇妙なチャット文字が連なっている。
《縺薙%縺ォ縺ッ譚.繧後∪縺・》
紛れもない、荒らしである。
つまるところ、三人は、それを打倒する術を模索し、途方に暮れていたのだった。
この中にバイオレットは居ない。浮遊の出来ないクリスタルは、このような状況では不利といえる。
だが突然、三人組の一人が、橋から身を乗り出し飛び込んだ。
それを見、隣に立っていた仲間が叫ぶ。
「危ないぞ! マティス!」
その声を微かに感じ、飛び込んだマティスは谷底へ吸い込まれていった。
短めの銀髪が、風で立ち上がる。高さにして二〇〇メートル。それは、浮遊の出来ない体を身投げさせるには危険が伴う高さだった。顔に当たる空気の鋭さが、落下の勢いを物語る。
だがマティスは笑っていた。手に短剣を構え、荒らしに向かい落ちていく。
まさかの行動に荒らしも驚いたか、動きを止め凝視している。
しかし、すぐに周囲で変化が起きた。
砕かれた岩が宙に浮き、竜巻状に吹き荒れたのだ。荒らしは岩の竜巻、その中心に入り込み、上空一〇〇メートルほどの位置まで浮上し始める。
迎撃の意を見たマティスは、落下の刹那すぐさま短刀を懐から取り出す。
飛んでくる、岩の弾丸。マティスはそれを、手にした短剣で疾風怒濤に打ち落とし、さらに荒らしの周囲を飛び荒れる竜巻をもかいくぐる。
宙に漂う岩を足場にし、屈伸。一気に荒らしの元へと、跳躍。見事、間合いに入る事に成功する。
「来られないとタカをくくっていたか、マヌケめ」
無防備にも静止していた荒らしに、マティスは短刀を一振り加える。
右肩部から入った刃は、肉体ならばちょうど心臓がある場所を通過し、そのまま一気に荒らしを二つに切り裂いた。
荒れ狂う驚異は、何も言わず消えていく。浄化完了である。
マティスは一息着くが、依然身体は谷底へと落ちたまま。
このまま頭から岩肌に激突か…… 否。
マティスは、足から谷底へ落ちるように空中でくるりと身を回転させ、そのまま着地。
鈍い音が、谷底に響く。が、マティスは無傷で立っていた。
着地した衝撃により、岩場は激しく壊れていたが、当の本人はあくびをする余裕すら残していた。
それから数分、マティスは場に留まり、辺りの自然を見渡す。
身体に霞(かすみ)を纏わりつかせ、谷間を繋ぐ橋と、紅葉とする木々を見上げる。
仲間の二人が駆けつけて来る間、そのままずっと佇んだ――
*
荒らし浄化の成功は、そのまま祝杯の流れを引いてくる。
近場のチャットルームに移動したマティス達は、飲めや食えやの大騒ぎ。といっても、みなクリスタル。食事すら本来なら不要なため、口へ運ぶものは水と甘味を固めた簡単な菓子程度のものだが。
「おいおい、主役がだんまりとは、あんまりだぜ」
加えて、マティスは無口だった。先刻の出来事を思い起こし沸き立つのは、もっぱら道すがら出会った行きずりの仲間二人である。
とはいえ、二人は懐が広かった。すっかりファンになったと話し、報酬もマティスに多く配分するというのだから気前が良い。
「いやー、実に見事なものだった。俺たちじゃ怖くてあんな真似出来ないよ」
二人の感嘆を聞きつつ、マティスは報酬を受け取った。
嫌みの無い賞賛、悪い気はしない。だが、同時に浮かれる気も起きなかった。
ため息を一つ。二人にボソッと言葉を漏らす。
「俺の長い連れは、もっと無謀なことをするんだがな」
言い終え、注文したツチノコーヒーを飲み干すと、そのままチャットルームを後にする。
フォトンエネルギーが熱く感じられる。中とあまり変わらない濃度のはずだが、錯覚からか妙に眩しく思えた。
視界には、旅人を威嚇する高い山がそびえていた。
マティスは今、〝メリア〟という町を目指し、旅をしている。
そこは、明日駆達の故郷。世界大陸ムティから三〇〇キロ離れた島の中である。
ヤーニに倒された二人の魂は、そこに戻っているに違いない。そう思っての大移動だった。
マティス自身、ヤーニに受けた傷は深かった。
クリスタルの再生能力をもってしても万全な回復は行えず、そのためチャットルームでタグを扱えないほどの疲労をみせていた。
(まあ、急ぎの旅でもない。それに一人は静かでいい)
仲間を連れぬ一人旅。
それは新鮮であると同時に、妙なもどかしさを覚えるものとなっていた――
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