8-3
ここは、ワイスの町。
場所は、数あるチャットルームの一角。
ザックは今、息を軽く吐き、目を開けた。
ぼうっと、片手に持った紅茶を見つめる。
その目先は、ゆっくと左方の窓に移る。
表情は、妙に薄暗い。
また、窓の外も、いつもの様な明るさは無く、異常なほどの暗闇に包まれていた。
〝夜〟が原因で起きた漆黒である。
街の様子も闇に比例し、ずいぶんと辛気を帯びていた。
ザックは、温くなった紅茶を一気に飲み干す。
そして、決断を一つした。
足早に店内を出、夜の町を抜けていく。
手に持ったガラスの容器は、事前にストレージタグで取り出した物。
それは、淡い光を放ち夜道を僅かに照らしていた。
夜は、空気中のフォトンエネルギーが消滅して起きる現象。
フォトンエネルギーを生命力としている人類にとって危険な状態である。
そのため夜を歩くには、エネルギーを蓄えた〝ランプ〟を用いるのが常識であった。
町にも、夜に備えて貯蔵していたフォトンエネルギーを放出する街灯はあるが、それでも携帯用のランプがあったほうが安全なのだ。
音が無く、光も少ない町の中は、寂しいながらもどこか新鮮な気分にさせてくれる。
数一〇分歩いた末、ようやく眼前に家の光が広がった。
夜道もたまにはいいが、やはり眩しい光は恋しいもの。灯りを見るとホッと一息落ち着いた。
道を示すように闇を切り裂き進んだランプも、家からこぼれる光により、その役目を静かに終えた。
町外れに立つ一軒家からは、なにやらザックの旧友サムの声が響いていた。
ザックが家に入るなり、元気な「おかえり」がやって来る。
迎える瞳は、いたく輝いていた。
その隣には、ザックの写真を手にした介護師ルシーが。
はじめてサムに写真を見せてから三日間。
すっかり気に入ったらしいサムは、毎日写真を眺めるのが日課になっていた。
全身が木のように変化したサムは、手を使えない。
変わりに、ルシーが手となり写真を見せる役目を担っていた。
サムは自然をあまり知らない。
それ故に、写された美しい花々、眩しい緑がとても愛おしく、輝いて見えるのだろう。
「今日はちぃも何か来ないし、ホントゆっくりできるよ!」
身を揺らし、サムは喜びを示す。
ザックは、揺れる頭に軽く手を置き、微笑んだ。
だがその目は、ふっと暗く陰気な雰囲気を纏う。
「……なにかありまして?」
ルシーの言葉に、ザックは少しの間押し黙る。
というのも、全ては先刻のチャットルームである。
夜明けを待ちつつリラックスしていた時、突然テレパシーが入ったのである。
接触者は、なんとレリク。スパンセで世話になった恩人だった。
「ぜひ、急ぎ会ってほしい人がいる」との旨をその恩人から受けたのでは、断るわけにはいかない。
しかし、サムにはしばらくここに居るといった手前、報告は気が引けた。
「用が出来て、明日にはここを出なきゃならなくなりました」
ためらいつつ、ようやくザックは事情を告げる。
聞いた途端、やはりか。
陽気だったサムの機嫌が斜めに沈んだ。
「しばらく居られそうだって言ってたのに……」
用事では仕方がないのだが、子供のサムには、それを理解出来ても、納得することは難しい。
ザックは、不機嫌そうに揺れる体を嗜(たしな)めつつ、目的地はスパンセであることを告げた。
「ここからだとだいたい三日くらいで着きますが…… 出来れば明日にでも発とうかと」
が、このままサムと仲違いで別れるのは気が引けた。
ザックは考える。最善の方法を。
結果、ルシーに一つ、頼み事をする。
二つ返事で頼みは承諾された。
「今日一日、ザックさんが旅話をしてくれるそうよ」
こういう場合サムは、ルシーが話し掛けた方が陽気になりやすい。
少々ずるい気がするが、ザックはそれを利用したのだ。
案の定、サムは呆気なく機嫌を直した。
ひとまず事態は収まり、ほっと胸を撫で下ろす。
ザックは、サムの隣に腰を下ろすと、天井を見上げた。
天井は、サムが自然に少しでも触れられるよう、一部に穴を開けていた。
今日のワイスは夜。星が綺麗に見えていた。
それを眺めながら、ザックは旅話を始めた。
旅先で見た景色、知り合った人、そして別れ…… 印象に残る物語たちは、話すザックにとっても、胸をざわつかせるものがあった。
しかし今回、意外な事に誰よりも嬉々としていたのはルシーだった。
なんでも、昔は仲間数人で様々な場所を旅していたらしい。
つい懐かしくなり、旅が恋しくなった様だった。
ザックもまた、そんなルシーに過去を見た。
「俺にもルシーさんみたいな人と旅をしていた時期がありましたよ。その人は、桜のような人でした」
……ザックは気づかない。
この時、ルシーの瞳に、ひどく寂しげな自身の表情が映されていた事を。
「見て見て!」
物思いにふける二人に、サムの呼び声が入り込む。
どうやら星空を見て欲しいらしい。
言われた通り見上げると、空いた天井の先、光を放ちながら流れ落ちる星の光景があった。
一つ二つと流れる星は、やがて無数に降り注ぐ。
星空は夜だけのものである。
星空の写真はザックも何度か写していたが、今日の星空は特別に思えた。
「でも、前に夜があった時はこんなに星はなかったのにな」
サムが首をかしげた。訝しげな視線がすぐに来る。
ザックは、星空の変化についてを教えた。
夜にはレベルがある事。
上空にまで現象が及ぶ最高レベルの夜でないと、こうした星空は見られない事。
「……ふーん。じゃあ、あしたには見れなくなるかもなんだね」
話が難しいのか、サムは見上げたまま考え込む。だが、「見ることが出来るのは貴重」だという事は解ったらしい。
「やっぱりだ、あしたには見えなくなってる!」
はしゃいだサムの声が、天井の穴を吹き抜けた。
一方、ザックには驚きが吹き上がる。
サムが、未来予知をした…… その事に驚嘆し、ただ目を丸くする。
人が持つ神経伝達法〝タキオン信号〟を活性化させるこの行為。
瞬時に行うのは難しい上、得意とする占術師でも、短期間では中々出来ない。だがサムは、容易にそれをやってのけた。
「サム君凄い! 占術師だってそんなに速く出来ないのよ」
ルシーが頭をなでる度、サムの顔は赤くなっていく。
ザックは、ご機嫌のサムを誉めつつ、やんわりと一つ注意をした。
未来予知は自身のオーラを低下させる事から始まるため、危険が伴う。
出来るからといってこれからも安易に行うのは、やはり避けるのが望ましい。
「うん、わかった。でも、ぼく決めたよ。将来は占術師になる!」
サムは、少年らしい単純さをもっていた。
二人に誉められ、火が付いたのだろう。いつか占術師になって世界中を回る。そんな目標を嬉しそうに話した。
小さいようで、大きな変化。夢を持った時、誰にでも訪れる心の輝きを、ザックは喜ばしく受け取った。
のんびりとした時間は、そのまま新たな旅立ちの時を連れてくる――
「じゃあまたね!」
外は依然、闇が広がる。
用事が済んだらまた戻る…… ザックが話すと、サムの身体はゆさゆさ揺れた。
「では、ルシーさん、よろしくです」
握手を交わした後、つま先を旅路に向ける。
夜の中、星は静かに、光溢れる一軒家を見守っていた――
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