5ー3
「ビンズさん、ここです。着きましたよ」
七色の風、そこに荒い呼吸が加わる。
ザックは今、写真撮影に決めていた場所に着いた。
湖の、澄んだ水面が映える土地。
草やぶばかりで歩道はないが、水面に手を触れられるくらい近づける、隠れた名所である。
カメラを手に、湖畔に近づく。
レンズに、湖畔の情景が写る。
「題して、二つの情景ってとこかな」
囲むように広がる木々の情景と、それらを反射し写し出す水面。上下の感覚を失わせる神秘的な一枚が見事に撮れた。
それにしても素晴らしい風景である。このまま湖畔を見ながらの休憩も悪くない。
ザックは思い、気の向くままリンゴ飴を口へ放り、丁(てい)のいい天然の座椅子を探す。
折れた樹木があった。腐りかけで凹凸もあるが、ためらわず腰を下ろす。
小鳥のさえずりが耳を擽(くすぐ)る。
鼻を通るのは、土の匂い、緑の薫り、そしてなにやら芳ばしいコーヒーの香り……
隣に目をやる。飛び込んでくるのは、コーヒー豆。それを口に放りボリボリと食するビンズの姿。
「これか? これを食べるとな、血が騒いでくるんだよ」
豆を砕く心地よい音を立て、ビンズは言った。
なるほど、口の中がコーヒーミルというわけか……
とてもにがそうに思えるが、美味しそうに食べるビンズを見ると、なにも言うことは出来なかった。
ソッと水面を向き直し、じっと音だけを聞くことにした。
(そろそろ戻るか)
色々あったが、無事に目的は達成できた。
護衛の感謝と、戻る旨を伝えるべく、再びビンズの方を向く。
(ん?)
……異変が起きた。
口へと放り投げられたコーヒー豆が、宙に浮かんだまま静止している。
ビンズも同じくその動きを止めていた。
それは、時間流の変動、ラグが起きているという証。
ラグは荒らしが居る時に多く発生する。つまり、この近くにそれが居る可能性が高い。
このまましばらく戻りそうもない。ザックは判断し、目を閉じ身体中に流れる生体磁場(オーラ)の低下を試みた。
オーラを低下させれば、脳の伝わる神経伝達〝タキオン信号〟が活性化し、ラグにも対処出来るからである。
「よし!」
ラグを克服したザックは、そのまま身構えた。
と、同時に、横を勢い良く何かが飛び抜けた。それは、後ろの木に強い音を立てぶつかった。
「……大丈夫ですか?」
ビンズである。
「アンタが固まったままだったから、オレが守ってやったんじゃないか」
どうやら、ビンズの目にも、ザックは止まって見えていたらしい。
ビンズの勇姿に感謝し、同時にザックは思う。
〝守ってやった〟という事は、その対になる存在がいる、と。
案の定、湖の水面にそれは居た。
(子供の荒らしか……)
ザックは一瞬ためらうが、ビンズは既に臨戦態勢、やる気まんまんといった様子で荒らしを見ていた。
「ガキンチョだって容赦しないぜ」
水面に立ち、バイオレットらしく滑空し、ビンズは荒らしの間合いへと詰め寄り出した。
一気呵成(いっきかせい)。迅雷の如き激動が荒らしの方へ突き進む。
が、直後…… ザックの横を、疾風となってビンズは抜けた。
「やるじゃないか!」
吹き飛ばされて、がぜんやる気が出たらしく、ビンズは懲りずに立ち向かう。
荒らしに向けられ開かれる、右手の掌。
バイオレットが得意とするオーラ出力術〝思念波〟がそこから放たれた。
「……や、やるじゃないか」
が、それすらも、無意味に終わる。
荒らしが対抗し放った思念波で、ビンズはまたも吹き飛んだのだ。
思念波は荒らしも得意として用いる技法。むしろ、オーラの量でその圧は大いに変わるため、荒らしと打ち合う場合バイオレットは不利なのだ。
ビンズはまたもや荒らしに向かい、今度は肉弾戦で荒らしを攻め立てた。
しかし、荒らしはそれをあざ笑うような素振りで避けていく。
なんとも不器用な格闘術だった。馬鹿にされるのも無理はない。
一連の様子を見、ザックは確信した。
ビンズは口は達者だが、腕はからきしということを。
そして一つ、思い出す。ことわざという旧文明の格言を。
(羊頭狗肉(ようとうくにく)とはこういうことか)
思いながら掌を開き、荒らしの方にゆっくりかざす。
直後、今度は荒らしが風になった。
「ビンズさんはここに居て下さい」
呆然とするビンズを後目に、ザックは水面から姿を消した。
向かう先は、一〇〇メートルほど先まで吹き飛んだ荒らしの元。
出来れば相手をしたくない。
本業ではない危険な行為。その上荒らしといえど、相手は子供。気が引けた。
されど、子供と言えど相手は荒らし。
このままこの場所に留まるならまだしも、なにかの拍子で街に出ることも起こり得る。
決心を固めた方が良さそうだ。ザックは自身を叱咤(しった)した。
「お兄ちゃんもぼくをいじめるの?」
怒りと悲壮を込めた目が、決意した胸を強く突き刺した。
構えた身を思わず軟化させ、息を飲む。
(暴走していない?)
通常、荒らしはその強いオーラにより、自我を蝕まれ理性を無くす。そのような場合は、もやは浄化する以外に救う手はない。
だが、この子供には自我がある。
詳しく確認すべく、語りかける。自分自身が解るのか、今の状況を理解できているのかを。
「解るよ。そんなことより、ぼくって凄いでしょ。いろんな事が出来るんだよ」
少年はどこ吹く風、周囲の木々をなぎ倒して見せた。
荒らしとしての膨大な力を楽しんでいる。ザックは直感、そして同時に危険を察した。
自我があっても力に溺れているのなら、それがやがて暴走の引き金になる。やはり迷う暇はなさそうだ。
身体をついに、半物質半霊化。戦う意思を示し、宙を舞った。
競走をしている気なのだろう、少年は笑いながら逃げていく。
ザックは、周りの木々をすり抜け追い掛ける。
少年が振り向いた。途端、木々が薙ぎ倒され、惨事。竜巻の後のような無残な光景が広がった。
それでもなお、ザックは加速を止めない。
逃げる少年の動きが荒くなる。明らかに焦りを見せていた。
いつしか迎撃も弱まり、スピードも減速。
そこで更なる加速をザックは掛ける。
少年は慌てた素振りで思念波を放つ。
ザックは浮遊するスピードをそのままに、右側に向かい身を横に一回転。思念波を避けると、ついに少年に追い付いた。
そしてスピードが衰えぬ内に、少年の腹部へ右拳を見舞う。
加速した分、拳は重い一突きになっていた。
少年の思念波をかわすと同時に、攻へと転じるザックの技術。それが、鬼ごっこを終わりにさせた。
地にへたれ込んだまま、少年は動かない。が、やがて、痛い痛いと泣きべそをかき暴れ始めた。
そんな少年に、ザックは歩みより、深く一礼。一言詫びると、優しく事情を聞いていく。
「ねえさんのために探し物してたら湖に落ちて…… その後すぐに夜が来て…… だけど早くねえさんを喜ばせたくて……」
言い終える前に、少年は大きく口を開け泣き出した。
その姿は、とても先刻暴れていた荒らしとは思えない。
ザックは、泣きじゃくる少年に再び諭す。
「その姉さんは今の君を見たらどう思うかな? 悲しむんじゃないかな? だから早く戻らなきゃ、身体を戻してね」
鳴き声をわずかに我慢し、少年はコクコクと頷いた。
「戻り方は解るよね?」
少年は笑顔で、今度は「うん」と深く頷く。
自我を持つ荒らしは、荒らしに非ず。
対話で解決出来るのならば、それが一番。そう考えるザックは、見事に実行してみせた。
「ありがと、お兄ちゃん」
少年は笑顔で湖の方へと進みだした。
荒らしは、魂そのものが生前の肉体を模した形に変化した存在。
それが再び肉体を取り戻すためには、周囲の物に宿り、魂の傷(ストレス)を癒す必要がある。
執着が強い場所の物に宿るほど再生は早いが、少年の場合、この湖がそうなのだろう。
とりあえず、一件落着。
腕を伸ばし、深呼吸。
「ア、アンタ、一体……」
息を切らしたビンズが来る。一部始終を見ていたらしい。
「どこでそんな技術を、てかそんなに強いのになんでオレなんか雇ったんだ?」
賛辞とも、畏怖とも感じ取れる震えた声だった。
どう反応すればいいか、ザックはまごつく。その間も、ビンズは迫り来る。
思い描く強さだったと驚嘆し、弟子にしてくれとまで言って来た。
「買いかぶりすぎですよ。ビンズさん」
ようやく返した一言。
それはなぜか、自分でも驚くような、悲しそうな声色となった――
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