第6-2話:引きこもるけしからん話
ソファで寝そべってスマホをいじってたら、大学から帰ってきた兄貴がリビングに入ってきた。
「あー、疲れた」
なぜ私のすぐ後ろで言う?
「授業のプレゼン、グループワークなのにほとんど俺だけで作ったようなもんだよなあ、あれ」
私じゃなくてグループのメンバーに言え。そんなことを考えながらも黙ってスマホをいじり続ける私の後ろでソファにもたれかかる気配がする。
「いいよなあ、中学生は」
何がだ。死ね。
危なく口に出そうになった。夕飯の準備をしている母さんに聞かれたらまた面倒なことになる。前にも「女の子なのにそんな言葉遣いじゃお嫁に行けなくなる」とかなんとかで私だけ怒られた。
意味が分からない。
そもそもこんな言葉を投げつけたくなるような相手が旦那候補になるわけない。
「中学で習う授業って適度に難しくて一番楽しかった気がするし」
思い出を美化するな。
「宿題しなくても単位落としたりしないし、成績の良し悪しがそのまま就職に直結したりしないもんなあ。いいよなあ」
ああ。
もう限界。
「そうな、いいよな、中学生」
ようやく反応をもらえて顔をほころばせているのが見ないでも伝わってくる。
「だって大学生と違って好きな授業だけ選んで受けたりできないし、座る席だって思い通りに選べないし、嫌いな奴が隣でもそのまま数ヶ月我慢して授業受けないといけないし、中学生のほうが楽に決まってるよな」
黙った。
よし。
と、思いきや。
「も~、なんでそんな冷たいこと言うかな~、お兄ちゃんも頑張って大学行ってるのに、そんなこと言われて引きこもりになったらカナちゃんも困るでしょ」
「はあ?」
困るわけがない。
「バカ兄貴が大学サボって引きこもろうが引きこもるまいが好きにしたらいいけど、私が引きこもらせたみたいな言い方はやめれ」
ガチ切れ手前の私が振り返ると、唇をわざとらしく尖らせながらも、やっと私の注意が引けたことに対する喜びを隠し切れずにいるキモい兄貴の顔があった。
「え~、いや、とかなんとか言ってもさ~、そこは兄を引きこもらせてしまったことに、こう責任とか感じて、優しさを見せてくれるはずでしょ? ウサギさんの形にリンゴ剥いてくれたり、そのリンゴ食べさせてくれたり」
リンゴを切った包丁でそのまま二度と学校行かずに済むようにしてやろうか、と反射的に口走りそうになったが、不穏な空気を察した母さんがこっちをうかがっていることに危ないところで気づいた。
命拾いしたな。
「しねーよ。つーか、そもそも妹程度に引きこもらさせ……」
……あれ?
「引きこもさせられ……引きもこ……もこ……?」
「あれれ~? もこもこ~? もこもこ~?」
両手を耳みたいに頭にひっつけ、めっちゃムカつく笑顔でひょこひょこと体を左右に振る兄貴の顔面に思わず拳を振るった結果、今日も母にガチ説教を食らったのは私だけだった。
いや、これ本気で納得いかねーんだけど。
「こないだタケルさんに聞いたんだけど」
「間違ってるよ」
「でもタケルさんが」
「見誤るよ」
酒屋のレジの向こうに座る幼馴染のタカシ相手にルーチンどおりの会話をこなしてから、あらためて被害者側の視点から現場の真実を伝える。
「そりゃ殴るでしょ?」
「うーん、やっぱ殴っちゃダメでしょ」
苦笑しながらそう返しつつも、カゴからビニール袋へと移し替える手はよどみない。こういう効率化された動きって美しいよな。それに引き換え、あの兄の汚物のごとき顔。
「あんたはあの顔を見てないからなあ。今度スマホで写真撮ってくるわ」
くそ、またあのときのイラつきが蘇ってきた。
「えー、いいよ、スマホ殴っちゃうでしょ」
「あははは、確かにその心配あるね。やめとくわ」
柔らかい笑みとともにビニール袋を手渡してきたタカシの言葉に思わず笑ってしまう。
おや。なんか声に出して笑ったら色々吐き出された感がある。やっぱ副交感神経がアレなのかな。うん。
自分でも良く分からん理屈に頷いていると、向かいのタカシもなんか安心した様子になってた。
「元気になったようで良かったよ。カナとタケルさんが2人で落ち込んで引きこもったりしたらそれこそ地獄絵図だからね」
ああ、それで思い出した。
「ねえ」
お客さんがいないのをいいことにレジの前まで丸椅子を引っ張ってきて長居する体勢を整える。
「誰かのせいで引きこもる羽目になったときってさ、誰々に~のあとなんて言う?」
「ああ、さっきの話か。たまにどう変化させたらいいのか分からなくなることあるよね。引きこもる、みたいに複合語っぽい形だとなんか混乱しやすい気がするから、試しにこもるだけで考えてみたら?」
「こもる?」
「引きこもるって言うところを全部こもるだけにしてみるの。まあ、試しにさ」
えーと、どんな会話だったっけな。
「私がこもらせたって言い方はずるい、って私が言ったら、それに対してバカ兄貴が、いやこもらせてしまった責任がどう、とか口答えしてきたんだよね……それで私が、妹程度にこも……こもらされるのはどうなんだ、みたいな」
あれ? いいのかな、これ。
「それでいいんじゃない? 引きこもらされるのはどうなんだ、って言い方で」
「あれ? そうだね」
変だな。
何を悩んでたんだろ。
「あー、そうそう、妹程度にナントカさせられるのはどうなのよ、ってのが先に浮かんじゃってさ。それでなんか『~させられる』ありきな感じで『引きこもさせられる』みたいな」
「なるほどね。サ行変格活用の基本形ありきで考えちゃったのか」
「なんだっけ、それ。最近授業でやった奴?」
「そうそう。『邪魔する』とか『挑発する』みたいな動詞。まあ、要は『する』って動詞のことなんだけど」
「ああ、あれね」
なんか授業で習ったのと違ったような気もするけど、まあいいや。
「邪魔させられる、とか、挑発させられる、とかそういう『~させられる』って形が作れるのは『~する』って動詞だからね。『引きこもる』の場合は『させ』は付かないよ」
「なるほどね。殺害する、だと、殺害させられる……あれ? 言えるの、これ。なんか変じゃない?」
首をかしげるタカシ。
「……おや?」
おや、じゃねーよ。
「あとさー、今さら気づいたんだけど『~する』って動詞じゃなくても『させられる』って言うよね。『食べる』で『食べさせられる』とかさ」
黙って天井を見つめていたタカシが突然私の顔に人差し指をビシッと向けた。
「……その通り! 正解!」
「正解! じゃねえよ!」
スパンッと頭をはたく。わざとらしく頭を抱えてうめくタカシに私は呆れ声が漏れる。
「結局、どういうときに『させられる』って言えるのよ……」
そうだねぇ、と苦笑しながら顔を上げるタカシ。
「どういうときに言えるんだろうね。『頭をはたく』は『頭をはたかせる』、『どういうときに言う』は『どういうときに言わせる』になるのかな。なんか普通に全部言えそうな気もするけど、そうでもないし」
「タカシがそうつなげたかったから私は『頭をはたかせられた』の?」
なんてね。
ニヤリと笑みを浮かべる。
「あー、それも言えそうだね。やっぱこういう変化って会話のキャッチボールの中で、雪玉を転がすみたいにくっ付いてく感じあるよね」
まあ、今回の話もそもそもの発端がそんな感じだったしな。
あるね、と返そうと思ってちょっと気が変わる。
「なくはないね」
「そうだよね。なくなくなくもないよね」
ここで2人で目を合わせ、同時に吹きだす。
「それ合ってるの?」
「分かんないや」
笑いながらそう返したタカシが、あっ、と声を上げた。
「そういえば、上手く『~させられる』がつなげられない、で思い出したんだけど、こないだタケルさんと話してたとき、上手く『~ない』にできない言葉があったな」
「なんだそれ」
「いや、例えばさ、『言える』は『言えない』になって、『出来る』は『出来ない』になるでしょ?」
「うん」
「『けしからん』だとどうすればいいと思う?」
はい?
「いや、会話の流れで反対を言おうとして『けしからんくない』とか『けしからなくない』とか……なんかそんなんで混乱したんだよね」
「良く分かんないんだけど、そもそも『けしからん』って動詞なの?」
「分からん……が動詞だから動詞かと思った。『分からん』が『分からない』になることを考えると『けしからない』?」
けしからない? ちょっと脳内で何度か呟いてはみたものの、やっぱり日本語的にしっくり来ないな。
「ダメな気がする」
「だよね」
「つーか、そもそも何がけしからんのよ」
「いや、タケルさんがカナの……あっ」
ん?
「いや、なんでもない」
「なんでもなくないだろ」
私はゆっくり椅子から立ち上がり、レジの裏側に回った。椅子に座ったまま、追い詰められたタカシは引きつった笑みを浮かべる。
「いや、なんでもなくなく……」
その頭をガシッとつかむ。
今、そんな下らない話に付き合うつもりはなかった。
目を細めて相手を見下ろし、ゆっくりと短く告げる。
「話せ」
「いやほら、カナ宛に届いた郵便物をタケルさんが勝手に開けたら中に男性と男性が恋愛関係におちいる薄い本が入ってて中学生なのにあんな本を読むのはけしからんよなお兄ちゃん心配だよってタケルさんが相談してきたんだけど俺はほら別にそういうのは個人の自由というか恋愛の形は人それぞれだし『けしからなくない』と思っ」
「よーし、黙れ」
口を閉じたタカシの頭を解放すると、私はレジに置きっぱなしにしていたビニール袋を持ち上げて店の出口に向かった。
自動ドアが開いたところで一度振り返る。
「素直に喋ったから、とりあえず処罰は保留する。刑の詳細はまた追って伝えるから」
まずは主犯に判決を下してからだ。
店を出ると後ろから「え? は!? 保留って何!? 俺、悪くなくない!?」という声が聞こえたが無視した。
知った時点でお前も共犯だ。
悪くなくなくないのだ。
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