第3-3話:ピザと天国の話
「ピザで帽子を作ろうって発想がそもそもアメリカンだよね」
何の話だ。
隣でレシートをじっと見ている
「あ、でもお菓子の家と同じカテゴリって考えれば……」
「つーかさ、ヘンゼルだろうがグレーテルだろうが好きにしてくれればいいんだけど、まずは私の質問に答えなさいってば」
私は両でピザの箱を抱えたまま沙耶の進路を塞いだ。
大学の前を通り過ぎたので、バーベキュー会場となる市立公園まではあと徒歩で10分くらいだ。
すでにピザ屋を出て目的地まで半分以上の道のりを歩いてきてるというのに、一度も箱を持つのを交代してくれないのはどうよ、と愚痴ったのに対する返事が冒頭の言葉だ。
意味が分からない。
「沙耶はバーべキュー大会の主催者側でしょ? 私は参加費を払って参加するゲスト側なのに、なんで私がピザ運んでんの」
主催者側の、バーベキューが上手く行かなかったときのための保険として安全確実に美味しいピザも用意する、という作戦自体はなかなか賢いと思う。
ただそれをわざわざ運ぶのが私でさえなければ、の話だ。
ちなみに参加費は1000円で、この友人の
「せめて交代で運んでくださいな」
「えー、ピザ代を払ったの私だよ?」
「いやいや、あんたの金じゃなくてサークルの予算でしょうが」
可能な限り他人の財布の中の金で生きていこうと考えてる沙耶が、不特定多数の参加者のためにピザを奢るはずがない。
まあ、そんな彼女が500円とはいえ奢ると言ってきたのだ。きっと、どうしても私に来て欲しかったのだろう。私も多少は優しい気持ちになってあげるべきか。
しかしピザ代として封筒に入れて渡されてたのが、お釣りなしの消費税込みピッタリの金額分だったのを知ったとき、ああ、この子に余分なお金を持たせたらどうなるかくらいはサークルのメンバーにも既に知られてるんだな、と優しい目で見てしまった。
「私だってサークルの一員なんだからサークルのお金は私のお金でしょ?」
麦わら帽子の下に見える顔が不満げに頬を膨らませる。
めっちゃ可愛い。
可愛いけどその理屈はおかしい。
「んなわけあるかい」
そもそもこの子は、その自分が属しているサークルの名前すら憶えてないらしいのだ。それでいながらお金の所有権を主張するとはある意味尊敬に値する。
「ほら、こんなくだらない会話で時間使ってると遅れちゃうよ。とりあえず急ごっ」
道を塞いでた私の横をその小柄さを生かしてするりと通り抜けた沙耶は、麦わら帽子から伸びる茶髪と真っ白いワンピースの裾をふわりと揺らした。熱せられたアスファルトを編み上げサンダルが軽やかに叩く。
こんな7月の夏の日にも黒シャツに黒デニムのガリガリな私とはどこまでも対照的な、小柄でゆるふわで可愛らしい、まさに男が守ってあげたくなるような美少女だ。
(まあ、守ってあげるつもりだった男が、この子から自分の財布を守る羽目になるんだろうけどね)
踊るように先を行く沙耶の後ろ姿を見ながら、ふとそんな考えが頭をよぎる。
結局、なんだかんだでピザの配達人を任せられてしまっている自分にため息をついたとき、ふと思い出した。
「そういえばさ」
「何?」
「さっきの話、なんだったん? ピザの帽子がどうとか」
「え、嘘、
そのわざとらしく両拳を口に当ててフルフル震えるのを今すぐやめろ。
「はい、大ヒント! 真紀子が今持ってる箱はなーんだ?」
「ピザの箱」
「もうちょっと具体的に!」
ビシッと立てた右手の人差し指を顔の左側に持ってきて、笑顔でウィンクをして見せる。
こういうの自然にできるのは素直にすごいと思う。私がやったら、反応に困った相手がひきつった笑みを浮かべるのが目に見えてる。
で、なんだって?
具体的に?
私は持っているピザの箱に目を落した。
PIZZA HUT と書かれている。
「あー」
そういうことか。
「分かった?」
「うん」
よーく分かった。この子がまた間違えてるってことが。
「あのさ、ピザハットのハットは帽子じゃなくて小屋って意味だから」
「いやいやいや、真紀子さん、さすがに騙されないですわよ」
誰だ、お前。
「じゃあなんで看板に帽子が描いてあるのかしら?」
私が持っているピザの箱に描かれた赤いマークをその真っ白い小さな手で指し示す。
「残念! これで今日の奢りはチャラね!」
今日一番の笑顔を浮かべている。
やっぱり奢る約束を反故にするつもりだったな。
だけどその発言は墓穴を掘ってる気がする。
その理屈だと、これが帽子じゃないと証明できたら逆に奢らざるを得なくなるんじゃないのか。
「この赤いの、勘違いされがちだけど屋根の形よ」
「え?」
クルクル回ってた沙耶が動きを止める。
私は長い手足を生かして、なんとか片手でピザの箱を脇に抱えると、もう片手でスマホを操作しながら言葉を続ける。
「帽子は HAT でしょ? んでこの PIZZA HUTの『HUT』ってのはあばら家みたいな意味。とりあえず屋根はあるってレベルの間に合わせの小屋のことで、日本語でいう
しゃべりながらスマホの検索画面に文字を打ち込み、検索結果を相手に見せた。ちなみに検索ワードは「pizza hut red roof icon」だ。
検索結果の中の1つ、英文記事を流し読みしていたらまさに当てはまる話が紹介されていた。
「ほら、この記事、屋根の形と看板の相関関係に触れてるね。えーと、『一時期は、実際の店舗の屋根も本当に看板の絵とまったく同じにしていたが、最近の店舗は敷地面積とかの関係で必ずしもそうではない』だってさ」
知りたいことは一通り分かったのでスマホを尻のポケットにしまい、また箱を両手で抱える。
「奢りはチャラはチャラ、ってことでいいよね? ご馳走様」
「……半額だからな?」
じりじりと照り付ける太陽も相まって、灼熱地獄の底から立ち昇る熱気のような声だった。
「知ってる」
ここまで言質をとった上で、フォローも付け加えておくことにした。
「ただ、まあ、沙耶の勘違いもしょうがないっていうか、明らかに狙ってる節があるよね。日本人がハットって聞いて小屋が浮かぶ、なんて普通あり得ないし、あえて帽子って思われるように誘導してるような気はするよ」
「……でっしょー!」
手のひらを返したように元気を取り戻した沙耶が、体をひねりながら両手の人差し指を私に向けてきた。
そのポーズ、流行ってるのか。
「明らかに勘違いを狙ってるよね! 帽子って思わせようって魂胆なんて、まるっとお見通しよ! ピザだけに!」
あまり上手くないな。
「だからやっぱり奢りはチャラで!」
まさかの言葉に私は耳を疑った。
嘘だろ。
諦めてなかったのか。
「いやいやいや、待て、そもそも半額奢ってくれるっていうから来たんだけど? それにこれで普通に全額自腹だったらピザを運ばされてる分、私損してるよね?」
色めきだつ私に沙耶が右手の甲を口に当てつつ、わざとらしく怯えた顔をする。
「500円程度にがめつすぎませんか、真紀子さん」
おおっと?
「地球上のありとあらゆる生命体の中で、それを、あんたにだけは、言われたくない」
「はあ!? 私は倹約家なだけでがめついわけじゃないし!」
心外と言わんばかりに言い放った沙耶の顔を思わずまじまじと見てしまう。
嘘だろ。
そういう認識だったのか。
私は力なく首を振った。
「あんたみたいな人がいるからタックスヘイブンが活気づくんだろうな」
ああいう人たちもきっと節税してるつもりでしかないんだろうなあ。
「何それ」
麦わら帽子がクイッと傾く。
いちいち可愛いな。
まあそれはそれとして、私もそこまでタックスヘイブンについて詳しいわけじゃないから、ざっくりと簡単にしか説明できない。
「日本でお金を稼ぐと日本政府に税金とられるのよ」
「そりゃね」
「でもその稼いだお金をあの手この手で税金が安い国に送ると、払わないといけない税金が減る、ってワザがあるのよ。そのお金を避難させる場所のことをタックスヘイブンって言うの」
沙耶は、そんな素晴らしい手があるのか、と言わんばかりにめっちゃ感心した顔をしてる。
いや、これ、どっちかって言うと悪徳だからね?
「いいなあ。まさに税金天国ね」
ん?
「違うよ?」
「もう、分かってるってば! ちゃんと訳したら違うんでしょ? でもほら、まさに税金天国って感じの話だから!」
真紀子はいちいち細かいんだから、と沙耶は、わざとらしく口を尖らせる。
いや、細かいとかそういう話じゃなくて。
「そうじゃなくて……これもさっきのピザハットの話と同じなんだけど、ヘイブンって英語の意味が……」
「天国でしょ? それくらい知ってるってば。あー、でもどっちかっていうと楽園のがしっくりくるかな」
「いや、だから、それはヘブンであってヘイブンじゃないのよ」
私の説明にめっちゃ困惑してる沙耶。
そりゃそうか。
この説明じゃ分かりづらすぎる。これは私が悪い。
「えっとね」
ちょうど赤信号で止まったのをいいことに手近な場所へ箱を置いてスマホを操作する。この信号を過ぎたら、もう公園は目と鼻の先だ。
メールソフトを起動し、文面に「ヘブン Heaven」と「ヘイブン Haven」と並べて、最後に「Tax Haven」と付け加えた。
「こっちがヘブンで、こっちがヘイブン。タックスヘイブンは後者ね。Haven は安全な場所とか避難所とかそういう意味」
若干の沈黙のあと、沙耶が呟く。
「じゃあヘイブンじゃなくてヘイヴンだろが」
ヴの音を強調する。
顔が怖い。子供が見たら泣くやつだ。
というか、そもそも……
「それ言ったら天国の方のヘブンも、ヘヴンでしょ」
「そーね」
沙耶が諦めたように肩をすくめた。
まるでそれが合図だったように横断歩道が青になる。
そして沙耶が道の先を指さした。
「ほら、急ご! 私たちのヘブンが待ってる!」
沙耶が駆け出す。
なんか上手いこと言ったみたいな雰囲気を作ってるけど、要はこのまま500円の話をうやむやにするつもりだな。
まあ、いいか。
まだ今日はこれからだし、なんとしても払わせてやろう。
このとき私はそんなのんきなことを考えていた。このあと起こるあれやこれやを知っていたら、とてもそんな考えは出てこなかっただろうと思うが、それはまた別の話だ。
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