第4-3話:殺人事件とダイエットの話

 騒々しい足音が高校の廊下に響き渡る。そしてそれは徐々に俺のいる理科室へと近づいてきた。

 どうやらここも安全ではなかったらしい。まあ、俺が放課後に校内で時間をつぶす場所なんて自分の教室を除けばここから図書室くらいだからな。

 いずれにせよ策を講じずにいれば見つかることは必至だ。俺はパソコンの前から立ち上がりモニタの電源を切った。

 そして無言のまま、部屋にいるクラスメートの科学部員に向けて、立てた人差し指を口に当てて見せた。意味はもちろん「俺がここにいることは黙っててくれ」だ。

 素早くパソコンデスクの下に潜り込む。壁とデスクの板に囲まれた狭い空間で、視界は無いに等しいが仕方がない。入口から見られないことが一番重要だ。

 俺が姿を隠すのと、扉が勢いよく開く音が理科室に響き渡るのは、ほぼ同時だった。

竹林たけばやし先輩いないッスか!」

 パソコンデスクの下からでは、扉が開いたのは音でしか確認できなかったし、そこから飛び込んで来るや否や俺の名前を叫んだ生徒の姿も見えなかった。

 ただ姿は見えなくてもそれが180cm近い背丈で、短い髪をピンで留めた女子であることは分かっていた。

「いやー、ここにはいないかな」

「了解ッス!」

 女子の問いに理科部員が答えると、無駄に元気よく叫ぶ声が理科室にこだましてドアが勢いよく閉じられる音がそれに続いた。

 部屋に静けさが満ちた。

 俺は、ふう、と安堵あんどのため息をもらし、隠れ場所から這い出ようとした。

 しかし直後にふと違和感に気づく。

 待て。

 おかしい。

 静かすぎる。

 あの女が立ち去ったのなら、がしないんだ?

「見つけたッス」

「うあああああああああああああああああ!?」

 満面の笑みを浮かべた顔が、いきなり上下逆に現れた恐怖は体験した者にしか伝わらないだろう。

 いや、奴としては単にパソコンデスクの下を覗き込んだだけだったのだろう。

 しかし、その高すぎる身長のせいで結果としてはホラー映画さながらに頭だけがいきなり上から降ってきたようになってしまった。

 俺はまだバクバクいってる心臓の鼓動を押さえつけた手の下に感じながら、デスクの下から這い出した。

 手近な椅子に腰を下ろして、俺の肝を潰しかけた女子を見上げる。

 佐藤さとう律子りつこ

 なぜか俺を付け回し、好き勝手に思いついた日本語をぶつけてくる。

 自分でも言ってて意味が分からない。

 理科室の扉が開く音がしたので目を向けると、クラスメートが出ていくところだった。

 そのまま姿を消すのかと思いきや、ニヤニヤ笑いながら佐藤に「ごゆっくり」と言わんばかりにひらひらと手を振ってから姿を消した。

 なるほど。

 奴が俺の隠れ場所を教えたのか。

 裏切り者め。


「聞いてくださいッス」

 理科室の複数人で使う大き目の机に腰掛け、足をブラブラさせながら佐藤が俺を見下ろす。

「お前、その前に俺を恐怖で殺しかけたことに対する謝罪の言葉はないのか」

 まずはそれだろ、と相手を睨みつける。

 するとなぜか嬉しそうに頷かれた。

「それッス」

「何がだ」

「なんでも殺人事件になるッス」

 やばい。

 相変わらず何を言いたいのか分からない。

 どういうことだ。

「つまり、なんだ。お前、俺を殺しにきたのか?」

 じゃあ帰ってくれ。

 いや、そうじゃなくても帰って欲しいんだが。

「違うッス! あたし先輩が大好きだから死んで欲しくないッス」

 片足を組んで机の上に座ったままの相手に真顔で言われた。

 どうでもいいがその体勢はスカートの角度がギリギリだぞ。

「ああ、なんだ、そういう台詞せりふはもうちょっと恥じらいながら言ったほうが効果があると思うぞ」

「無理ッス。あたし、恥じらい捨ててるッス」

「そっか」

「そッス」

「……」

「……」

「いや、え? で、なんで俺を殺そうとしたんだ?」

「違うッス。殺人事件ッス」

 結局殺すんじゃねえか。

「だから、どんな言葉も後ろに殺人事件がつけられるッス」

 うん?

 分かるような分からないような。

「もう少し具体的に」

 うーん、と腕組みをしながら考え込む。ようやく何かを思いついたらしく、顔を上げた。

「さっきのは『いないいないばあ殺人事件』になるッス」

 何を言ってるんだこいつは。

 あきれ顔を浮かべてしまったが、言葉にしてもらったおかげでようやくなんとか言いたいことが分かった。

「えーと、つまりお前が言いたいのは『殺人事件』って単語の前になんか適当な言葉をつけるだけで推理小説のタイトルっぽくなるってことか? 『駒込ピペット殺人事件』とか『旧型パソコン殺人事件』とか」

 適当に目に付いた理科室の備品で例をあげてみる。

「おー、まさにそれッス! 『理科室殺人事件』ッス」

 うーん?

「え、今の駄目ッスか」

「いや別に駄目とかそういうのはない。ただなんかインパクトに欠ける気がしただけだ」

 なんだろうな。短すぎるからかな。

「インパクト殺人事件」

 いや、耳に入った名詞を片っ端から殺さないでくれ。

「どうでもいいけど、それだと『インパクト』が固有名詞っぽく聞こえるな」

 概念というか、とらえどころのなさすぎる単語だからだろうか。ここら辺、もっと大量に事例を集めれば何か見えてきそうだな。

「じゃあ、ディープインパクト殺人事件」

 また殺しやがった。

「それ馬の名前だろ。殺人じゃねーぞ」

 あれ? じゃあ、どうなるんだ、こういうとき。殺害事件か。

 いや小説のタイトルなら殺馬事件って表現もありかもな。訴求力ありそうだ。

 そんなことを考えていると、机の上に座ったままの佐藤が嬉しそうにこっちを見ていた。

「なんだよ」

「先輩が楽しそうだとあたしも嬉しいッス。恩返しッス」

 恩返し殺人事件。そんな言葉がふと浮かんだ。

 そもそも恩返しってなんだ。

 俺がお前に何か恩を返してもらえるようなことをしたのか。覚えがないぞ。

「恩ってなんだ?」

 俺のこの問いに佐藤は、思い出せないなら別にいいッス、と微笑んだ。泣きたいのをこらえているような、そんな笑顔だった。

 その滅多に見せない表情に言いようのない胸のうずきを覚えた俺は、その微妙に理不尽な負い目を振り払うように強めの言葉を返した。

「別に楽しんでねーよ。つうか、このネタって、別に殺人事件って言葉に限らないだろ」

「暴行事件とかッスか? ディープインパクト暴行事件」

 ちょっと犯罪から離れろ。

 あと可哀相だからディープインパクトは解放してあげてくれ。

「いや、そうじゃなくて、ダイエットとかさ」

 俺の言葉に、なおも相手がに落ちない表情をしてるのでとりあえず例をあげてみることにした。

「いや、ほら、食べ物の名前とか……なんでもダイエットのネタになりそうな気がしないか? 納豆ダイエットとか青汁ダイエットとか」

「コンニャクダイエットとか聞くッスね」

「そうそう。それで、そこからもうちょい踏み込んで、カルボナーラダイエットとかパンナコッタダイエットとか言えば、ほら、ありえないけど響きとしてはありな気がするだろ?」

「おおおお!」

 机の上に片膝を立てたまま、嬉しそうに前後へ大きく揺れる。

「めっちゃ分かるッス! さすがッス!」

 何がそんなに楽しいんだ。

 あと頼むから足を組み替えるときはもう少し気を遣ってくれ。ホントに見えそうなんだが。

 この気苦労で痩せたら、なんて言うんだ?

「見えそうで見えないダイエットか」

「へ? 今なんか言ったッスか?」

「いや、なんでもない。あとスカートの中が見えそうだからちょっと下りろ」

「了解ッス」

 机の上から下りて、俺の隣の椅子に座った。

 あれ? こいつ、俺より背が高いのに座ったときの高さはほとんど変わらないのか。

 ああ、足が長いのか。

 つうか、いまさらだけどこいつかなりスタイルがいいな。

「お前、ダイエットいらないよな」

 俺のこの言葉に相手は何か誤解したのか、ちょっと不安そうな顔を浮かべた。

「もうちょっと太ったほうが先輩的には好みッスか?」

 スタイル的には今のままのが好みだが、なんかそれを素直に口に出すのは悔しい気がした。

 だから突き放すように「好きにしろ」とだけ返した。

 そんな俺の冷たい言葉にも落ち込む様子なく、じゃあ今の体型を維持するッス、と微笑んで立ち上がった。

「入学時の体型のまま、変えないように努力するッス」

「なんでだ?」

 相手がこのまま帰ってくれそうだったので、引き止めるつもりはなかったが、どうしても気になったので聞いてしまった。

「気づいてもらうためッス」

「誰に何をだよ」

「分かんないッスか?」

「分からん」

「じゃあ、それまでこの体型を維持するッス。名付けて『菱餅ダイエット』ッス」

 はあ? 今の会話でどっから菱餅が出てきたんだ。

「つーか、菱餅ばかり食ってたら太るだろ」

「そこら辺は企業秘密ッス」

 そして佐藤はスカートをはたくと、踊るように部屋から姿を消した。


 時計を見るともうすぐ学校を出ないといけない時間だった。

 うーん。どうやら放課後を有意義に使いたいなら、こないだからちょいちょい示唆されてる「菱餅」の謎を解くしかないのか。いや、それで本当に解放されんのかどうかはよく分からんが。

 なんとなく菱餅に関する話をどっかで誰かにしたような気もするんだよな……。

 まあ、いいか。とりあえず今日はまず理科室を閉めてもらうために、さっきどっかに姿を消したクラスメートの理科部員を探しにいかないとな。

 謎解きはまた明日からだな。そんなことを考えながら、俺もまた理科室を出た。

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