第4-2話:菱餅の話
まあ、なんというか、中学時代のあたしは本当にダメな子だった。
女子の群れから突き出す175センチメートルというデカい図体を目立たないように精一杯かがめて歩いてた。人の注意を引きたくないから自分から喋ることもなく、人と目を合わせたくなかったから目にかかるほどに前髪を伸ばした。
そして、まあご想像の通り、当時のあたしは結果として相当目立ってた。当たり前だ。身長180センチ近いデカい女子が、前が見えるかどうかも怪しいほどに前髪を伸ばして猫背で歩き回り、話しかけても返事がなかったんだから。
そんな中学時代だった。控えめな表現になるが、正直あまり楽しい学校生活ではなかった。そんな中学から一番近い公立高校に進学した結果、入学式で同じ中学からの同級生が多いことに気づいてしまい、出だしから暗澹たる気持ちを抱えることとなった。
入学式が終わり講堂を出たあともまっすぐ校門へと向かう気はしなかった。そこでは多くの生徒が集まっていた。まるであたしが1人なのを際立たせるように、大勢で明るく華やかに笑っていた。
気が付くとあたしはそこに背を向けて、ふらふらと講堂の裏手へと歩いていた。そこは校庭の片隅でもあり、桜の木が立っていた。その木はあまり元気な様子ではなかった。桜色よりも幹や枝の黒が勝っていた。それでも桜の花は確かに咲いていて、うっすらと紅を混ぜた淡い白はやっぱり綺麗だった。
あたしは木の根元に腰を下ろしてひざを抱えた。真新しい制服が汚れるかもしれないなどという考えは浮かびもしなかった。ただ何も考えずに膝のあいだに顔をうずめていた。
「菱餅って知ってるか?」
斜め後ろから男子の声がした。座ったまま後ろを見ると、男子の平均よりは高そうだが、あたしよりかは少し背が低い男子生徒が少し離れたところから木を見上げていた。もしかして、あたしに話しかけているのだろうか。彼の位置からはあたしはほとんど見えないはずだ。周囲を見渡す。誰もいない。やっぱりあたしだろうか。
仕方なしに頷いてみる。相手からしてみたら、長い前髪のせいで頭の前か後ろかも分からない相手に頷かれているわけだ。
「なかなか不思議な名前だよな」
何がだろう。菱形のお餅だから菱餅だ。何一つ隠すところのない、堂々とした名前にすら思える。ちょっと羨ましいほどだ。
「丸い餅は丸餅で、角餅は四角いお餅。どっちも形以外はまったくの自由だ。だけど菱形のお餅、菱餅となると、途端にいつ食べるのかも味も色の数も、何もかもが決まってしまうんだよ」
うん? まあ確かにそうかもしれない、と面白く思う気持ちと、いやいやなんか騙されてるような、と首をかしげたくなる気持ちが同時に沸き起こる。
「菱餅がいくつの色でできてるか、知ってるか?」
こっちを向いてあらためて聞いてきた。話しかけられるのが苦手なあたしだったが、不思議と抵抗はなかった。ただ質問の意図はさっぱり分からないままだったが。
色の数。
うーん、どうだったかな。あたしは前髪の隙間から見える相手に向けて、自信なく3本の指を立てた。
「正解。じゃ、その色は?」
まさかの第2問だ。えーと、色かあ。ぼんやりと脳内に浮かんだ菱餅はまだ白黒のままだ。
白はあったはずだ。手をグーに戻し、また1本ずつ指を立てながら、思い出す。ひな祭りだからピンクもあるだろう。あともう1色か。指を2本上げたままぼんやりと桜の花を見上げる。
そこからちらりと見やった男子生徒は構える様子なくあたしの回答を待っていた。なぜか待たせることに焦りはなかった。いつまででも待っていてくれる。そんな気がした。
ふと目が合いそうになった。思わず顔をそらす。
向いた先の地面には緑の芝生。思い出した。3色目は緑。多分。あたしの指が3本立ったのを見た相手が、一瞬待ってから口を開いた。
「最後の質問だ。その3つの色は上から順に何色だ?」
あたしは前髪に隠れた目を見開いた。そんなこと考えたことも無い。順番なんて本当に決まっているのだろうか。え、いや、そんな馬鹿な。
引っくり返したら逆になってしまうのに、決まっているわけがない。あたしが黙っていると相手は桜の木を見上げて勝手に話を続けた。
「菱餅の出番があるひな祭りは3月3日だ」
だから3色という話なのだろうか。
そんなわけがない。
「旧暦の3月は冬だ。温暖化の進んだ今と違って、3月に雪が降ることもあったんじゃないかと思う。草が茂る地面の上にその雪が積もる。降り終えた雪の上に、満開の桜が散り始め……いや、3月に桜は咲かないかな。紅梅か桃か、どっちかかもしれない。とにかく、真っ白い雪の上に薄紅色の花びらが降り積もるんだ」
そこで言葉を切ってこっちを見ている。いつものように目をそらしてしまうことができないほど、あたしは困惑していた。相手はすでに結論まで話したようなそぶりだったからだ。
何1つ理解していないあたしは、思い切り首をかしげて見せた。前髪がばさりと横にズレる。
顔は見えずとも、その仕草にあたしのとまどいはこれ以上ないほど伝わったらしい。相手は困った様子だった。考えた挙句にようやく口を開いた。
「いや、ほら、だから菱餅は下から順に緑、白、紅の順番なんだ。菱餅は3月なんだよ」
あたしの脳内に、菱形をした分厚い板が浮かんだ。それを草が覆いつくす。緑色の菱形だ。そこへ上から同じ形の雪で出来た塊がドンッと重なる。さらにフワリと薄紅色の菱餅がその上に音もなく重ねられた。
出来上がったものは下から順に草色、白色、薄紅色で、それはそれは見事な菱餅だった。
菱餅は3月なんですね。あたしは精一杯の勇気を振り絞り、笑顔でそう伝えた。いや、伝えようとした。しかし長いこと人に話しかけるということをしてこなかったあたしの口はそんな短い言葉さえ転びつまずく有様で。
「菱餅は、3月なん、すね」
まるで体育会系の後輩みたいな口調だったし、多分、笑顔どころか片頬をひきつらせただけだったはずだ。それでも相手は、一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたあと、穏やかな顔でこういってくれた。
「なんか、可愛いな、それ」
その言葉に、きっと大した意味なんてなかったんだと思うし、おそらく言った本人も覚えてないだろう。だけどそれは、物心ついてから初めてあたしが男の子に可愛いと言われた瞬間だったのだ。
「お、おっす」
ちょっと頑張ってみたあたしに、彼は安心したように頷いた。
「よし。まあ、なんだ、だからもう春ってことだ」
「おっす」
「だから元気出せ」
「おっ……おおぉお!?」
ちょっと待て。
まさかこれまでの話はあたしを元気付けようとしてたのか? 嘘だろ。知識をひけらかしたい、という虚栄心とは違う目的があるようだとは思っていたが。
「じゃな」
この人、信じられないほどに回りくどい人だ。この人は変な人だ。うん。そしてそんな人に惹かれたあたしも相当に変だ。
だけどそれでいいか、という気がした。
その日、あたしはバッサリと髪を短くした。妙に重たく感じたからだ。
それからあらためて高校生活が始まって、あたしは同級生や先輩にたくさんたくさん話しかけて、あの人を見つけた。
だけど相手はあたしとの出会いを覚えていなかった。交わした言葉は少なかったし、印象に残りやすいはずの馬鹿高い背丈はしゃがみ込んでいた上に木の陰にいたせいで気づかれず、先輩の脳裏に一番の特徴として刻まれていたであろう馬鹿みたいに長い髪の毛は消え失せていたからだ。
まあ、それでも何一つ困ることはない。
あたしは菱形のお餅で楽しませてもらったお礼をするために、それと負けないくらい面白い日本語を今日も探すだけなのだ。
「先輩! 妖怪っぽい名前を思いついたッス!」
「早く言え。そして帰れ」
そしていつか先輩を楽しませるのだ。
菱餅のお礼をするのだ。
うん。
楽しくなってきた!
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