第4-1話:頭撫での話

 放課後の教室は早くも人影がまばらだ。特に用事もなかった俺は科学部のパソコンでゲームでも遊ぶか、それとも駅前のファーストフードで100円のコーヒーと一緒に読書でもするか、どっちかだなあ、と迷いながら腰を上げた。

 元気いっぱいの声で名前を呼ばれたのはそんなときだった。


竹林たけばやし先輩!」


 声は教室の後方の入り口から聞こえてきた。

 だから俺は鞄をつかむと迷わず入り口へと向かった。

 振り向かずとも声のした方向に待っているのが誰か分かっていた。異様に背の高い、短髪をピンで留めた、無駄にエネルギッシュな1年生の女子生徒がいるということも分かっていたし、そいつの名前が佐藤律子さとうりつこであることも分かっていたし、なぜか俺に付きまとうようになってから聞くだけ無駄な話しかしないことも分かっていた。

 しかし俺が前方入り口の引き戸に手をかけるより早く、廊下を疾走する足音が先にそこへ辿り着き、扉を勢いよく向こうから開いた。

「なんで無視するんスか! 聞いてくださいッス!」

 俺も一応男子の平均身長はあるはずだが、さすがに180cm近い目の前の女子には負ける。こちらを少し見下ろす形になっている目は無駄に生き生きとしており、そして無駄に開いた口からは無駄な情報が流れ出る。

「妖怪っぽい名前を思いついたッス!」

 やばい。

 意味が分からない。

 それはなんだ。

 あれか。

 僕の考えた超人みたいな話なのか。

 お前は一体全体俺に何を期待しているんだ。

「早く言え。そして帰れ」

頭撫あたまなで」

「そうか。良かったな」

 佐藤が言い終えるより早く俺は手短に返事をしながら、相手と引き戸の隙間を抜けて廊下に歩き出ていた。しかし、すでに会話は終了したはずなのに当然のようについてきてはピョコピョコと俺の周囲を跳ね回るようにして満面の笑みを向けてきた。

「どッスか! どッスか! 竹林先輩! どッスか!」

「そうだな。『う』で始まって『ざい』で終わる3文字の言葉をお前に贈ろう」

「違うッスよ! あたしのことじゃなくて、あたしの考えた妖怪っぽい名前ッス!」

 自分がうざいという自覚はあるのか。

 それは困るな。分かってて付いてきているなら、そこを攻めても仕方がない。俺は話を打ち切るべく手短に感想を述べることにした。

「ああ、なんだ。要は妖怪の名前が『名詞と連用形』で構成されてるって話な」

「れんよーけー」

「なんで片言なんだ」

 馬鹿話をしているうちに昇降口にたどり着いてしまった。下駄箱に上履きを放り込み、取り出した靴に足をねじこむ。

「連用形だよ、連用形。ほら、お前の中学時代を思い出せ。授業で習っただろ」

 国語の活用形を習っていないということはないはずだと思いながら説明すると、なぜか相手が頬を赤らめながら視線を彷徨わせる。

「せ、先輩、あたしの中学時代、知ってるんスか……?」

 知らねーよ。

 義務教育は全員が義務だから義務教育って言うんだよ。

 そう言おうとした矢先、いきなり相手の困惑していた表情がパッと笑顔に変わった。

「も、もしかしてストーカーッスか! 愛のストーキングッスか! あたしの中学時代を愛のストーキングで調べ上げたん……」

「おらぁ!」

 いきない大声で不穏なことを叫び出した相手の前頭部に俺は渾身のチョップを叩き込んだ。

「ぎゃーっ!」

「い、いい加減にしとけ?」

 周囲の帰宅部たちの視線が痛い。俺はこいつと違って目立つことには抵抗があるのに、どうしてもペースに巻き込まれてしまう。

「殴った!? 2度も殴った!?」」

「なんでだよ、1度だ!」

 しかし、まったく効いた様子がないな。さっきまで感じてた罪悪感を返してくれ。


 靴を履き替え終えたので、スノコから降りてとっとと校門へ向かって歩き始めようとした瞬間、ガクンと体が止まる。

 後ろを見ると、佐藤が俺の服の裾をガッチリつかんでいる。ここまで付いてきたなら一緒に来ればいいのになぜ引き留める、と不思議に思ったが、考えてみたらここは2年生用の下駄箱だ。なるほど。こいつはここじゃ上履きを履き替えられないんだな。

 俺は親指で1年生の昇降口を指す。

「いいから靴を履き替えてこい。待っててやるから」

「本当ッスか!? 待っててくれるんスか!?」

 ぐぐっと顔を近づけて来る。

 やめてくれ。そんな無垢な目を向けられたら……

「いや、嘘だ。待つわけねーだろ」

 相手が放しかけた手がさらに強く俺の制服を握り締めた。

 しまった。

 どうしても根が正直なため、真っ直ぐ聞かれると素直に答えてしまう。どうしたものか。

「なんなんスか、それ、なんなんスか!」

 いや、本当になんなんだろうな、これ。

 とりあえず周囲の視線がマジで痛いので、外履きの靴のまま、昇降口の端へ向かった。そこにあった用務員のためのものとおぼしき、背もたれのない丸椅子に腰を下ろそうとして気づく。椅子が1つしかないな。うーん、しょうがない。

 なんかこういうとき、相手だけ立たせて話をする、というのは抵抗がある。自分でも良く分からんがとにかくそういう性分だ。席を譲ると、相手は嬉しそうに小さい丸椅子の上で器用にあぐらをかいた。うっ。微妙に目のやり場に困る。

「いや、お前、一応は女の子なんだから、その、なんだ」

「一応とはいえ、女の子として見てくれてるのは嬉しいッス」

 前向きだな、おい。


「さっきの話なんだけど、お前が言ってる妖怪っぽい名前って、名詞と連用形の組み合わせってことだと思う」

 連用形というのは日本語の動詞をベースとなる「語幹」と変化する「活用形」に分ける考え方の中で出てくる活用形の種類の1つだ。

 例えば「走る(はしる)」という動詞の場合、常に変化しないのは「はし」の部分までで、これが「語幹」となる。その後ろの「る」は、用途によって変化する。連用形はその変化の中で「~ます、~です」などにつながる形だ。つまり「はしる」の場合、連用形は「はしり」となる。

 妖怪の名前で「名詞+連用形」のパターンに当てはまるのは「あずきあらい」「つるべおとし」「まくらがえし」などだ。それぞれ名詞のあとに続いているのは「あらい+ます」「おとし+ます」「かえし(がえし)+ます」などの連用形だ。

 最後の「かえし」が「がえし」となってしまうのは「連濁」と言う現象で、これはこれでなかなか面白い話なのだが、今回の件には関係ない。


 ということを説明してみたが、ちんぷんかんぷんの様子だ。

「うーん、あたしにも分かるように説明して欲しいッス」

「それは無理だな」

「そこをなんとか」

 バッサリと即答した俺に、拝むように手を合わせてくる。

 しょうがないな。俺は何か例になるものがないかと周囲を見渡した。視線の先で掃除用具入れのロッカーが半開きになっており、中のほうきが見える。

「あそこに箒があるだろ? んで、箒ってゴミを払ったり集めたりするだろ? 『払う』の連用形は『払い』で、『集める』の連用形は『集め』だ。そういう連用形の前になんでもいいから名詞を置いてみると……なんだ、例えば『道払い』とか『すす集め』とか言うと妖怪の名前っぽい、っていう話なんじゃないかと思ったわけだ」

 自信なさげな俺の言葉に、相手は座ったまま感激したような雄叫びを上げつつスカートの上からパンッと膝を打った。

「おおおお! あの、わずかな時間のあいだに、さすがッス! 惚れるッス!」

 そういえば、前々から気になっていたのだが、こいつはどうしてこんな変な喋り方なんだろう。次に話す機会があったときでもいいか、と思ったが、そもそもそんな機会があることを考えたくなかったので、今聞いてみることにした。そんな俺の問いにビッと親指を立てる。

「先輩と後輩と言ったら、やっぱこれッスよ!」

「女はあまり使わないんじゃないか? 普通」

 いや、そんな女子と良くしゃべるわけじゃないんだけどさ。

「あたし、普通じゃないッス!」

「……いや、まあ、確かにそうだけどさあ」

「否定してくれないんスか!?」

「え、お前、自分のことを普通の人間だと思ってたのか?」

「ひ、ひどいッス! 普通かどうかはさておき、人間だとは思ってるッスよ!?」

「そこは疑って……ない……ん……いや……いや、疑ってないぞ?」

「あー、悩まないで欲しいッス!」

 けらけら笑う相手を前に、そこでなんとなく話が一区切りついた気がした。

「じゃな」

 俺は急いで背を向けその場を後にした。


 さて、すでに昇降口を出てしまったからには、部室棟にある科学部へお邪魔するプランは捨てざるを得ない。仕方ないな、今日は駅前のファーストフードでの読書コースだ。でもすでに結構時間を無駄にしてるからなあ、とか、そんなことを考えていた俺の背中に、周囲の目など気にしないあいつの大声が飛んできた。

「今日のは面白かったッスよ! 菱餅ひしもちの話の次に面白かったッス! またお願いするッス!」

 う、うるせえ。

 周囲の視線に、穴があったら入りたくなるような恥ずかしさを覚えつつ、ふとあいつの言葉にあった一言が気になった。


 菱餅?


 もしかしてそれがこの現状を生み出した元凶なのか? 一体全体何を話したのかまったく思い出せないが、わざわざこっちからそれを聞きに行く必要もないだろう。どうせまたあいつのほうから訪ねてくる。そのとき聞く機会もあるだろう。

 当たって欲しくもないこの予想はまんまと当たるのだが、それはまた別の話だ。

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