王宮の勇者達

 ―――ザザザザザザッ!


 まだ明けきらない真冬の街道は、それこそ一寸先も伺えない闇を纏っていた。

 陽の光はまだ遠く、さりとて月は既に天空より退場している。近づく夜明けを感じ取った星々も、その瞬きを止めて暗闇に溶け込んでいた。

 夜と朝の刹那……。闇が最も深くなるこの時間、街灯など備わっていない道を行く事は、夜の森を歩くと同等に危険とされている。


(エリス―――。もうちょっとゆっくり行った方が良いよ―――?)


 そんな足元もおぼつかない中を、王都へ報告する役目となったエリスは、信じられない速度で駆け抜けていた。


「ユウキッ! うるさいっ! ちょっと黙ってなさいっ!」


 昨晩の降雪で、街道には少なくない量の雪が積もっている。未だ朝とは言えない時間帯、その道を誰かが踏み固めてくれていると言う事も無かった。

 柔らかな新雪をものともせず、砂煙ならぬ雪煙を撒き散らしながら、エリスは全神経を集中させ、それでもスピードを落とす事無く王都への道を只管に駆けていた。

 

(急ぎたい気持ちは分かるけど、こんなに道が悪くっちゃあ、慌てるだけ無駄って気がするけどね)


 エリスに口を閉じる様言われているにも拘らず、ユウキの毒舌とも取れる言葉は止まらない。

 それでも、既に融合を果たし、平時よりも圧倒的に身体能力が向上しているエリスは、行く手を阻む雪をものともせずに、正しく猪突猛進を実践していた。遠目で見れば何事かと目を向けてしまう様な勢いで、雪道と化している街道を爆進していた。


「そんな事は分かってる……っ!? って、わっ!? キャアアァァァッ!」


 ユウキの言葉に、何事かを答えようとしたエリスだったが、全てを言い切る事は出来なかった。


 ―――ドガガガガズザザザザッ!


 やはりと言うべきか、僅かに足を滑らせたエリスは、その勢いの恩恵を受ける形で盛大に頭から新雪の絨毯へと突っ込み、20m程も滑走する羽目となったのだった。

 周囲の雪をかき集める形で街道に突如、巨大な小山を出現させたエリスは、その山の麓から何とか生還する事に成功した。


「ほ―――らね? 言った通りだろ?」


 すでに融合を解いていたユウキは、雪と泥で口では言い表せない程酷い状態となったエリスに、少し得意気に胸を逸らしてそう言った。

 

「……う―――……」


 その言い方に流石のエリスもカチンときたのだが、今回の事は全面的に彼女が悪いと分かっているだけに、何も言い返す事が出来ずただただ唸り声を上げるしかなかった。


「ほらほら、エリス。そんなとこで座り込んでたら風邪を引いちゃうよ? もうすぐ夜明けだし、随分と距離も稼いだんだから、焚火でもして朝食にしないかい? 俺は腹が減っちゃったよ……」


 ―――グウウゥゥゥゥ―――……。


 エリスを気遣ってそう言ったのかと思いきや、ユウキは本当に空腹だった様で、直後に巨大な腹の虫がその要望をアピールした。


「……しょうがないわね……」


 不承不承、彼の提案を採用すると言う形でそう口にしたエリスだったが……。


 ―――クウウゥゥ―――……。


 エリスの方からも、食を所望する声が響き渡った。


「なんだ。エリスも腹減ってたんだな」


「こっ……これは違うわよっ!」


 ユウキの意地悪な笑みを受けて、顔を真っ赤にしたエリスが全力で否定する。全く以て無駄な足掻きな訳だが、それでもエリスは、勝てない戦いにその身を投じていたのだった。

 その結果、朝食を取る時間が半刻程遅くなったのは言うまでもない……。





 エリスが漸く王都へと辿り着いた時には、陽も西に大きく傾き、周囲には夜の気配が忍び寄って来ていた。朝のドタバタ劇もあり、その後は無理な行軍を敢行する事は無かったからだった。

 雪道を歩くのは、慣れている者でも多大な労力を必要とする。ましてや気の急いていたエリスは、身体全体に余分な力が入り、その疲労感も一際大きいものとなっていた。

 それでも彼女は疲れた体に鞭を打ち、その足で王城へと向かったのだった。それは勿論、上官であり「対魔属部隊バレンティア」全軍司令官であるノクト=セルシオンに面会を求める為であった。


「エリス様、よくぞ無事にお戻りとなられました」


 城門まで来たエリスを、衛兵は恭しく迎えた。明らかに年上であるにも拘らず、衛兵はエリスの前でかしこまり、その表情はやや引きったようでもあった。

 この国で……いや、この世界で勇者は、尊敬や憧憬しょうけいの念を集めると同時に、畏敬や畏怖される存在でもあった。人界の敵である魔属と最前線で戦う、人類最高戦力達にして唯一無二の武力達。彼女達の存在無くして、今ある人界の繁栄など有り得ないのだ。

 それと同時に、一般の人間では到底持ち得ない、恐るべき力を有している理解しがたい存在であるとも言えた。

 普通の概念で考えれば、エリスが衛兵に敵う事など有り得ない。しかし実際は、勇者となったエリスを前にして、衛兵は1分と立っている事は叶わないだろう。それ程に勇者の力は想像を絶しているのだ。


「ありがとうございます。ノクト様はまだ執務中ですか?」


「はいっ! まだ帰られておりませんっ! ご案内いたしますっ!」


 故に衛兵が緊張を露わにすることも仕方なく、エリスももうそう言った対応には慣れていた。だからと言ってエリスの方は、役職上で上下に位置すると言う事を差し置いても、その事で普段の態度を一変させると言う事も出来ない。その結果、この様な何とも不可思議な会話が繰り広げられる事となっているのだった。

 衛兵を前に城内を歩くエリス達は、程なくして思わぬ人物と対面する事になった。


「あ―ら―――? エリスちゃんじゃな―い―――? 戻って来てたのね―――?」


「メイファーさん!」


 エリスの前に現れたのは、彼女の上官にして教育係でもあり、そして親友でもあるメイファー=ガナッシュであった。彼女は相も変わらずメイド服を隙間なく着こなしており、この城でのメイド職を満喫している処だった。

 ここまで案内を買って出ていた衛兵に礼を述べて、エリスはメイファーに案内される形でノクトの元へと向かっていた。


「……そんな事に―なっているとは―――……。それは―忌々しき―問題ですね―――……」


 今回の事件についてエリスは簡潔に説明し、それを聞いたメイファーは深刻な顔で頷き考え込んだ。その表情とは裏腹に、今一つ緊張感に欠ける彼女の話し方だが、エリスの方は既に慣れたもので気にした様子は伺えない。

 その話しぶりも然る事ながら、勇者であるにも関わらず城内でメイドとして働くなど、その奇行が目立つメイファーではあったが、彼女の実力は誰よりもエリスが良く知る処なのだ。


「へ―――……。またあの魔属に遭遇するなんて、あんた達ってよっぽどあの種族に縁があるのね―――」


「まぁね。もっとも縁は縁でも、因縁の方だろうけど」


 エリスとメイファーの話を余所に、ユウキもまたと会話を交わしていた。その相手とは言うまでもなく、メイファーの聖霊であるアシェッタであった。彼女は僅かにウェーブの付いた赤い巻き毛を指に絡ませながら、ユウキの話を聞き呆れたように答えていた。メイファーとアシェッタもまた、数か月前にエリスが巻き込まれた事件の当事者であり、その真実を知る数少ない関係者だったのだ。


「でも、あんな奴らがまた出てきたって事は……この人界にも、結構な数が入り込んでるって考えられない?」


 アシェッタの口にした内容とは裏腹に、何故か彼女は表情を明るくさせている。


「そりゃ―――……そう考えられるだろうね」


 そんなアシェッタに、答えるユウキもどこか投げやりだ。何故ならユウキには、この後の展開が想像出来たからだった。


「だよね、だよね? それじゃあさ、私達にもお呼びがかかるって事じゃないの? 強い魔属が大挙して侵入してるんなら、当然私達も戦場に向かわなきゃならないんだもんね?」


 アシェッタはどちらかと言えばアクティブな性格で、城の中で過ごす事にかなり辟易としていた事をエリスとユウキは知っていた。任務の報告に訪れる度、その時の事を根掘り葉掘り聞かれ、最後は愚痴を聞かされる羽目となっていたのだった。


「こら―――、アシェッタ―――。不謹慎よ―――」


 そこへユウキ達の話を聞きとどめたメイファーが、アシェッタの軽口にお灸をすえる。間延びして語気も荒くない彼女の口ぶりであったにも拘らず、アシェッタの身体がビクリッと震えた。


「……だって……」


 恐る恐る振り返ったアシェッタは、唇を尖らせ拗ねた子供の様にそう口籠った。そんなアシェッタを、メイファーは「完璧な笑顔」で見つめている。

 メイファーも実は、ではかなりアクティブな様で、彼女の笑顔に見つめられては、アシェッタも言葉が続かないでいた。


「で……でも、本当にメイファーさん達の力が必要かもしれません。アシャッタ様の言う事も間違いじゃないかもしれませんよ?」


 すかさずエリスが助け船を出し、漸くその場の空気が弛緩する。メイファーも「本当の笑顔」をエリスに向けて小さく頷いた。


「そうですね―――。兎に角―――、ノクト様への報告を急ぎましょう―――」


 再びメイファーが先行し、それにエリス達が連れられる形で、4人は城の廊下をやや早足で進んだ。





「エリス、良く戻ったな。早速で申し訳ないが、分かっている事を説明してくれ」


 乱雑に書類の置かれた執務机を挟んで、エリスの前には一人の女性が座っていた。その人物がエリスに向けて、労いの言葉もそこそこに性急な説明を求めた。

 ゆっくりと静かに……それでいて得も言われる重圧を感じさせる声音でそう告げたのは、メイファーとエリスの……いや、「対魔属部隊バレンティア」に所属する勇者達全ての統括者である人物、ノクト=セルシオンその人であった。

 彼女の話しぶりはとても穏やかで優しいにも拘らず、何故だか相手に反論する余地を与えない強制力を纏っている。それでいて、その圧を受けた者も、決して嫌悪や忌避を覚える事は無い。それどころか、進んでその要望に応えようと気にさせられるのだ。


 ―――彼女は、正真正銘の「将」であり「指揮官」であった。


「はいっ! ノクト様っ!」


 一際引き締まった声で返事をする彼女からも分かる様に、ノクトを妄信する多くの勇者達同様、エリスもノクトには絶大な信頼を置いている。彼女にそう告げられて、明瞭簡潔に話そうと四苦八苦するエリスの拙い話を、ノクトはただ目を瞑り、黙って聞いていた。

 一通りの話を終えたエリスが、ノクトの裁量を待つ。彼女は机に肘を突き組んだ両手を顎のあたりで当てて、未だ目を瞑った状態で熟考している。果断即決が信条のノクトをして、エリスの報告した内容には即座の指示を出せずにいたのだ。


「……人語を解する魔属の再来と、人を魔属へと変える儀式……そして真の目的か……」


 ノクトの重苦しい声が、狭い執務室内に響き渡る。彼女にしては珍しく、漸く開いた口から漏れ出た言葉は、方策や差配では無く、エリスの話した内容を反芻はんすうするものだった。


「ノクト」


 案ずるでも質問するでもなく、ただ先を促す様に彼女の名前を口にしたのは、ノクトの執務机に表情を変えず立ち尽くしている彼女の聖霊ベルナールであった。容姿端麗な者が多い聖霊に在って、一際美しさの際立つ彼女の表情には感情と呼べるものが浮かんでおらず、それがまた妖美を醸し出していた。

 

「ああ、済まない、ベルナール。明日早朝にも此処を発って、カクヨ村の状況を確認しよう。エリス、済まないが君にはカクヨ村へと同行してもらう。それからメイファー、君も含めて、この城に常駐する出動可能な勇者の人選をすすめてくれ。可能な限り引き連れて行く。それから、必ず『シモーヌ』を連れて行く事。彼女にもその旨、伝えておいてくれ」


 ベルナールに促されたノクトは、堰を切ったかのように、矢継ぎ早に指示を口にした。


「ノ……ノクト様も―ご出立なさるのですか―――? それに、シモーヌ様も―お連れになるのですか―――?」


 ノクトが指示した相手は、彼女の補佐役も務めているメイファーであったが、彼女はノクトの指示に疑問点を見出し、慌てて再確認を求めた。


「ああ、私も行く。この目で状況を見なければ、判断と決断の付かない事が多すぎる。それにシモーヌでなければ、今回の件には対応できないだろう」


 ノクトの言う「シモーヌ」とは、シモーヌ=ステファンの事である。

 彼女は齢47歳の、現在確認されている勇者の中では最高齢の女性だ。既に初老と呼べる域に達しており、前線に赴く事自体が珍しい。

 更に彼女は、勇者の中でも稀有とされる「回復魔法」を専門に行使する「僧侶クレリック」の上位である「司祭プリースト」となれる勇者でもあった。

 彼女の魔法ならば、条件さえ整えば「蘇生」も行う事が出来る。高齢が懸念されるものの、治療の為にシモーヌを同行させるのは理にかなっていた。

 メイファーの反問に嫌な顔一つせず、ノクトは求められた疑問に適宜てきぎ答えて行った。そして……、


「……もっとも……シモーヌの力を以てしても、どうにもならないかもしれないがな……。出来る手立ては全て打っておくとしよう」


 最後に、うめく様な小声でそう独り言ちてその場を締め括ったのだった。それはまるで、ノクトには既に結果が分かっている様な、そんな脱力感をも滲ませる言葉だったが、その事に気付いたのは彼女の聖霊であるベルナールだけだった。





 夜となり、再び冷気の波が押し寄せて来る。明日以降は、より一層多くの雪が降り出すかもしれない……そう思わせる程の冷えた空気は、来るべき「聖夜」を世界が感じ取っているかのようであった……。

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