聖夜の落とし子達

 戦いを終え、女性達の生存を確認出来たエリス達だったが、意識を取り戻さない彼女達を運び出す事は出来ない。急遽人手を求める為、足の速いヘラルドがカクヨ村へと戻り、その間エリスが彼女達の様子を見る事となった。とりあえず上階の部屋を一つ選び、そこで暖を取り女性達を寝かせて行った。

 一心地着いたエリスは、燃える暖炉の炎を見つめながら、先程見た像についてユウキに質問を投げ掛けた。


「……ねぇ、ユウキ……。あれが……サンタクルスって神様なの……?」


 人並外れた魔力を有するエリスだったが、流石に一戦闘を終えた直後と言う事もあり、その顔には疲労の色がありありと浮かんでいた。ましてや相手にしたのは、A級と言っても過言ではない魔物である。彼女の疲れがピークに在ったとしても、それは仕方の無い事であった。


「そうだよ。あれがサンタクルスだね」


 一方ユウキには、彼女の様に疲れたと言った様子はない。もっとも、聖霊は勇者に手を貸すだけであり、戦いに聖霊の力を用いる訳ではないのだから、これは当然と言えば当然である。


「あれが……奇跡を起こしてくれる……神様……? なら……彼女達を守ってくれた最後の防御障壁はやっぱり……?」


 暖かな暖炉の熱に、エリスの睡魔は彼女を急速に侵食して行く。


「さ―――てね? 石像の神様が奇跡を起こして、ドラゴンの攻撃から人を護った……なんて話、俺は聞いた事無いからね―――」


 彼女の質問に対して、ユウキはやっぱりいつもと同じようにお道化た仕草と共にそう答えた。


「……もう……あんたはいっつも……そんな言い方……」


 エリスの抗議の声は、最後まで言い切られる事は無く霧散して溶けて行った。


「少しお休み……エリス……」


 眠りの底へと沈んで行くエリスを、ユウキは優しい眼差しで見つめながらそう呟いた。





「エリスッ! エリ―――スッ! 起きなよ―――っ!」


 ペチペチと顔を叩かれ、耳元で大声をがなり立てられては、どれ程疲れに身を任せて眠っていようとも目を覚まさない訳がない。当然、エリスも例外では無かった。


「……いた……いたっ! いたたっ! 痛いわね、ユウキッ! それにうるさいっ!」


 微睡む暇も与えられなかったエリスは、ガバッと飛び起きると同時にユウキへと苦情の声を上げた。


「随分グッスリだったね―――。よく眠れた?」


 エリスの剣幕などどこ吹く風、ユウキはエリスの目の前をフヨフヨと漂いながら、両手を頭の後ろに回してそう尋ねた。


「……ええ……お陰様でね。寝起きは最悪だけどね」


 多分に恨み節もブレンドされたエリスの言葉にも、ユウキは一向に気にした様子はない。


「それは良かった。もうそろそろ、あんちゃん達が戻って来るんじゃないかな?」


 何だかんだで寝ずの番を果たしたユウキは、ヘラルドが出て行った時間から換算してそうエリスに告げた。結局エリスは、たっぷり一刻半(大よそ3時間)眠りにつき、殆どの時間ユウキに彼女達の様子と周囲の警戒を任せた事となった。


「あ……そ……そうなんだ……。その……ありがと……」


 ユウキにそんな気は無くても、エリスにしてみればグサリと事実を突きつけられ、礼を述べる彼女の言葉も尻すぼみに小さくなり、最後はゴニョゴニョと聞き取れないものとなっていった。


「んん? エリス、何か言った?」


「べっ……別に何も……っ!」


「それよりエリス、あの人達、何だか様子がおかしくなってないかい?」


 上手く聞き取れなかったユウキが反問するも、急に恥ずかしくなったエリスはそれを否定しようとする。しかし、その言葉さえ最後まで言い切る事を許されなかった。ベッドで寝かされている女性達に異変を見止めたユウキが、エリスの言葉に被せてそう告げたからだった。見れば3人の女性達は、時を同じくして一斉に呻き声を上げながら苦しみ出したのだ。


「ちょ……何っ!? どうしたのかしらっ!?」


 慌てて女性達の元へと駆け寄ったエリスだが、彼女にはどうする術もない。彼女自身に看護や治療の技能が備わっている訳ではないのも勿論だが……。


「ねぇ、ユウキッ! 融合して僧侶クレリックタイプになれば、彼女の治療も出来るんじゃないかなっ!?」


 エリスが思いついたアイデアを口にする。

 ユウキには他の聖霊と違い、あらかじめあらゆる勇者の経験がすでにインプットされているのだ。故に殆ど経験のないエリスでも、数多の武器を扱える勇者になる事が出来、最初からある程度の強さも身に付ける事が出来るのだ。

 聖霊が初めて人界に顕現してより数百年。数多の勇者が犠牲になったその上に、あらゆる武器の、多くの経験を蓄積した聖霊は多数存在する。それらの経験を吸い上げ、それをフィードバックさせた新機軸の聖霊……そのプロトタイプがユウキであった。

 もっともユウキにも、今までの勇者がこれまで得た経験を植え付ける事が出来る“容量”に限りがある。最も強い聖霊は、“最初の4体”と呼ばれる最古の聖霊とされ、その聖霊クラスも最上位に当たるSSアラートに任命されている。流石にそれ程膨大な経験を植え付ける事は出来ず、ユウキには満遍まんべんなく多くの経験が焼き付けられているのだ。

 その結果、ユウキはこの世界に顕現して未だ数か月にも関わらず、あらゆる武器や職業を勇者ランクB相当で行使出来る。当然、僧侶系勇者へと変形へんぎょうする事が出来、そうなればエリスの言った事も不可能ではない……のだが。


「ちょ―――っと、難しいんじゃないかな? 彼女達は毒を受けた訳でも無ければ、怪我をしている訳でもないからね―――……。これは一種の呪いじゃないかな?」


「……呪い……ですって……」


 ユウキの言葉に、エリスは驚愕の表情を浮かべて、苦しみもがく女性達を見るしか出来なかった。





 それから一刻の後、人手を連れてやって来たのはヘラルドでは無くカナーンであった。


「救助対象が女性ですからね。ヘラルドよりも私の方が良いと判断しました。念の為に、村の医者と薬師を連れてきたのですが……これでは手の打ちようが無いですね」


 カナーンは、苦しむ女性達を一瞥しただけで状況を判断し、小さく溜息を混じらせてそう呟いた。細やかな気配りの出来る処は流石だったが、事呪いに関してはどちらも門外漢である。応急処置的な事は可能だが、治療となるとそれこそ呪い師まじないしの力が必要な事案なのだ。


「もう……鬱陶しい……。兎に角、現状を維持しつつ、一度村へ帰るのがベストね。こうなったらそれこそ、司令官殿に判断を仰ぐ必要があると思うんだけど?」


 前髪に掛かる美しい髪を掻き上げて、カナーンの聖霊シャナクがそう提案し、それを受けたカナーンも頷いて答えた。


「そうね……早速王都へと報告に向かう手配もしなければならないし、彼女達の看護もしなければならない。勿論、不測の事態や容体の急変に備える必要もあるわね」


 カナーンが僅かな思案の後、これからとるべき行動を口にする。冷静さを伺わせる彼女の口調ではあったが、その中には少なくない焦りの色が透けて見えていた。同じ女性として、目の前で横たわり苦しむ女性達に心配と同情を抱いているのだろう。


「それじゃあ、早速カクヨ村へと戻りましょう!」


 彼女達を一刻も早く村へと連れ帰った処で、良いアイデアを持たないエリス達には現状、打つ手がない。それでも、強くなりつつある雪を考えれば、早々に村へと戻る方が得策と言える。エリス達は互いに頷き合い、女性達を荷車に乗せると、積もり出した雪で足場の悪くなった森を、西へと向かい移動を開始したのだった。





 それから更に数刻後、エリス達は何とかカクヨ村へと辿り着く事が出来た。強さを増した雪に行く手を阻まれたのも然る事ながら、運悪く途中で魔物の集団と鉢合わせしてしまったのだった。

 夕闇迫る森の中、視界の悪い中で意識の無い女性達と、彼女達を運ぶ村人達を守りながらの戦闘で、魔物を撃退するには想像以上の時間を要した。それでも、苦戦をする事無く戦う事が出来たのは、ひとえにカナーンとエリスの連携に依るところだった。

 スラリと細長いエストクと言う剣を武器とするカナーンは、その見た目と同様に素早く、鋭く、正確な攻撃を繰り出した。無駄な動きを一切行わないカナーンは、ランクBであるにも拘らず、エリスよりも速く優雅に、そして縦横無尽変幻自在に飛び回り、次々と魔物をほふっていった。

 イレギュラーな事態さえ起きなければ、人界で遭遇する魔物や魔属はB級以下の所謂下級魔属ばかりである。平素であれば、余程の事が無い限り苦戦など有り得ないのが本当だった。

 攻撃オフェンスをカナーンへと委ねたエリスは、徹底した守り……護衛ディフェンスに専念した。この役割分担が見事にはまり、村人たちに一切の被害を出す事無く戦闘を終えたのだった。

 それでも時間だけは蝕まれ、エリス達がカクヨ村へと到着した時には、すでに夕闇が周囲を支配していたのだった。


「これから村を発つのは、余りにも危険すぎます。今日は村で休息を取り、出発は明日にしましょう」


 着いて早々に、テキパキと女性達の処遇や今後の指示を与えていたカナーンが、出発をくエリスにそう告げた。ここから王都までは、普通ならば徒歩で約1日。朝に出れば、夕刻には到着するだろうが、容体の知れない女性達を思い、エリスはすぐにでも出発しようと考えていたのだった。


「で……でもっ!」


 すぐに反論を試みようとしたエリスの機先を制したのは、相対していたカナーンでは無く、彼女に付き従うシャナクだった。


「あーん、もう! 鬱陶しい! あんたが焦ってるのは分からないでもないけど、今からじゃあ強行軍になるって言ってるの。他の季節ならいざ知らず、こんなに雪が降り積もってたんじゃあ、街道を進むのだって一苦労なのよ? それにあんただって、今日だけで魔属との戦闘を何度もこなしてるんでしょ? そんな疲れた体で、一体どこまで進めると思ってるの?」


 セリフだけ聞けば、何ともキツく突っ慳貪つっけんどんであるが、その実その声音にはエリスを思いやる気遣いが含まれ、何とも優しい物言いだった。


「エリス、彼女の言う通りだ。今日だけで、俺達は勇者の力を使い過ぎてる。確りと休んで、明日早々に発った方が、結果としては早いんじゃないかな?」


 珍しく……本当に珍しく、ユウキはお道化る事も冗談を口にする事すらなく、何時になく真剣な表情でシャナクの言葉を支持した。

 そんなユウキをエリスは驚いた顔で見つめたが、普段見せない彼の姿を見たからこそ、その言葉に意地を張る事無く従う事が出来たのだった。


「とりあえず、この村に住む呪い師を呼んであります。彼女が解呪できるかは分かりませんが、とりあえずて貰うとしましょう」


 落ち着きを取り戻したエリスを確認して、カナーンはそう提案した。出発自体は明日であっても、何もせずに過ごすなど、エリスでなくとも我慢出来なかったのだ。カナーンを先頭に、エリスとヘラルドは女性達が寝かされている宿屋へと向かったのだった。


 



 宿屋には既に、呪い師を名乗る女性カフーがベッドに横たわる女性の手を取り、何やらムニャムニャと呪文の様な物を唱えている処であった。

 その小さな背中を目の当たりにして、カナーンを始めとして誰も彼女に声を掛けようとはせず、カフーの行動が止むまで待ち続けた。


「……待たせてしまったようだね……私がこの村で呪い師を生業なりわいとしておるカフーっちゅーばばあじゃ」


 握っていた女性の手をソッとベッドへ戻し、カフーと名乗った老婆はゆっくりとエリス達の方へ振り返った。

 茶色く皺だらけのローブは酷く薄汚れ、深く被ったフードのせいで彼女の表情は伺えない。辛うじて覗く弛んだ顎には、ローブと同様多くの皺が刻まれていて、耳にした声よりも遥かに高齢なのではと思わされた。首から下げているのは呪具なのだろうか、掌大の宝石が幾つも連なっているかと思えば、その間には真贋しんがん不明な小さな髑髏どくろが挟まっている。まるで魔術師を思わせる酷く歪な杖を突きながら、ヒョコヒョコと歩き出した彼女は、部屋の隅に在った椅子に向かいそこに腰掛けた。


「カフー殿。それで、彼女達の容体は?」


 カフーが落ち着くのを見計らって、挨拶もそこそこに、身重な彼女達の状況を問うた。その口火を切ったのはカナーンだった。


「……良くないね……」

 

 じっくりと間を取って口を開いたカフーから発せられたのは、何とも簡単明瞭な一言だった。

 もっとも、状況が芳しくない事は云われなくてもエリスにだって分かる事であり、彼女達が知りたいのはもっと本質的な事だった。


「……これは明らかに何らかの呪い……呪術じゃ。呪いの種類やそれを呼び込む経路が不明じゃて、私でもこの呪いを祓う事は出来ん……」


 改めて聞くまでもなく、エリスやカナーン、あのヘラルドにさえそうではないかと言う懸念はあったが、改めて指摘されると一行の間には重苦しい空気が漂った。

 それでも、何か手掛かりでも掴もうとカナーンが顔を上げてカフーへ詰め寄ろうとする。その鼻先に、彼女が声を出し動き出す前にカフーは手を翳して、その行動を制して見せる。こう言った動きには、さしものカナーンも先手を行かれており、一日の長がある事を否定できない。

 

「解呪出来はしないけどね……どんな呪いかは察しが付くよ……。聞くかい?」


 ローブの奥に引っ込んでいた顔が少しだけ露わとなり、その妖しい瞳が一行を見据える。そこに宿る光が、エリス達に警告を発していた。


 ―――聞けばきっと後悔する……と……。


 だが、もしもそうであったとして、それでも聞かないと言う選択肢を彼女達は取れる筈もない。僅かに息を呑んだ後、カナーンはゆっくりと頷き先を促した。


「そうかい……なら、聞かせようかね……。今、呪術に掛かり苦しんでおるのは、間違いなく母親の方……それに違いはない」


 そこで一区切りさせたカフーは、カナーン、エリス、ヘラルドの順に、ゆっくりと首を動かしてその表情を窺ってゆく。


「この呪術に侵されきれば、彼女達の身体は限りなく魔属に近くなるじゃろうて。どういった呪力かは知らんが、人を魔属に変える呪術なんぞ、この歳になって初めて拝んだよ……」


 彼女がそう言い切った瞬間、驚きと落胆、その両方がない交ぜとなった雰囲気が周囲を押し包む。それでも、本当の悪夢はこれからだった。


「その呪術が終わり、母体が魔属になっても、それで終わりじゃあない。……いや、そこからが本番じゃと言って良いじゃろうの」


「……まさかっ!」


 カフーの言い終わり直後、カナーンは比喩では無く顔を蒼ざめさせ、そう叫んでいた。本来ならば、呪いに苦しみ安静を取っている女性の間近で大声を出すなど、節度を弁えているカナーンにはありえない事だったが、それ程に驚愕する事実に行き当たってしまったのだ。


「……お前さんの考えてる通りじゃよ。魔属となった母体は、そのお腹の子に凶悪な魔力を存分に注ぎ込む。生まれる前より魔属の洗礼を受けた子は、人として生まれながらに魔属と言う存在となるじゃろう……。それがどれ程の災厄を齎すのか……婆には分からんがの」


 そんな事は有史以来、一度たりとも起こった事のない凶事だった。そしてカフーの言う通り、生まれて来る赤子がどれ程の力を持ち、どの様な災いを引き起こすのか……それは誰にも分からなかった。






 激しさを増した雪は、外の世界を白く冷たく覆ってゆく。

 見る者によってその姿を変える雪景色は、今、エリス達には先の見えない死の草原にしか見えなかった……。

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