悪夢の魔物
一体、自分の目の前では何が起こっているのか?
エリスに促されて戦闘態勢を取っているヘラルドだったが、彼には今の状況が完全に理解出来た訳では無かった。それは目の前の展開が全て、彼にとって初めての……未知の事柄であったに他ならない。
もっとも事態は、彼の認識が現状を把握するまで待ってはくれない。
彼の眼前で、まるで子供の様に小さかった魔属が、今や小山ほどの
「ガフッ……」
一つ大きな息を吐いたドラゴンは、それと同時に火炎の吐息を洩らした。まるで体内に抑え込んだ炎が、抑えきれずに口元から零れ落ちた様である。そしてそれは、今にもエリス達に炎の洗礼を浴びせかける前兆の様でもあった。
「……っ!? 来ますっ!」
エリスの警告と同時に、ドラゴンは後方へ大きく首を
―――ゴオゥッ!
それと共に、ドラゴンは灼熱の炎をその
たった一息炎を吐いただけで、冷え冷えとしていた地下室の温度が急激に跳ね上がった。
―――ギュンッ!
大きく距離を取ったヘラルドの側面から、彼の回避方向を先読みしたかのように、巨大な丸太を連想させる物体が襲い掛かる! ドラゴンの尻尾が、ヘラルド目掛けて横薙ぎに払われたのだ!
―――ガキンッ!
刹那の刻、ヘラルドは三つの事に衝撃を受けていた。
まず一つは、勇者ランクAである自分の動きを目の前の魔物は、それを上回る速度で追撃して来たのだ。例え不意を討たれたとしても、人界に現れる魔属や魔物にそんな事が可能な筈等無かったのだ。
そしてもう一つ。それは、自身よりも勇者ランクが下である筈のエリスが、己が反応しきれなかった攻撃に対応した事だった。如何に“特務”とは言え彼女の動きは、Aランクよりも下である筈のDランクとは到底思えないものだったのだ。
「ヘラルドさんっ! 大丈夫ですかっ!?」
巨大なドラゴンの強力な尾撃を、瞬時に飛び出したエリスがその正面から受け止めた!
ヘラルドの受けた衝撃的な事実、その最後の一つは、彼女の姿だった。
彼の知るエリスの勇者化した姿は、弓を攻撃手段とした
「あ……ああ、問題ないっ!」
それでも、流石はAランクの勇者である。すぐに思考を切り替え、今ある状況を把握しつつ、体勢を立て直す事に成功していた。
―――ブンッ!
体を反転させて、尻尾を引き戻す動きを利用したドラゴンは、今度は反対方向からその尻尾を
―――ギャギンッ!
そしてその攻撃をも、即座に反応したエリスは、手に持つ大盾で防いで見せたのだった。ヘラルドの見る限りでも、彼女の動きは下位ランクの勇者に留まらず、自分と同等だと思わせるに十分であった。
ただ今度は、彼も
「応っ!」
彼女がドラゴンの尻尾を受け止めるに合わせて気合い一閃、ヘラルドは大剣を振りかぶりドラゴンへと肉薄する。その動きは正しくAクラス勇者のそれであり、彼の振るった剣閃がドラゴンを切り裂くのに、疑いなど抱き様の無いものであった
―――……筈だった。
無防備と思われたドラゴンの頭部に見舞われたヘラルドの一撃を、魔獣は余裕すら見せて回避行動を採ろうとしていた。その動きがヘラルドには確認出来たのだ。
脳裏に浮かぶ「何故だ!?」と言う疑念を抑え込んで、彼の思考は次の動きを考えようと働きだしていた。
―――ズガガガガッ!
「ギャァオオォ―――ッン!」
その直後、攻撃直前だったヘラルドの眼前で、ドラゴンが巨大な稲妻に撃たれて咆哮を上げる。電撃に動きを止めたドラゴンへ、ヘラルドは当初の行動をそのまま行使し、手に持つ大剣を振り下ろした。恐るべき速度で軌跡を引く彼の剣撃は、回避行動を取り損ねたドラゴンの頭部、その右目を切り裂いた!
「グギャアァァッ!」
短い
「エリスッ! 今のは……っ!?」
互いに間合いが開いた事で仕切り直しの形となり、ヘラルドはエリスの方へと振り返り、彼女の姿を見止めて幾度目かの絶句をした。何故なら彼女の姿が、先程とは似ても似つかないものへと変貌していたからだった。
エリスは今、頭からすっぽりとフードを被り、足まで伸びたローブを傍目かせている。
その下で身に付けているのは、魔法的色合いと模様の刻まれたチェニック。
そして彼女の右手には、奇妙な形をした、彼女の背丈ほどもある
「その姿は……
エリスの姿は、如何にも魔法使いと言った
本来、聖霊と融合した勇者は、何か一つの武器を顕現して戦う。そしてその武器は、聖霊が最も得意としている物となる。
勇者と融合し、勇者が戦う度に得る経験を蓄積して行く聖霊にとって、武器を分散させて使用するのは効率が悪い。そして自ずとその武器は、聖霊が顕現してから最も使用頻度の高いものへと傾倒して行き、いずれは一種の武器に辿り着く。
勇者に選ばれた人物は、例え戦闘経験が乏しく武器の扱いに不慣れであっても、聖霊の経験値により、まるで熟達した戦士の様に魔属と戦う事が出来る。その代わり、宿主が武器を選ぶ事は、基本的には出来ない。もし選んだとしてもその熟練度は低く、魔属と戦うには心許ないものとなるだろう。故に勇者も、敢えて聖霊の不慣れな武器を選ぶ事は無いのだ。
「ヘラルドさんっ! 畳み掛けますよっ!」
瞬時硬直したヘラルドにエリスはそう声を掛けて、彼の問い掛けに答える事無くドラゴンへと向けて駆けだしていた。
彼の眼前で、走り出したエリスの身体が、緋い魔力光に包まれる。
(ユウキッ! 次、お願いっ!)
(あいよっ! お次は……これかな? エリスッ、そのまま全速力で突っ込めっ!)
(分かったっ!)
光は完全にエリスを覆い隠し、彼女の装備を再び別の物へと変えて行く。瞬く間に姿を変えたエリスは、姿を現すと同時にその速度を急激に高めた。
追随するヘラルドが見たエリスの姿は、右手に彼女の背丈の2倍はあろうかと言う槍を
その重装備に見合わぬ速度を得たエリスは、一直線にドラゴンの方向へと突進する! 動きこそAクラス勇者には及ばないものの、動きの緩急が
「ふぅっ!」
―――ギャギャギャリンッ!
苦し紛れに突き出されたドラゴンの尾撃を、エリスは槍と共に前方で構えている湾曲した盾で受け流しながら後方へと逸らし、前へと進む速度を落とす事は無い。悲鳴を上げる盾を気にする事も無く、エリスはそのままドラゴンの尻尾と平行に突出した。ランサーの真骨頂とも言える、
完全に懐へと入られたドラゴンだが、それでもそのままならばエリスの攻撃を躱す事も出来ただろう。
―――ザシュッ!
そのドラゴンの動きを引き留めたのは、伸び切った尻尾を切断するヘラルドの一撃だった。正しく両断する斬撃は、ドラゴンの尾を二つに分かっただけではなく、その痛みによりドラゴンの反応を鈍らせた。
「イヤアァァァッ!」
最接近を果たしたエリスは、構えた槍もそのままに、裂帛の気合いと共にドラゴンへと体当たりを敢行した。
―――ドシュッ!
切っ先鋭い戦槍はエリスの突進力の恩恵を受け、強固な皮膚を貫き、深々とドラゴンの胴体に埋め込まれた。
「ガアアァァッ!」
幾度目かの咆哮が響き渡る。だがそれは、痛みからの叫びでは無く、怒りから来る怒声の様でもあった。それを証明する様に、身体に槍が突き刺さったままのドラゴンが動きを見せる。攻撃直後で硬直状態であり、未だ武器を抜くに至っていないエリスへと向けて、太い
「エリスッ!」
瞬間、ヘラルドはエリスを案じて声を上げた。武器が回収できていない以上、彼女がその場から動く事など敵わず、ドラゴンの前足を使った強振を真っ向から受け止める以外に方法は無いと思われたからだった。
勇者は自身の武器を、聖霊の助力を受けて、己の魔力から生成する。それだけを考えれば武器を手放した所で、再び生成すれば良いだけの話だと考えられるだろう。
しかし実際は、そう簡単では無い。
何もない所から……非物質である魔力から実体の有る武器を生成するには、如何に聖霊の力を借りているとは言え、生半可な魔力量では実行不可能なのだ。ましてや、魔属の強固な体を切り裂き貫く武器の生成である。どれ程の魔力を消費するのか、想像も及びつかないだろう。事実殆どの勇者は、一度の戦闘で、自身の魔力を三分の一も使用する。
残りの魔力を用いて身を護り、攻撃に運用する。決して安易に武器を作り出せる訳では無いのだ。
―――ザッ!
だがエリスは、そんなヘラルドの“常識”を覆し、アッサリと槍の柄から手を離し盾をも手放して、襲い来るドラゴンの腕から早々に距離を取ったのだ。
そして再び、彼女は魔力光に覆われる。
変幻自在にその姿を変えるエリスは、一瞬で先程の姿とは程遠い、
両手に短剣を構えたエリスは、その軽装だからこそ可能となる素早い動きでドラゴンの反対側面へと回り込んでいた。
エリスの動きに、完全に惑わされているドラゴンは、彼女の姿を捉える事すら出来ない。僅かに遅れるドラゴンの動きを見据えたエリスは、両手に持つ鋭利な短剣を頭上に振りかぶり大きく体を仰け反らせると、その反動を利用して一気に振り下ろした。
標的となったのはドラゴンの頭部、その左目。
―――ドシュッ!
「ゴガアァァッ!」
ドラゴンの放った叫び声は、今度こそ絶叫であった。両目の光を奪われて、ドラゴンは完全に恐慌状態へと陥っていた。
―――ゴゴゴウッ!
「……っ!? いけないっ!」
痛みと怒りで我を忘れているのか、ドラゴンは無作為に炎を撒き散らし出した。
今のドラゴンの攻撃ならば、エリスであっても躱す事は難しくない。しかし、横たえられたままの女性達は無防備であり、襲い来る炎から身を護る術を持たないのである。
そして、完全に不意を突かれた形となったエリスとヘラルドには、彼女達を護る為に回り込む事が出来なかったのだ。一つの火線が、無情にも女性達の方へと放たれる。どの様な手法を用いても、それを防ぐ手立てなどヘラルドは勿論、エリスでさえ持ち合わせていなかった。
―――キュキュキュンッ!
最悪の事態を想像したエリス達だったが、驚くべき現象が目の前で展開された。まるで魔法障壁の様な結界が展開されたかと思うと、動けない女性達を迫る炎から護ったのだ。
「せいっ!」
荒れ狂う盲目のドラゴンの首を、気勢を上げたヘラルドが一刀の下に切り落とす。断末魔の悲鳴さえ上げる事無く、ドラゴンの首から上が身体より分断された。
石床に転がる頭部の後を追うように、巨大な胴体もその身をゆっくりと横たえ沈んでいった。
「……ふう―――……」
大きく息を吐いたヘラルドとは対照的に、息をする事さえ忘れてしまったかのように、エリスは横になる女性達と、その近くで立つ巨大な石像の姿に魅入っていた。
恰幅の良い体つきに、顔半分が隠れる程に蓄えられた髭。不思議な衣をまとい、頭にはナイトキャップの様な帽子をかぶり、顔には満面の笑みを浮かべ、何故か大きな袋を肩から担いでいる。
到底、神様の様には見えないその格好だが、その考えは次の言葉で否定された。
「……サンタクルスだ……」
すでに融合を解き表に姿を現していたユウキは、その石像を見上げながらそう呟いた。
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