赤信号

紅野 小桜

ハリネズミの話


 屋上へ続く階段は、いつも冷たい。まるで生徒達を寄せ付けまいとするかのように。

 登りきった先の扉を開ければ、視界が開ける。広い屋上。私達を自由から切り離すための灰色の箱の蓋の部分となる四角い空間。本来は立ち入り禁止だからか、フェンスはない。鍵は随分前から壊れているのに、生徒は滅多に来ない。辺りに遮蔽物のない屋上には、いつでも強い風が吹き付けている。そんな場所ではおちおち弁当も食べられないと言うのだろう。キラキラと輝く青春は、いつだって漫画やドラマの中だけだ。


「私、決めたのよ」

 溜息を吐くようにしてそっと呟く。

「今日が、その日なんだって。そう思ったから」

 自分に言い聞かせるように、芝居をするように。ゆっくり、丁寧に言葉を紡いでいく。

「そう思ったから、ここに来たの。絶対ここにするって、前々から決めていたもの」

 言葉を紡ぎながら、慎重に歩みを進める。真っ直ぐ、真っ直ぐ。歩きながら靴を脱ぐ。右足、左足。背後に靴を脱ぎ捨てる。次いで靴下も。今度は左から、右。

「こんにちは、アリス」

 ふと、足元から声がした。

「あらハリネズミさん、ごきげんよう。あなたも決めたのね?ここで?今日?」

 それともまだ悩んでいるかしら、と私は首を傾げる。

「ううん、僕はもう悩んでなんかないよ。ただ、少しだけ僕の話を聞いてくれないかな?どうして僕がここに来たのか。どうして僕が、ここにいるのか」

 私がニッコリ微笑むと、ハリネズミさんはホッとしたような表情になって話し始めた。


 僕は気が弱いっていうか、なんだか周りに流されやすいタチでね。自分の意見がない訳じゃないんだけど、それを口に出来ないんだ。だからいつもみんなの話を黙って聞いていたんだ。聞き役に徹していたって言い方をすると少しカッコいい?えへへ、ありがとう。それでね、えっと。僕ね、いつもシカ君とキツツキ君と、3人でいることが多かったんだけど。段々ね、シカ君はキツツキ君の、キツツキ君はシカ君の悪口を言うようになったんだ。お互いにお互いのいないところでね。そんなの、本当は聞きたくなかったんだけど。でも僕に話すことで気が紛れて2人がそのままの関係でいられるのならそれがいいかなって思ってね、黙って聞いていたんだ。そこで半端な正義感を引っ張り出して、「友達の悪口なんか言うなよ!」なんて言うことは、僕達にとって決して良いことにはならないって、僕はわかっていたから。 でもね、ある日2人が喧嘩しちゃって。原因はわからないんだけど、それが僕に飛び火したんだ。「なぁハリネズミ、お前もそう思うだろ?!」そんな具合にさ。だけど僕は何も言えなかったんだ。当たり前だよね。どちらかに同調すれば、どちらかを裏切ることになる。どうしよう、どうしようって思ってるうちに、段々雲行きが怪しくなってきた。「なんだよお前、僕の悪口も言ってたのか」「良い顔しいだったんだな」「陰で僕らのこと笑ってたのか」もちろんね、違うって言ったよ。だけど2人とも聞いてくれやしなかった。裏切り者だ、最低だって。でもそうだよね。僕はきっと最低な奴だ。1人だけ嫌な奴にならないようにしてたんだもの。だから僕は黙ってたんだ。ごめんねって言ったけど、酷く小さな声しか出なかった。きっと2人には聞こえなかったんじゃないかなぁ。2人とも大層腹を立てていたものだから、僕の声が届いていなくても全く不思議じゃあないよ。でもね、きっとこれが更に良くなかった。僕がハッキリと、ごめんねそんなつもりはなかったんだって言えていたなら、2人に小突かれるくらいで済んだんだ。だって僕達は本当に仲が良かったんだもの。だけれども、僕はそう出来なかった。いつも黙って頷いていたせいで、上手いこと声が出なかったんだ。その日は2人とも僕と口を聞いてくれなかった。次の日も、その次の日も2人は僕と話してくれなかった。それどころか、2人とも僕を避けている…ううん、無視しているみたいだった。それでも2人は仲直りしたみたいだったから、それならいいかなって思ったんだけど。…うん、そう。えっとね、無視されてるのは気のせいじゃなかったみたい。でもね、僕他に友達らしい友達がいなくってさ。……えっと。お母さんから、最近よく物を失くすわねって言われるようになっちゃった。気をつけてたんだけどね。制服も、体操服も、靴も鞄も教科書も。なんだか最近急にボロボロになってきたんじゃない?ってさ。えへへ…僕、隠し事も苦手みたい。え?あぁ…うん。シカ君とキツツキ君は前みたいに仲良しだよ。それが僕は嬉しかったハズなのに、なんだか…なんだか、嫌だなって思っちゃった。えへへ。それでね、そんな風に考えちゃう自分も嫌だなぁって。でももうきっと2人は僕のことを許してくれないんだと思う。許してくれたとしても、きっと元通りって訳にはいかないんだ。元を正せば全部僕が悪いんだよ。ね、そうでしょ?…そうだよね。よかった。そう、それでね。えぇっと、なんかもう、なんか…疲れちゃった。ほら、見てよこれ。僕の背中、針が所々なくなっているでしょう?これね、皆に取られたんだ。えへ、すごく…すごく間抜けな格好になっちゃった。…疲れたんだ。机の落書きを消すのも、引き出しに詰められたゴミを掻き出すのも、濡れた制服を着替えるのも、心配そうなお母さんを見るのも…仲直りした2人を見て、泣きそうになるのも。だからね、アリス。だから僕はここに来たんだ。もう迷ってないよ、悩んでないよ。僕がいなくなれば、きっと2人はずっと仲良しでいられると思うんだ。…うん。お母さんには、ごめんねって思うけれど。でも、きっと大丈夫だと思うの。

 僕はね、最後まで最低な奴だよ。最後まで、自分が悪者にならないようにこうやって逃げるんだ。


 一通り話し終わると彼はえへへ、と笑った。

「聞いてくれてありがとう、アリス。ねぇ、よかったら僕にアリスの話も聞かせてよ。君はどうして、ここに来たんだい?」

「そうね…だけど、その前に。きっとまだ話を聞いて欲しがってる誰かがいるわ」

 そう微笑んで、私はハリネズミさんの小さな額を指先でそっと撫ぜた。

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