ベナロヤホールでのコンサート

    ワシントン州 ベナロヤホール 二〇一二年五月四日 午後八時〇〇分

 マーガレットからコンサートのチケットを確保してもらった香澄は、彼女と一緒に会場となるベナロヤホール前に来ている。コンサート当日ということもあり、香澄たち以外にも多くの人で賑わっていた。

 ベナロヤホールはシアトル最大の芸能ホールで、これまで数多くのアーティストがコンサートを主催している。アメリカ国内でも人気があるグループで、老若男女問わず絶大な支持を得ていることが特徴。

 だがあまり人ごみに慣れていないのか、“この中にいるだけでも疲れるわ”と愚痴をこぼす香澄。

「私がバイトしている時は、いつもこんな感じだよ。……そういえば香澄、あなたはあまり外出しないものね」

「えぇ。私って人が多い場所は、どうも苦手なのよ」

「……駄目だよ、香澄。勉強熱心なのもいいけど、たまには息抜きしないと」


 そんな世間話を楽しみながらも、二人はジェニファーと待ち合わせしている。だが彼女の特徴を良く知らないマーガレットは、香澄に問いかける。

「前にも言ったでしょう? “一年後輩の同じ心理学を学んでいる子”だって」

「それは知っているわよ。そうじゃなくて、“どんな性格の女の子なの?”って聞いているの!」

ジェニファーの性格について、香澄は自分が思っていることを正直に伝える。

「勉強熱心の真面目な女の子よ。性格も大人しいから、すぐに仲良くなれるわよ」

「ち、ちょっと香澄。それじゃ私がまるで、相手を選り好みしているって感じのみたいじゃない!?」

「あら、違うの?」


 だが開演時間まで残り二十分だというのに、一向にジェニファーの姿は見えない。一人心配になった香澄は、スマホで彼女へ連絡を試みる。だがちょうどその時、彼女のスマホの着信音が鳴りはじめる。香澄が画面を確認すると、ジェニファー・ブラウンという名前が表示されている。

「もしもし、香澄さんですか? ジェニファーです」

「ジェニー、今どこにいるの? 中々来ないから心配していたのよ」

「ご、ごめんなさい。今ベナロヤホールに着きました。それで香澄さんたちは今、どこにいるんですか?」

「――そのまま電話切らないでね。ちょっと周りを確認してみるわ」

 そう言って香澄は周辺を見渡してみた。するとその中に、左手にスマホを持ったまま、周りを見ている一人の女の子が目に留まる。その少女がジェニファーだと思ったが、間違いだと気まずいため、香澄は彼女に右手を上げるよう指示する。すると目の前の少女が右手を挙げたので、間違いなくジェニファーだと確信した。

「えぇ、見つけたわ。ありがとう、ジェニー」

と言って電話を切った後、すぐに彼女の元へ駆け寄る。


 細かい話は後にということで、香澄は入場チケットを一枚ジェニファーへ渡す。そしてマーガレットと合流した二人は、さっそくコンサート会場へと入る。荷物検査をパスし、香澄たちはそれぞれ指定の席へと座る。

「やっと来たね、香澄。でも大丈夫よ。まだ開演まで時間あるからセーフよ」

「それは何よりね。それと少し遅くなったけど、紹介するわね。この子が私の後輩で、同じ心理学を学ぶお友達のジェニファー・ブラウンよ」

「こんばんは、ジェニファー。私は香澄のルームメイトで無二の親友、マーガレット・ローズです。今日はよろしくね!」

「は、はぁ……よろしくお願いします。マーガレットさん」

“明るく元気だけど、ちょっと個性的かも”と冷やかに思うジェニファーだった。

 

 だが自己紹介を終えても、ジェニファーは一向に緊張したまま。そんな彼女を見て、マーガレットは“もっと気楽にいこう”と思っている。

「ねぇ、ジェニファー。私から一つお願いしてもいい?」

「はい、何でしょうか?」

 すると彼女は、“これからは自分のことを、愛称で呼んで欲しい”と言う。突然の提案にジェニファーも驚きを隠せない。だがマーガレット自身も相手と距離を取られることが苦手で、“昔からの友達のように接して欲しい”と改めて告げる。

「私ってどうも昔から、堅苦しい呼び方って苦手なのよ。だからあなたもこれからは、私のこと愛称で呼んでね。ジェニファー……いえ、ジェン」


 太陽のように気さくで明るい性格の彼女を見て、自分とは正反対の性格のジェニファーはどこか羨ましく思ってしまう。だが“これは自分を変えるチャンスよ”と思ったのか、

「分かりました。これからもよろしくお願いします。……マギー!」

以外にも臨機応変に、気持ちの切り替えをするジェニファー。

「おっ、やれば出来るじゃない!? 最初はもっと大人しい子かと思っていたのに」

二人は以外にも相性が良いのだろうか? すぐに打ち解け合う。


 一方、まさかこんなに早く二人が打ち解けると思っていなかったのか、香澄は二人を見て口を軽く開けている。

「どうしたんですか、? もうすぐコンサート始まりますよ」

学校で見せる姿とは異なる彼女を見て、思わず言葉を失ってしまう香澄。


 お互いの距離が近くなったと同時に、コンサート開幕のベルが劇場内に鳴り響く。劇場の証明が少しずつ暗くなり、観客は主役の登場におもわず息を飲む。そして舞台に主役が登場すると、観客は一斉に拍手の波で歓迎する。それに答えるかのように手で合図を送り、一同は歌の準備に取り掛かった。

 彼らが歌う種目はクラシックが中心で、一人一人が異なった声質や声の特徴を持っている。まるで極上のパスタのように絡み合い、一つの作品をより高い品質で演出する。まさにプロならではの技術や感動がそこにあり、観客たちは大きな歓声と拍手で返事をした。


 二時間近くのコンサートもあっという間に終了し、閉幕の合図と同時に次々とベナロヤホールを後にする観客たち。世界に誇るプロが、観客たちを魅了した瞬間でもある。


 香澄たちも今回のコンサートを絶賛しており、三人はその話題でもちきりだ。

「私初めて生のコンサート聴いたんですけど、感動しました」

「本当ね。私なんか迫力のすごさに、鳥肌立っちゃったわ」

「やっぱりプロとなると、レベルも全然違うわね」

などとお互いの気持ちを確認し合うと、マーガレットが突然立ち止まる。

「……あっ、ちょっとゴメン。今支配人がいたから、私ちょっと挨拶してくる」

と言い残すと、彼女はベナロヤホールの支配人の元へ走っていく。

「すみません、私売店で何か記念品買ってきます。悪いけど香澄。先に待ってて」

そんなマーガレットに続くかのように、ジェニファーも消えてしまう。


 仕方なく一人入口前で待つことにした香澄は、彼女たちが来るまでコンサートの余韻に浸っていた。頭の中で音楽が鳴り響き、彼女のテンションも珍しく興奮している。

 そうすること十分後、息を切らしたマーガレットが香澄の元へやってくる。

「お待たせ……ってあれ!? 香澄、ジェンはどこへ行ったの?」

「ジェニーなら売店にいるはずよ。メグ、中で見かけなかった?」

「いえ、見かけていないわね。そうだと知っていれば、さっき探したのに」


 それから数分後、香澄のスマホが何かを知らせる。とっさに手にしてみると、“メール着信あり”と表示されていた。差出人はジェニファー・ブラウン。

『ジェニーからメール? 何かしら』


香澄へ

 この間は誘ってくれてありがとう。そして今日は本当に楽しかった。ほんの少しだけど、内気な私が変われたのもみんなあなたのおかげ……ありがとう、香澄。そして、これからもよろしくね!

                          ジェニファーより


 まさにジェニファーの赤裸々な告白とも言える文面だったが、それを見た香澄の顔には笑みがこぼれる。

『わざわざメールで伝えるなんて。……ふふ、あの子ったら』


 それから間もなく“お待たせしました”と、ジェニファーが二人の前にやってくる。その手には売店で購入したと思われる、オルゴールが入っていた。

「遅いよ、ジェン。私たちずっと待っていたんだからね」

「ごめんなさい。……さぁ、帰りましょう」

だがここでマーガレットが二人へ、何かお知らせがあるようだ。

「二人とも……これを見て!」


 自信ありげに彼女が見せたのは、ベナロヤホール近くの人気レストランの招待券。マーガレットの話によると、ベナロヤホールの支配人が“彼女たちのために用意してくれた”とのこと。しかも学生の彼女たちには行くことが出来ないほど料金が高いお店で、彼女たちは支配人に感謝しながらもレストランで食事することにした。

 

 レストランへ向かう道中、マーガレットと楽しそうに話をしながらも、ジェニファーは時折、香澄の方をチラチラと見ている。どうやら直接本人に“ありがとう”と言うのが、照れくさいようだ。

 そんな彼女の気持ちを知ったのか、ジェニファーと視線が合った瞬間“こちらこそよろしくね”という意味を込め、左目のウィンクで返した。一瞬ドキッとしてしまったジェニファーだが、すぐに彼女も右目のウィンクで返す。

『少し距離が縮めば良いと思っていたけど、まさかここまで効果があるとは思わなかったわ。でもこれでやっと、ジェニーとも本当の意味でお友達になれる気がするわ!』

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