【トーマス編】

生きる理由

               一五章


             【トーマス編】

    ワシントン州 レイクビュー墓地 二〇一四年六月三日 午後三時〇〇分

 香澄たちがどこか不安を覚えているなか、トーマスは自分の両親が眠るレイクビュー墓地にいた。香澄たちより一歩先に行動することによって、”絶対に僕の居場所を知られることはない”と一人確信している。

『まだ日中だから……僕の行動を不審に思う人もいないよね?』

 今から数時間くらい前に自宅を出たトーマスは、少しゆっくり歩きながら目的地のレイクビュー墓地へ向かっていた。そして多少遠回りしつつも、出来るだけ人目につかないように彼はレイクビュー墓地へと到着する。そこには彼の両親が眠っており、近くの花屋で購入した花を添える。

『パパ、ママ、また会いに来たよ。この辺りは相変わらず過ごしやすい日が多いけど……そっちはどう? 暑くない?』

 

 いつものように両親へ近況報告を済ませるトーマスだが、今日に限ってその表情にどこか曇りがある。そんなまぶしい空模様と曇りかけているトーマスの想いが交わることを恐れてしまい、彼自身今後どうすれば良いのか心の奥底で怯えている……

『つい勢いでケビンたちの家を出たのはいいけど……本当にこれで良かったのかな?』


 これまでトーマスが口にしてきたこととは対照的に、本当の両親の前でふと本音をこぼしてしまう。だが香澄たちが自分にしてきたことに加えて、まだ子供のトーマスにはそれを瞬時に判断することは出来なかった。

『ううん、僕は間違っていないよ。だってケビンや香澄たちは、僕のこと騙していたんだ。ねぇ、パパとママもそう思うよね!?』

 だがすでに他界してしまったリースとソフィーは、その質問に答えることは出来ない。一時的な逆行健忘ぎゃっこうけんぼう状態であったとはいえ、両親が突然亡くなってしまったことの記憶がよみがえったことは、幼い少年にとってあまりにも残酷な現実。誰かのせいにしなければ、自分自身の心が壊れてしまう。そんな理想と現実の狭間で揺れる真実が、トーマスの心をさらに苦しめる。


 自分の未来について一生懸命考えていると、彼の問いに答えるかのように突然風が強くなった。突然風が強くなったことにより、トーマスは思わず目を閉じてしまう。

『!? か、風が急に……』

 突然肌を打ち付けるような強い風が数十秒ほど吹き荒れ、それはまるで今のトーマスの心の状態を示しているようだ。同時に彼の率直な疑問に対するリースとソフィーへの答え、という認識も可能だ。数十秒ほどの強風が止むと、そこにはそっとまぶたを開けるトーマスの姿がある。

『やっと風が収まった? 何だったんだろう、今の強風は? ……そういえばシアトルに戻って来てから、今日はやけに強い風が吹くよ。天気予報でも、“ここまで強い風になる”って言っていなかったのに……どうしてかな?』

 

 両親の墓の前で自問自答しつつも、トーマスの心は一向に揺れ動いている。それは天秤のようにゆらゆらと揺れており、一方では亡き両親への想いを募らせている。

 だがその一方で、ハリソン夫妻や香澄たちとの共同生活で得た、人の優しさや温もりなどを忘れることも出来ない。そしてトーマスの心の中では、亡き両親に対する愛情とハリソン夫妻・香澄たちの温もりの二つが天秤にかけられている……


 特に数年ほど一緒に過ごした三人の女子大生たちには、姉を慕う弟に似た感情をいだいている。まったく異なる性格の香澄・マーガレット・ジェニファーの三人だが、それぞれ素晴らしい個性の持ち主でもある。


 香澄に対してトーマスが抱いている感情として、何と言っても自分の考えと一致する機会が多いこと。どこか大人向けの趣味や考え方をすることが多いトーマスにとって、香澄のように自分と似たような感性を共有出来ることが何より嬉しい。

 普段自宅にいることが多いのも香澄で、学校の勉強だけでなく個人的な相談にも気軽に応じてくれる女性。またトーマスが子供だからといって特別に甘やかすこともなく、褒める時には褒めてくれるが叱るときにはしっかり叱ってくれる。

 三人の中で母ソフィーの面影に似ているのも香澄で、彼女に対してだけ特別な感情を抱いている可能性も否定できない。だがそれは男女の恋愛によるものではなく、一人の少年が心から姉や母親に対して愛情を求める、あくまでも『家族愛』という意味における、トーマスから香澄に対する純粋な気持ちでもある。


 マーガレットに対しては、とにかく明るく元気な女性という印象がトーマスの中では強い。時折冗談を言われたりからかわれたりすることもあるが、それもいつしかトーマスの心の中では一種のコミュニケーションとして成り立っている。

 それだけでなく、夢に向かって人一倍努力するのもマーガレットの特徴。将来劇団員になるためのステップアップとして、二〇一二年のクリスマス公演でマーガレットは見事主役のクリスティーヌ・ダーエを演じきる。そんな一途に努力する気持ちは、内向的なトーマスにとって憧れの存在でもある。


 日頃から書店で働いているジェニファーに、トーマスは何かとおすすめの本を教えてもらう機会が多い。漫画よりも小説を好んで読むことが多いトーマスにとって、同じ読書仲間としてジェニファーとは何かと意見が合うようだ。

 香澄・マーガレットと一緒にいる時はあまり自分の意見を言わず、大人しい性格という印象が強いジェニファー。だが自分の意見を求められた時には、しっかりと自分の考えを伝えるタイプ。自分の考えで行動出来る心の強さも兼ね備えており、消極的になってしまったトーマスにとって見習うべき部分は多い。


 トーマスが抱いている『好き』という感情は、単純なようでとても複雑なもの。いずれも男女の恋愛における『好き』ではなく、どちらかというとによる『好き』という感情。本来トーマスが抱くべき『好き』という感情は、異性を愛するというものではない。

 なのでその気持ちを香澄たちへ伝え、彼女たちへ直接“好きだよ”と言っても何の問題もない。むしろそうすることでトーマスと香澄たちの心の距離も近くなり、彼女たちと親密な関係になれるだろう。

 だが感情表現が苦手でかつ恋愛経験もない内気な性格のトーマスにとって、香澄たちへ直接『好き』と伝えることには、一種の抵抗があるようだ。同時に自分がその気持ちを伝えたことにより、“香澄たちから嫌われてしまうかもしれない”と一人恐れている。『好き』という感情が、彼の心の中でゆらゆらと居場所を求めながらゆっくりと揺れている……


 それに加えて生真面目な性格であるがゆえ、トーマスは自分の悩みを伝えることが出来ず苦悩している。

「はぁ、僕はこれからどうすればいいんだろう? って……難しいなぁ」

それはまるで、ブティックでお気に入りの洋服を探し続ける少女のようだった。

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