霧が立ちこめる記憶のなかで

 ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一四年三月二三日 午後二時三〇分

 不思議な感覚を覚える中で、一人目を覚ましたトーマス。すると今度は殺風景な部屋ではなく、リビングのソファーに横たわっていた。そして自分の腕にはしっかりと枕が抱きかかえられており、ゆっくりと瞼を開く。

「ここは確か……僕のお家だよね? 今何時かな?」

と無意識に日時を確認すると、リビングに設置されている電子時計には、二〇一四年午後二時三〇分と表示されている。日時を確認したことで、トーマスは自分がリビングで眠ってしまったことを思い出す。

「そうだ! 確か僕は……リビングで横になっていたんだ。そして目を閉じていたら眠くなってそのまま……」

 だがさっきまで見ていた夢の内容が思い出せず、トーマスはどこか納得することが出来なかった。しかし一時的に睡眠を取ったことで、この後どうするか彼は決める。


「メグは今舞台の練習中だと思うけど、とりあえず予定を聞いてみよう」

 マーガレットの姿が浮かんだ理由についてはっきりしないものの、トーマスはとっさに電話機を取り、電話帳からマーガレットのスマホの連絡先を表示させる。そして番号を選択して電話をかけてみるが、数コール鳴らしても彼女からの応答はない。やがて留守番電話のアナウンスが聞こえ始めたので、トーマスは受話器を置く。

「やっぱり駄目だったな。まぁ、メグは練習で忙しいみたいだし」

駄目もとで電話をかけたこともあり、彼女が電話に出なかったことを特に気にしてはいなかった。

 続いてジェニファーにも連絡しようと思ったが、仕事の邪魔をしてはいけないと気を使い電話は諦める。

『さて、どうしようかな? 家にいるか、外出するか……』


 そんなことをしばらく考えていると、突然家の電話音が鳴り響く。誰だろうと思い受話器に向かい走ると、そこにはマーガレットの名前が表示されている。嬉しそうにトーマスは受話器を取り、彼女からの電話を歓迎した。マーガレットは香澄が電話をかけてきたのだと思い、“香澄に変わってくれない?”とお願いする。

 だが香澄は家にいないことを伝え、今頃彼女はワシントン大学で調べ物をしていると答える。

「あっ、実はメグのスマホへ連絡したのってなんだ。……何だか急に声が聞きたくなっちゃって」

まるで遠距離恋愛のドラマのようなワンシーン。だがその言葉の裏には、トーマスの心情がはっきりと映し出されていた……

「そうだ、メグ。今舞台の練習中かな? 僕もう一度メグたちの練習姿みたいなぁ。ねぇ……今からワシントン大学へ行っちゃだめ?」

 これまでに以上に積極的な発言をするトーマスに、さすがのマーガレットも驚きの色を隠せなかった。同時にトーマス自身も、どこか自分らしくないと思っている。

「えっ!? え、えぇ……私は別に構わないけど。で、でも、今は稽古に集中している時期だから、退屈しないかしら?」


 動揺しつつも“来ても良いわよ”と言ってくれたマーガレットに対し、感受性の鋭いトーマスには“もうすぐ本番が近く練習の邪魔になるため、来ないで欲しい”と悪い方向に受け止めてしまう。

 そう受け止めてしまったトーマスの心は一気に落胆してしまい、“やっぱり遠慮するね……”と言葉が出てしまう。しかしここでトーマスは諦めず、“だったらせめて、夕食を一緒に食べたいな”と伝える。しかしマーガレットは“今はまだサークルの練習があるから、それは出来ないわ”と、ここでもまた非情な現実を知るトーマス。

 何だか元気がないトーマスの気持ちを察し、“トム、そんなに落ち込まないで!”とマーガレットなりに激励する。だがその励ましが彼の心に届くことはなく、まだ稽古があるということを知ったトーマスは一言別れの挨拶を伝えて、そのまま電話を切った。

 

 予想通りの結果になってしまったとはいえ、今のトーマスにとって一人でいることは何よりもの苦痛。そこで気を紛らわすために外出することを思い立ち、一度自分の部屋に戻り、財布と携帯電話を用意する。

 だがここであることを思い出したトーマスは、準備終了後すぐにリビングへと向かう。そしてテーブルに目を向けると、そこには一枚のメモ用紙が置かれていた。

「あっ、これだね……さっき香澄が言っていたメモは」

“急な用事がある”と言って外出することになった香澄は、トーマスのためにある内容を書き記したメモを残していた。


トムへ

 さっきは本当にごめんなさい。大学を卒業するまでは忙しくなりそうだけど、卒業したら時間に余裕が出来ると思うわ。その時に私と、ううん……みんなでどこか遊びに行きましょう!

 それとメモの上に、夜ご飯のお金を置いておくわ。冷蔵庫におかずとかあったと思うから、それを食べてもいいわよ。今日は帰りが遅くなると思うから、夜ご飯の時間になったらちゃんと食べなさい。それから少し多いと思うけど、余ってもお釣りはいらないわ。トムのお小遣いにしてね。……みんなには内緒よ。

                               香澄より


「……あっ、この封筒に入っているのかな?」

 そう思ってトーマスがメモの下に置いてある縦長の封筒を確認すると、そこには夜ご飯の代金としてお札が何枚か入っていた。中身をチェックしたところ、一〇ドル紙幣一枚・五ドル紙幣一枚、そして一ドル紙幣が五枚の計二〇ドルが入っていた。別に“一〇ドル紙幣二枚でもいいのに”と思ったトーマスだが、会計時に使いやすいようにと、わざわざ香澄が分けてくれたようだ。

 封筒の中身をしっかりと確認したトーマスは紙幣を無くさないように、リビングの引き出しからセロテープを取り出して止める。

「……ありがとう、香澄」

ワシントン大学で調べ物をしている香澄に対し、トーマスはそっとお礼の言葉を投げた。そして封筒を外出用のかばんに入れた後、

「よし、準備も出来たし出発しよう」

意気揚々と一人出かけるのだった……

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