未来(あす)へと続く、遥か彼方にある命の道しるべ

 ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年八月二〇日 午後七時三〇分

 外に出たトーマスも中々戻っていないことが心配になったマーガレットは、一人リビングでウロウロと動き回っていた。その矢先に突然家のインターフォンが鳴りだしたので、慌ててマーガレットは受話器を取る。すると受話器から香澄の声が聞こえてきたので、マーガレットはすぐに返事する。

「香澄、遅いよ――もう夜の七時三〇分だよ。今までどこにいたの!?」

「ちょっとね――それよりメグ、話があるから鍵を開けてくれる?」

 どこか不機嫌そうな口調でお願いをする香澄に対して、マーガレットはどこか不審に思いつつも家の鍵を開け、彼女たちを笑顔で出迎える。


 しかし香澄たちの隣に、なぜか制服姿の警察官が数名いる。突然の光景にびっくりしたマーガレットは、“まさか香澄が警察のやっかいに!?”と驚きを隠せない。

「ちょっと、香澄。なんで警察官と一緒にあなたたちがいるの!? ま、まさか……スーパーで万引きでもしたの!?」

“あなたにそれを言われたくないわね”という心の内を秘めつつも、香澄はむっとした表情で無言のまま。そして横にいたブルースが、

「こんばんは、お嬢さん。私はシアトル市警察に所属する、ブルース・ホワイト警部と申します。……失礼ですが、お嬢さんのお名前はマーガレット・ローズで間違いございませんか?」

制服の内ポケットから警察手帳を出すと、後ろにいた警察官も同じように身分証明をする。

「は、はい。私がマーガレット・ローズですけど……何かあったんですか?」

 まさか騒ぎの発端が自分にあるとは、夢にも思っていないマーガレット。そんな彼女の気持ちを知るよしもなく、香澄たちはブルースたちを一階リビングへと招く。

 

 一階のリビングで席についた彼らは、今回自分たちがやってきた理由をマーガレットへ話す。ここで初めて“自分のちょっとしたいたずらが原因で、警察沙汰になってしまったこと”を知り、マーガレットはただ唖然とするばかり……

「あ、あれはその……香澄たちを驚かせようと思って着た、ただのコスプレ衣装です。だ、だから、その……誘拐とか爆弾騒ぎとは、まったく関係ありません!」

と言いながら、マーガレットは横に畳んであったコスプレ衣装を見せる。

「そう、これですよ……私と香澄が見たのは。これってマギーの変装だったんですか!? まったく、いい加減にしてください!」

「ご、ごめんなさい。まさかになるとは、夢にも思っていなかったのよ」

三人の中で一番温厚なジェニファーでさえも、マーガレットの度が過ぎたドッキリに、強いいきどおりを感じている。

「私たちの方でも無事しっかりと、彼女の口から真相を聞くことが出来ました。皆さんの無事も確認出来たので、私たちはこれで失礼します。それとお嬢さん――羽目を外したいお年頃だとは思いますが、ほどほどにしてください。お願いしますよ?」


 口調こそ丁寧だが、ブルースはマーガレットにおきゅうを添えた。それと同時に、“今回のことは、聞かなかったことにするので”と、事態を穏便に済ませてくれた。


 ハリソン夫妻の家を出たブルースは、部下を引き連れて警察署へと戻る途中。だが車の中では、案の定マーガレットが引き起こしたことで持ちきり。

「……ったく、勘弁してくださいよ! 確かに事件にならなかったのは幸いですけど、ちょっと度が過ぎたイタズラですよね?」

「まぁ、そう言うな。見たところ年頃のお嬢さんという感じだったし、少しお灸を添えたから大丈夫だろう」

「はぁ、そうですか。……まったく、どうして警部はそんなに優しいんだか」

 警察官としての腕は一流と呼べるほどのブルースだが、性格は比較的穏やか。そして彼には彼女たちと同じくらいの年頃の娘がおり、つい最近も親子で喧嘩をしたばかり。なので同じてつを踏むまいと、今回はあくまでも穏やかに解決した。

「……いいか、お前たち。今回聞いたことや目にしたことは、絶対に他言するな。もし誰かに一言でも他言したら……」

彼の意味ありげな発言を聞き、部下たちは思わず息を飲む。

「……今度のボーナスはカットだ! 分かったな!?」

“ボーナスがカットされる”と聞き、部下たちの答えは満場一致となる……


 ブルースたちを見送った香澄たちは、すっかり冷めてしまったピザを温めなおし、それを黙々と食べている。だが彼女たちの空気は重苦しく、特に香澄とマーガレットの間には険悪なムードが漂っている。ジェニファーとトーマスは何とかしようと思い必死に言葉を探すが、彼女たちの空気の流れを変えることは出来なかった。


 そんな矢先、マーガレットが“息の詰まる空気を変えよう”と、必死に言葉を探す。

「ま、まぁ……こうしてみんな無事だったんだし、良かったよね!? 警察も“口外しない”って言ってくれたし。これにてって感じ!?」

などと明るく振舞っていたが、そんな無神経な一言が香澄のしゃくさわったようだ。

「……メグ、いい加減にしなさい!」


 堪忍袋かんにんぶくろが切れた香澄は、ありったけの力を右手に込め、彼女の頬を思いっきりひっぱたく。“パシン”と空気が切れるような音が聞こえる。怒りをあらわにして涙ながらに話す香澄を見て、

「ちょ、ちょっと痛いじゃない!? 何するのよ、香澄」

“何も叩くことないじゃない”と強く反論する。だが一向に反省しないマーガレットの態度を見るやいなや、香澄も今まで抑え込んでいた怒りを爆発させる。

「一体誰のせいで、こんなことになったと思っているの!? あなたのふざけた出来心のせいで、こんな問題になったのよ。それなのにあなたは……情けないわね。恥を知りなさい!」


 さすがのマーガレットも香澄に一喝されてしまったことで、“自分が子供じみたことをしたから、問題を起こしてしまったの?”とようやく目が覚めたようだ。続いて香澄は、ホワイト警部が“今回のことをおおやけにしない”と言ってくれたことに感謝しつつ、彼女をさらに一喝する。

「幸いなことに、今回の一件について警察は“誤報があった”ということにしてくれたわ。慌てて私とジェニーが、ケビンとフローラへ連絡しなくて良かったわ。まったくもう……本当に不幸中の幸いだわ!」

「も、もしかして香澄……ケビンとフローラにも、今回のこと話すの?」


 まるで子供のように、小さく委縮してしまうマーガレット。子供目線で香澄に問いかけるが、彼女は“そんなことしないわ”と言いながらも、怒りをあらわにする。

「そんなこと言えるわけないでしょう!? 下手をしたら、彼らの名誉にも傷をつけることになるのよ?」

ハリソン夫妻へ連絡はしないと約束するものの、“万が一ばれた時には、責任は自分で取りなさい”と厳しく指導する。

「それにあなたは数ヶ月後に上演される舞台のでしょう? それをなんて大学や世間で噂にでもなったら降板――いいえ、下手したら退という可能性もあるのよ!」

「本当にごめんなさい、香澄。みんな……」


 軽率な行動を厳しく注意されたことに加えて、香澄に叩かれたことがマーガレットにとって、想像以上にダメージが大きい。よって、“今回のように、警察沙汰になるようなことはもう二度としない”と瞳に涙を浮かべながらも、マーガレットは皆の前で約束する。

「今後は気をつけなさい! 間違ってもいつもの自慢話のように、他の友達に言わないこと……いい!?」

「……はい」


 ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一二年八月二〇日 午後一〇時〇〇分

 マーガレットの珍騒動も無事解決してから、数時間が経過する。するとそこへ、学会の論文作成を終えたハリソン夫妻が帰宅する。彼女たちはいつものように、彼らを出迎える。その後ケビンは香澄たちへ、“今日の夕食は、みんな何を食べたんだい?”と尋ねる。

「うん、大丈夫だよ。みんなと一緒に、ピザの出前を頼んだよ。ねぇねぇ、今度みんなでピザ一緒に作ろうよ」

「あらあら。今日食べたばかりなのに、また食べるの? ……本当に食いしん坊さんね、トムは」


 などと本当の親子のように会話を楽しむ一方で、どこか元気のないマーガレットを見たケビンは声をかける。

「どうしたんだい、メグ。今日はいつになく元気がないけど……」

一人意気消沈しているマーガレットの代わりに、香澄がその理由を説明する。

「実はこの子ったら調子にのってピザを食べ過ぎて、みたいです――だから私、“あれほど食べすぎないで”と注意したのに!」

 本当のことなど言えるはずがなかったので、香澄はとっさにピザの食べ過ぎという嘘をでっち上げた。だがこれもすべて親友のマーガレットを思う、香澄なりの友情と信頼の証。『嘘も方便』とは、まさにこのこと。


 まさか“香澄が嘘を付いている”とは夢にも思わないハリソン夫妻は大声で笑い、その後すぐにいつものおだやかな笑顔を見せてくれた。同時にマーガレットは“舞台が控えているのだから、体調管理には気をつけてね”と、更に念を押される。

 そしてハリソン夫妻が洗面所へ向かうと香澄たちも続いて自分の部屋へ戻り、勉強や寝る準備などを始めていく。


 そんな彼らも香澄と同じく、マーガレットのことを実の娘のように可愛がっている。いや、マーガレットだけではない。香澄・ジェニファー・トーマスに対しても、同じ気持ち。実の両親から受けるものとは異なる愛情だが、彼らなりに香澄たちへ、世界に一つだけの慈愛をそそいでいる

 一方の香澄たちもそんな慈愛の温もりや眼差しを受けつつ、親代わりとも呼べるハリソン夫妻からかけがえのない宝物を見つける……


 時代や住む場所や地域が異なるこの世界でも、たった一つだけ変わらない真実がある。人は愛の中で自分という存在の芽を、広い高原のような世界で育て、愛の中で人生に幕を下ろす。どんな時代や世界においても、人が愛や夢を忘れた時、人は破滅の道を歩むだろう。

 愛を知ることが、未来あすへと人が歩き出す決意きもちとなる。愛を与えることが、未来あすへと繋ぐ命の道標みちしるべのような、遥か彼方のみらいを目指す道標みちのりとなる。

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