七章 初めて知る少年の心

七章 想い出の場所

                  七章


       ワシントン州 某所 二〇一二年八月一二日 午前一〇時〇〇分

 ほんのささいな誤解から気持ちがすれ違い、香澄たちとトーマスの仲も、一時的に険悪なものへと変化してしまう。そのため八月一〇日から一一日の二日間は、彼女たちの関係もどこかぎこちないという状態。そんな香澄たちから相談を受けたハリソン夫妻は、この事態を何とかしようとある考えを巡らせていた。

「ケビン、フローラ。今日はみんなでどこへお出かけするの? 何で行き先を教えてくれないの?」

「心配しないで、トム。たまには行き先を決めずに、出かけるのも悪くないでしょ?」

「……そういうものかな?」

今一つ、フローラの言っていることの意味が分からないトーマス。


 香澄たちにも行き先を伝えていない、いや……ハリソン夫妻はあえて何も伝えていないのだ。重苦しい雰囲気が苦手のマーガレットは、自分が用意している飴をトーマスに“食べる?”と聞く。するとトーマスは“ありがとう”と言って、飴を受け取ろうとする。

「私が飴の包装を取ってあげるね。……はい、これで大丈夫だよ。トム、あ~んして」

「い、いいよ。そこまでしてもらわなくても。一人で食べられるから……」

「子供は遠慮しなくていいの。早くしないと、私が飴食べちゃうよ?」

「……ったくもう」

心の中でやれやれと思いつつも、トーマスはマーガレットの強引さに屈してしまい、恥ずかしそうに口を小さく開ける。

 恥ずかしながらも小さく開けた少年の口の中に、マーガレットは親指と人差し指でつまんだ飴玉を優しく入れる。“美味しい?”とマーガレットが尋ねると、無言でコクリと頷くトーマス。


 そんなやりとりをしているさなか、フローラが運転する車が今回の目的地へと到着した。自宅から三〇分ほどで到着したので、香澄たちはすこしきょとんとした顔をする。てっきり“数時間ほど遠くへ外出するもの”と思っていたため、三〇分前後にそんな場所があったのかと不思議に思う。

「さぁ、着いたよ。あっ、僕はちょっと寄るところがあるから……」

「寄るところ? ケビン、もしかして喉が渇いたんですか?」

「はは、ちょっとね……」

そう言い残すと、ケビンはそそくさと一人どこかへ行ってしまう。

「もうしょうがないわね。あぁ、ごめんなさいね。それでは私についてきて」

と言うと、フローラは近くにいたトーマスの手を握りある場所へと向かう。突然のことにびっくりしたトーマスは、

「ちょ、ちょっとフローラ……」

などと戸惑いながらも、フローラが導く場所へ黙ってついて行く。

 

 数日前に、トーマスの部屋でパンフレットを見た香澄たち。だが実際にレイクビュー墓地へ来るのは初めてのこと。そのため想像以上に広い敷地であることを知って、香澄たちは驚きを隠せなかった。

「ここがレイクビュー墓地――思っていた以上に、広くて静かな場所ね」

「そうね、私も実際に来るのは初めてよ」

香澄たちは初めて来る場所である一方で、トーマスにとって絶対に秘密にしておきたい場所でもあった。それまで優しく握られていたフローラの手を強引に払い、トーマスは一人消えてしまう。


 香澄たちも彼女の後に続くかのように、三人仲良く歩いて行く。ふと香澄たちが周りを見渡すと、そこにはたくさんの木々や緑が植えられている。そして家族連れが多く訪れていたので、香澄たちは“ファミリー層に人気の公園や観光名所なのね”と思った。


 だがトーマスにはその景色や光景に見覚えがあり、その瞳には、どこか不安や怯えといった感情が芽生えていた。

「こ、この場所ってもしかして!?」

トーマスが恐る恐る問いかけるが、それを聞いたフローラはあえて何も返すことはなかった。あくまでもフローラは“トーマスたちをある場所へ連れて行くように”とケビンから頼まれていたので、今はその指示通りに行動しているにすぎない。


 そして歩くこと数分後、フローラは香澄たちをある場所の正門まで案内する。入口には【Lake View Cemetery】と刻まれており、ここで初めて香澄たちは、今回の目的の場所を知る。

「【Lake View Cemetery】――ワシントン大学近くにある、レイクビュー墓地」

ふとジェニファーがこの場所の名前を口にすると、香澄はフローラに車移動なら三〇分もかからないのではと問いかける。

「ごめんなさいね、香澄。本当は家から車を使えばそんなの遠くないのだけど、今回は主人の指示であえて遠回りをしたのよ。……気を悪くしないでね」

「いえ、私は別に構いませんが」


 香澄たちと一緒に時を過ごすことが苦痛に感じたのか、トーマスは一足先にレイクビュー墓地へと消えてしまう。

「トム、待って。香澄、ジェン。追いかけるわよ!」

マーガレットは香澄とジェニファーに彼を追いかけるように言うが、フローラは

「……いいのよ、メグ。行き先は分かっているわ。落ち着いて」

「で、でもこのままじゃ……」

“追いかけなくても、あの子の行き先は分かっているわ”と諭す。


 フローラの落ち着いた態度に苛立ちを見せていたマーガレットをよそに、彼女たちの反対側からケビンが少し遅れてやってきた。

「やぁ、遅れてごめん。……ってトムがいないみたいだけど」

事情を知らないケビンの質問に対し、フローラは目で“レイクビュー墓地へ向かったわ”と合図を送る。そんなケビンの手にはたくさんの花束が用意されており、話を聞くと“お墓に添えるために先ほど花束を購入した”と少し切なそうに話す。

 そして何も言わずにハリソン夫妻がレイクビュー墓地へ入園すると、香澄たちもまた彼らの足跡をたどる。


 道中にはたくさんのお墓や墓石が設置されており、亡くなった遺族や親族のお墓参りをしている人が多くいた。その多くが家族連れで入園している人たち。だが日本出身の香澄が知るお墓参りとは、雰囲気が若干異なっていた。アメリカではお花を添えることはあっても、日本のように線香を立てることは基本的にない。“これも文化の違いなのね”と、香澄は心の中で一人感じる。

 香澄がそんな歴史や文化の違いを意識していると、今回の目的地であるサンフィールド家のお墓前へと到着する。

「あっ、あそこにトムの姿が……」


 ハリソン夫妻の言う通り、トーマスは一足先に亡き両親が眠る墓石の前に佇んでいる。だがその背筋はピンとしており、香澄たちが良く知るトーマスとはまるで別人。また香澄たちと一緒に来たためか数日前に見せた無邪気さはなく、どこか緊張感を感じさせるけわしい顔つきだ。

 そんなトーマスの後ろ姿を見つつも、ケビンは事前に用意した花束から三つ取り出し、一束ずつ香澄たちへ渡す。無言で受け取ると同時に、香澄たちはそのままトーマスの両親が眠るお墓へ花を添える。

「…………」


 花を添え終え何かお悔やみの言葉をかけようと思ったが、トーマスの心情を察しあえて何も語りかけることはなかった。そして香澄たちが花を添え終えると、今度はハリソン夫妻がサンフィールド家のお墓へ花をそっと並べる。


 その後しばらく天国で眠る彼らへ祈りをささげると、それまで口を閉ざしていたトーマスがゆっくりと口を開く。

「……ありがとう、みんな。きっと天国で眠るパパとママも喜んでいるよ」

「トム……」

 トーマスはその場で香澄たちを責めることはなく、ただ自分の両親のお墓参りに来てくれたことに対しお礼を言う。だがその姿は泣き出したい感情を抑え込んでいるように見え、すぐ隣にいた香澄たちは何ともやり切れない気持ちになる。


 その後再びトーマスは口を閉ざしてしまう。その姿はまるで、亡き両親のお墓や墓石に向かって家族三人だけで話をしているようだった。

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