第旧話 前 剣闘士から勇者になった男の話
彼にとってその場所は故郷であった。生まれてから青年になるまで過ごした場所である闘技場。
常に歓声が沸き上がり、多くの見物客が訪れた。その内容は戦士として駆り出された奴隷たちの殺しあい。
剣を握りしめて斬りかかる者。それに拳で対抗するもの。逃げる者。それに罵声や歓声を上げて煽る者たち。
その中には幼い時から参加させられる者もいた。参加させられる子どもの大半は奴隷同士の間にできた子どもであり、その飼い主である人物が不要であると考えて売られてきた子どもが大半であった。
ある時一人の子どもが売られてきた。まだ、幼い子であったが、支配人は戦わせるためにほんの少しの防御手段と相手の殺しかたを教えてから試合に挑ませた。
しかしその試合は同じ奴隷の子ども同士ではなく、成人を迎えたある貴族の息子とのものであった。貴族の息子が参加してみたいと言って聞かなかった。しかし、大人の剣闘士ではすぐに殺されてしまいかねない。いくら無法とはいえ、すぐに試合が終わるのでは観客は喜ばない。ならば需要の少し高めの買われてきた子どもを相手にさせて満足してもらおう。それならば、どちらにも得すると考えていたがその予想は一部外れてしまう
結論から書くと、貴族の息子は返り討ちにあい死んだ。最初は激しく打ちこみ幼児がかわす暇もなく、しまいには転んでしまった。このまま止めをさせるというところまでいった。しかし、一瞬の隙を突かれてしまい、防御に使っていた小さな刃物で首を切られた。小さな傷であったが、斬られた場所が悪かったため、大量の血を流しながら苦しんだ。子どもは怯えていた。
だが、闘技場の掟は相手は必ず殺すこと。早く殺せと会場から喚く声が響き渡る。子どもは貴族の息子の身体をめった刺しにした。
当然、息子を殺された貴族は憤り、闘技場側を責めた。しかし、この場所は国も黙認している無法地帯。その怒りはただむなしくなるだけであり、自身の過失であることに代わりはなくそのまま話は流されていった。
幼子はその後も試合に出された。誰もが、あのわからず屋な貴族の息子を殺した幼子が試合の中で命を落とすのではないかという期待でいっぱいだった。しかし子ども同士の試合では死ぬことはなかった。
幼子が少年ほどの年齢に達した時に支配人は大人たちと同じ試合に出すようになった。これ以上は子どもの奴隷の無駄死にであり、大きな損失であると判断したからだった。
少年は大人たちとの試合の時には時に、恐怖感を降りきるようにも無邪気に楽しむようにも見えるように対戦相手たちを殺していった。
剣や鈍器を持てば手にした獲物で頭をかちわり、武器を奪われれば相手の獲物を利用し、手も足も出なくなった相手の命乞いにも情けをかけることはなかった。
少年が青年となった時には、闘技場のスターであり恐怖の対象であった。この頃にはとある噂も流れ出していた。
かつて封印した魔王が軍勢を率いて侵略しつつある、と。
この噂はたちまち国中を駆け巡り闘技場の見物客たちは一日、また一日と日が過ぎる毎に減っていった。青年たちは、飢えと戦うことになっていた。
ある日、一人の魔術師が王にある提案をしたことによって事態は大きく変化する。魔術師はこの噂の剣奴を勇者としてカモフラージュすることで勇者が誰であるかバレないようにするという策を提案した。
勇者は国の重要機密であり最終兵器であった。信頼できる人物にだけ供にしようとしていた。そのため、この魔術師だけを供にして行かせるつもりであったため最初は反対したが、それではバレかねないと言う意見とこのままでは闘技場にすむ者たちの反乱も起きかねないという魔術師の意見に王は折れることになった。
魔術師は剣奴の青年に話を持ちかけに闘技場へと向かった。
闘技場内は殺意の重さと血の匂い。むせかえるような腐臭でごった返していた。
「今日もまた、子どもたちが死んでいったよ、飢えと食べ物の取り合いでな」
背後からそう声をかけられて驚きながら振り向くとまるで何度も攻撃された獣のように醜い顔の男がそこにいた。
「なぜ、あなたたちは逃げ出さないのですか?」
魔術師が尋ねると、男はわかりやすくやれやれといった感じで答えた。
「なぜ逃げないか、それはわかりきったことだろう。俺たちはあの支配人の所有物であり、この闘技場以外に行く宛のない根なし草。話すことはできても文字すらも書くことのできないやつや戦うことしか取り柄のないやつらしかいない。是非ともその偉そうに見下す態度から教えて欲しいものだ。どこで俺たちを必要にしているのかとな?」
その口調からは怒りと嘆きを噛み殺しているように魔術師は感じた。
しかし、今はその事に気を病んでいる場合でもなかった。
「……あなた方の苦労話には心から痛むものがありました。しかし、私はある人物を探してここに来ました」
「誰を探しているって、こんな腐った場所にろくなやつはいないぞ。そいつはいったい誰なんだい?」
「闘技場のスターです」
魔術師の答えに男は少し驚愕しているようだった。しかし震えながら答えたことに魔術師もまた驚愕する。
「闘技場の伝説の戦士、あるいは闘技場のスターか……なつかしい呼ばれかただな。そいつは俺のことさ、いやそんな呼ばれかただったのかも俺にはよくわからなかったが」
その言葉に嘘や偽りがあるようには思えなかった。しかし、年齢よりも老けすぎていることから魔術師はこの老人が勝手に語っているだけの偽物であるような気がしていた。その考えは相手にすぐに悟られてしまっていた。
「嘘だと言いたげだな。確かに顔は醜く潰れている人間がそうだったと言ったとして信憑性に欠けるよな。それを直ぐにでも証明したいのだが、生憎動けないんでな。頼みなんだがこの手足に着いた重りを外して貰えないか?」
よく見ると男の手足には重りがつけられており、体中には鎖を巻き付けられて柱にくくりつけられていた。おそらく、逃げ出した支配人がこの男が街に出るのを恐れたのだろうか?
そこで、動けないことをみた魔術師は杖を男に向けるとぶつぶつと何かを唱えた。周囲が一瞬光りに包まれた。しかし何も変化はなかった。魔術師だけは満足そうな顔をしていた。
「おい、今のはなんだ?」
男が不思議そうに訪ねる。
「少し、あなたの記憶を覗かせてもらいました。いやぁ、まさか本人だったとは……。あぁ、その眼はまだこちらのことを疑ってますね。本当に見れる訳がないと、そう言いたげですね。では、あなたの顔が醜くなってしまった理由から言いましょうか。以前、この闘技場で行われた、炎を使った試合終了後にまだ火を消してない会場内に迷いこんだ小さい子を助けようとして火傷をおった。あなたの焼けた顔を見た支配人が怒りに任せて残っていた綺麗な部分を潰してしまったからですよね。口元だけは無事だったことが不幸中の幸いですが、他にも……」
「もういい、わかった。これ以上俺の昔ばなしをしないでくれ」
と男に遮られてしまった。男にとってその事をあまり話してほしいものではなかった。ただ一人の剣闘士が支配人の言うことを聞かずに助けに行き、その怪我をしたこと自体が問題だったのだと考えていたからだ。
「あなたには、ある役目をしてもらいたいのです。そのためにその鎖を外してしまいましょう。縛るものがなくなれば自由の身になることができます。それぐらい簡単にできるということが先ほどの魔法でわかってもらえたと思いますが?」
「断る」
「なぜです?」
「もし俺が出ていったら、この場所から動かなかった連中が街に出ることになるがそれでもいいのか?それに、いくら賭けの対象者だったからとはいえ胡散臭い話に乗るバカはいないだろ」
魔術師は何故男が縛られていたのかようやく理解した。いや、縛られていたのではなく縛ってもらっていたのだ。
闘技場に住む獣たちが街に出ていくことを避けるために監視できるように入り口を……。しかし、縛られているため、すぐに出られてしまうのではないか?そう考えもしたが剣闘士の間にも支配するものとされるものがあるのだと、そう推測するしかなかった。
彼の話は確かに興味深いが今は世界に関わる危機であるのだ。その話ばかりしていられない。
「どうすれば、私の要求を飲んでもらえますかねぇ」
「まず、役目とやらをそちらで自己解決しないで話してくれればいいんだが?」
魔術師は王に話したものと同じことを男に伝えた。
「なるほどなぁ、確かに俺が勇者の振りをしていれば仮に俺が死んでも本物の勇者は生き残れるという考え方か。悪魔のようだな」
魔術師はこの時、このまま断られたと思った。彼はこのままこの闘技場という檻の中で飼い殺されてしまうのだ……そう考えていた。しかしその返答は予想とは違っていた。
「面倒だが、引き受けよう。魔王の出現でここも廃れたんだ。一発ぶん殴らないと気がすまない。だが、引き受けるのに条件がある。ここにまだ残っているやつらの面倒を見てくれ、死ぬには惜しい奴らばかりなんだ」
「……善処しましょう」
そう呟くと魔術師は杖を鎖にむけた。すると蛇のように鎖がするすると外れていった。
「それでは行きましょうか。まずは勇者と顔合わせをしないといけませんね」
こうして剣闘士は仮初めの勇者という立場を手に入れ、魔王討伐の旅に出た。この時にはあの日の運命に向けて狂った列車は走り始めていた。
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