間に合うよ、思い出せたなら ②

 戦いの中で知覚は数倍に研ぎ澄まされ、肉体が凄まじい反応速度で応える。

 加速ヘ・イ・ス・ト……大盾マ・ポー・フィ・ク……強撃バ・イ・キ・ル・ト……ゲーム世界でリアルに想像した魔法が身体能力を強化する。


勒郎ろくろう……!』


 白い獣の鉤爪を勇者のつるぎで受け止め、互いの身体を包む光が火花を散らす攻防の中、相手の言葉が頭に届いた。


「ククっ」


 数度の激突の末に俺達は位置を入れ替えた。

 疾走する列車の屋根の上、正面からの風圧を感じながら、身構える巨大な白い獣の姿に向けて俺は剣を構える。

 獣の後ろに、銀色の封印を施された少女の姿が見えた。


「クク……弥鳥みとりさんを解放してくれ」

『勒郎……なぜ君はこんなにも戦えるの?』


 獣となったククの大きな瞳に吸い込まれそうだ。そこに宿る銀色の光が視界に広がっていく。


『その気持ちはいつから君のもとにあるの……? それは本当に心からの願いなの……?』


 いつの間にか、銀色の光が飛び交う真っ暗な空間に浮かんでいた。これは幻……呑まれるな。


『長く抱え込むと、それが自分の一部だって錯覚するんだよ……痛みも苦しみも』

「うぐっ」


 胸に鋭い痛みを感じ、もがく手は宙を掻く。

 大きなあぎとが胸に牙を突き立てている。


「やめ……っ」


 視界が戻ると、列車の屋根の上で白い獣が俺にのしかかり、その口で下半身を呑み込んでいた。来子くるこのときとは逆に、身体から何かが吸い取られるようだ。


『大丈夫だよ勒郎……食べてあげる……この苦しみは君自身じゃないんだから』

「そんな……こと……」


 目の前の黒く大きな瞳に俺の姿が映っている。何をそんなにもがいているんだ? 大丈夫……俺はもう失うものはない。


『……勒郎!?』


 俺を吐き出して飛び退いたククが、俺の全身から溢れる光を驚いたように眺める。

 輝く服装……まばゆい白と深い青とで飾られたゆるやかな衣が俺の身をおおっていた。


聖なGarb ofる衣Lords……」


 聖戦士ロードだけが身にまとえる最高の装備。俺がイメージできる守りの象徴だ。


 ギィィン……


 鉄板に鉛玉でもぶつかったような音と衝撃。無数のクギのような刃が全身に突き刺さっている。……これはククの体毛!?


『壁を作らないで勒郎……その影は僕が……』


 身構えるククが硬質化した体毛をさらに逆立て……そのまま言葉を失う。俺が剣も構えず歩み寄るからだ。

 聖なる衣がふわりと輝くと全身の刃が剥がれ落ち、傷跡も残さない。衣の自動回復ヒーリング能力……。


「クク、大丈夫や。影にしがみついてるんと違う……これが俺なんや。それが分かればもう傷付かへんよ」

『そんな……』


 至近距離から無数の刃が放たれ、今度はそのすべてが衣の表面で止まる。胸にも腕にも、そして額の前にも……。


「影も……心のよどみも……俺そのものやから」


 カン、と剣を足元に突き立てる。

 その瞬間すべての刃ははね飛ばされ、ククのカラダへ当たって獣の姿を光の粒へ砕いていった。

 同時に数本が奥の弥鳥さんの封印へ当たり、甲高い音を立てる。

 次の瞬間、弥鳥さんを覆う銀色の紋様が粉々に砕けて撒き散らされた。


「ほら……ボクの言ったとおりでしょ、久凪くなぎくん」


 制服に残った鱗のような銀色の薄片をはたきながら、弥鳥さんが得意気な顔で笑っていた。


「近いうちにキミは真夜マーヤーを使いこなすって」

「まだ弥鳥さんほどちゃうけどね」

「ううん」


 弥鳥さんが目を細めると、猫のような釣り目が際立つ。


「その力はキミだけのもの……キミがキミにしかできない力を持てるなら、世界だって救えるんだよ」


 戯言ざれごとだろうか? でも彼女が言うなら真理に聞こえる。


「さっきまでずっと未来にいた気がしてん。もう何もかも終わった後みたいで……でも、まだ間に合ったんやな」

「いつだって間に合うよ、思い出せたなら」


 そうだ。大切な瞬間はいつもすぐ傍にある。

 俺はククに歩み寄る。そこに獣の姿はなく、へたりこむひとりの女の子が呆れたように笑うだけだった。


「僕は……引き立て役だったね」


 弥鳥さんがその傍で照れたように微笑んだ。


「後は大丈夫だよカルナー。またね」

「うん、じゃあまた、マイトリー」


 ククの身体がぼんやり光りながらその姿を薄れさせていく。


「クク……それでも、ありがとう」

「勒郎……その意志、それだけの力があるのはきっと……それが君のやるべきことだからだね」


 消える前に優しそうな笑顔が残った。あいつの世界に戻ったんだろうか? いや、これは……。


「もう引き返さないよ、久凪くん」


 ぶれる視界で辺りを見回せば、進む先は古代の神殿めいた建物に呑み込まれている。列車の振動はすでになく、足元にはレンガを敷き詰めた巡礼の道があるだけだ。

 目眩のする勢い……レイヤーを移動してるんだ。

 絵の具をぶちまけたような紫色の空が世界を覆い、廃墟めいた建物群が広がっていた。


「弥鳥さん……ここへ戻ってきたんやね。懐かしい……」

「ふふ、そう?」


 巨大な猛獣が上げるような唸り声が響き渡って、自分があまりに呑気なことを言ったと分かった。

 向こうにそびえる塔の上空では、鋭い刃を突き立てた恐ろしい歯車が半ばかしぎ、凄まじい勢いで回転している。その直径は以前よりずっと大きく、下は地面に触れるほど、上端は遥か高みにあった。

 その渦に空そのものが巻き込まれ、紫色の中空に浮き出た脈打つ血管や神経らしいものが悲鳴を上げるように痙攣している。


「あそこで呑み込まれ、破壊されているのは、この世を構成する骨組み……世界のことわりそのものだよ」


 吹き荒れる暴風の中に、砕かれた空の一部だろうか、暗く淀んだ肉片や骨のような欠片が混じっている。


「表層じゃ気付かない。だけど世界は変わるんだ。それ以前とは違って……権勢は零落し、虐げられる者が虐げる牙を得る。情熱は諦念に、塵芥は宝石になる。大地と星の関係すら転回するんだ。面白いよね、ボク達は誰も絶対の基準なんて持てないんだから」


 金色の装身具を輝かせ、空を見上げたまま弥鳥さんが言葉をつむぐ。

 懐かしいだって? あのときとは完全に違う。ジャガナートはもう始まったんだから。

 

 ……ァァァアアア……!


 遠くから届く絶叫は、大地に積み重なり巨大な回転にき潰されている黒い塊から聞こえる。

 魄魔体ヴァーサナーの群れだ。

 唖然とするほど無数の影達がひしめき合いながら悲鳴を上げ、どろどろした血肉を噴き上げている。

 あれが……彼らにとっての救済なんだろうか?


「暗黒の祭典……」


 思わず漏らした言葉に、隣に立つ弥鳥さんが振り返る。


「うん、そうかも知れない。ボク達がいるのはその最後列ってわけだね」


 気付けば周囲にもいびつな影がちらほら見える。廃墟のようなビルの間を、魄魔体ヴァーサナー達は巨大な歯車へ引き寄せられるように歩いていく。

 存在するだけで苦しいと感じる心の澱みなら、消滅は救いだから。


「弥鳥さん、どうする?」

「うん、一気に突っ切ろう。のんびりしてると影達につかまっちゃう。さあ」


 右手を差し伸べる弥鳥さんの自信に満ちた仕草が嬉しかった。

 いつか夕方の学校で飛んだことを思い出しながら、俺は剣を左に持ちかえて彼女の手を握る。


風精ヴァータ……この嵐を越えてボク達を運んで……」


 金色に光る弥鳥さんの手から力が伝わり、それが膨れ上がった瞬間、俺達の身体は風に舞う紙切れのように吹き飛ばされていた。


「やっぱり全然すごい……っ」


 暴風にあおられて激しく上下しながら、空を駆ける高揚感に全身が沸き立つ。

 渦巻く風に吹き下ろされて地上すれすれを飛ぶと、眼下の魄魔体ヴァーサナーが獲物が降ってきたと言わんばかりに騒ぎ立てた。


「危なっ!」

「あはっ、ボク達は格好の餌だよね」


 何でそんなに嬉しそうなんだ……と俺は思うが、自分の口からも笑い声がこぼれているのが分かる。

 ジャガナートへ近付くほど空中には蒼黒いどろどろや紫色の破片が混じり、風圧に飛行のコントロールも効かなくなる。まるで竜巻の中心を目指すようだ。このまま飛べるのか……?

 地上でうごめく巨大な影達が、金色の光を流して飛ぶ俺達に視線を向ける……あの群れの中に落ちて無事で済むとは思えない。


 きひぃぃぃいいっ……!


 怪鳥のような絶叫が聞こえ、視界の端から巨大な蒼黒いものが襲いかかった。


「久凪くん!」


 空中で弥鳥さんと引き離され、俺は自力の真夜マーヤーで何とか浮かぶ。

 そいつは墜落するように着地して無数の魄魔体ヴァーサナーの巨体を吹き飛ばし、衝撃で何体もが破裂して黒い肉片を撒き散らした。


「な……何やあれ……っ!?」


 大きな蝙蝠の羽根が何枚も、背中で不気味に揺れていた。

 竜と人間の合の子のような怪物。立ち上がれば俺の何倍の身長になるんだろう。

 日本人形のような黒髪が頭を覆い隠し、そこからねじれた角が何本も生えている。地面にこすり付けていたその頭部を、そいつは痙攣的な動きで持ち上げて空に浮かぶ俺を見つめた。

 その顔にはただ闇があるだけだった。


「暗闇の子供……」


 弥鳥さんのつぶやきが聞こえた。

 その怪物が闇の領域……冥界と呼ばれた世界の力を体現しているんだとなぜか直感できた。世界への尽きることのない憎しみ……。


 ふるるるぅぅ……


 怪物がカラダをたわめる。

 宙に浮かぶ弥鳥さんが目を閉じ、その装身具がひときわ強く輝く。


「我が手に来たれ、畏怖すべき金剛ヴァジュラ・バイラヴァ……」


 その右手に強烈な光を発する何かが現れた。

 剣? 槍? いや、強大無比の力が視覚に捉えられることすら拒むように、それはただ恐るべき破壊のイメージとして弥鳥さんの右手に握られていた。


「くっ……」


 俺も慌てて勇者の剣を構える。身体を強化しろ。聖なる衣のイメージを強く保て……。

 そのとき怪物の顔が奇妙にまたたいた。恐怖が背筋を走る。あれは見たことがある!

 直後、真っ黒な閃光が視界を覆い、落雷のような轟音が鳴り響く。

 思わず閉じた目を開けると、俺をかばうように宙に両足を立てて浮かぶ弥鳥さんの後ろ姿があった。

 いまのはエレシュキガルの雷だ。もし弥鳥さんが守ってくれなかったら……!


「キミは……世界を壊したいんだね……」


 怪物へ呼びかける弥鳥さんの声には、いつにない響きがあって俺は少し驚く。

 その言葉に重なるように、地上を遥か先まで引き裂く亀裂に沿って無数の建物が倒壊し、巻き添えになった何十体もの魄魔体ヴァーサナーがカラダを爆散させる。

 弾かれた雷光のせいか、弥鳥さんの武器の威力なのか……その破壊的な力がもたらす惨状に全身の毛がそそり立つ。くそっ、ぼうっとするな! ここはもう物語の舞台なんだ! 


 きるひゃあああぁぁぁ……!


 絶叫と共に怪物が跳躍し、弥鳥さんと衝突した。

 目のくらむ閃光と天地を揺るがす衝撃に意識が飛びそうになる。

 力が渦を巻いていた。竜巻……いや海の大渦潮に呑まれたようだ。


「弥鳥さん……っ!」

 

 凄まじい勢いで身体が流されていく。

 目もよく見えない乱流の中、何かがぶつかってくる。同じように為す術なく押し流される魄魔体ヴァーサナーやその残骸だろう。流されていちゃダメだ。飛べ、そう強く思え。

 一瞬、渦の外へ出た。

 そこで間近に恐ろしい気配を感じ、凍り付く。

 ジャガナート――世界を壊す巨大な歯車がすぐそこにあった。


――あなたの苦しみ……あたしに……捧げることを許してあげる。


 少女の声が聞こえた気がした。


「救済……これが俺の……」


 ふたたび渦に呑まれる直前、暗闇の子供と呼ばれたあの怪物が数えきれないほど空を舞っているのが見てとれた。その破壊的な力が戯れのように、魄魔体ヴァーサナーを引き裂き黒い泥流へと変える。

 そのさらに奥では、凄まじい歯車の回転が何もかもを磨り潰していた。

 誰かにどうにかできるようなもんじゃない、圧倒的な力だ。

 ざまあみろ……。

 俺は知っていた。この世界に、表層の現実にいては思いもよらない強大な力が働いていることを。


「ここで……終わりかな……」


 これで抗うものも、怯えるものもなくなる――そう思って力が抜けると、身体を押し流す渦も心地よかった。これでおしまい、その宣告を俺は待ち続けていたんだから。


「見つけました」


 誰の声だ?

 何かが……俺の襟元をつかんで建物の屋上へ引っ張り上げている。


「やっぱり勒郎さんでした。うふふ、私達って凄いですね、これだけの人混みの中でも出会えるんですから」

「……来子くるこ!」


 ウェーブのかかった黒髪の少女が、仰向けに寝かされた俺を見下ろしていた。

 その傍に、俺を引っ張り上げたらしい大きな黒猫が、無数の脚を器用にたたんで座っていた。


「そいつは……」

「ええ、みーちゃんです。あのみーちゃんとは違うけど、それでも……この子もみーちゃんなの」


 ミーアクラア……来子と同化していた別世界からの来訪者が、ぐるぐると喉を鳴らした。


「ありがとう……」

「うふふ、それ最初は私の言った言葉でしたね」


 身体を起こすと、建物から地上の混沌とした有り様が一望できた。

 噴き上がる黒い血肉が竜巻のように渦を巻き、向こうの空を覆い尽くす巨大な歯車が恐ろしい音と悲鳴を響かせて回転している。


「ここで……何してるん?」

「お祭りに行きたいってみーちゃんがせがむので……。私遠くから見てるつもりだったんです。でも勒郎さんとならあそこへ……」


 来子が歯車の中心を見上げる。

 そこに瘴気が湧き出すようなおぞましい穴があった。大きな魄魔体ヴァーサナーも数体まとめて呑み込めるくらいの大きさだろうか。あれは……冥界のゲート……?


「あの向こうへ行ってもいいなって思ってます」

「あそこへ……? でもあれは」

「あそこから溢れる暗闇の子供達を供物として、ジャガナートはどんどん大きくなってるんです。いまやあそこがジャガナートの中心……」


 ミーアクラアが見果てぬ夢を掴もうとするように一声鳴いた。そうだ、こいつもジャガナートに惹かれてこの世界へ来たんだ。あそこが、あらゆる束縛から解放される場所なのか……?


「あそこへ行って……来子は何を願うんや?」

「何も……私はもうおぎなわれてたって、そう気付けましたから。でも勒郎さん、もしもあなたが世界から出ていこうと望むなら、私はその願いを叶えたいと思うの」


 血の気の薄い来子の顔に少し朱がさして見える。

 長い睫毛の向こうから、見開かれた瞳が俺を凝視していた。

 何でその願いを知ってるんだ。それに……。


「この嵐の中で……あそこまで飛ぶのは……」

「無理でもねえだろ」


 振り向くと屋上の一角に巨大なカラスが舞い降りるところだ。

 その背から黒いセーラー服の女が、長い髪とロングスカートをひるがえして飛び降りる。


「ワタリガラス!」

「お前の望み、俺はこの身で聞いたからな。だからこっち側へ戻って来たんだろ?」

「戻って来た……」


 そうなのか……俺は戻って来た・・・・・のか。


「それなら……やりたいことやれよ」


 フギンが勇気付けてくれるように鳴いた。

 これは、まるで物語だ。

 吹き荒れる風に髪をはためかせる来子とワタリガラスを眺めながら、俺は、俺達は、この暗黒の祭典……その舞台に上がるくらいの資格はあるだろうと思った。



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