文脈から考えるレトリック③

『彼女が小学生くらいからずっと家で飼っていた真っ白のプードルは、ここのところ少し薄汚れたみたいに毛並みが黄色がかってきていた。動くことも少なくなって、弱っているなとは家族皆が思っていたけれど、ついにこの夜の間に死んでしまった。病名はまだ解らない、彼女の嘆きはことさらで、今朝もまだずいぶんと引きずって、いつまでも悲しんでいた。』


 これをさらに装飾的にしていきます。コアは「彼女は悲しんでいた。」です。この部分が中心で、この部分を強調するように組み立てていきます。


 すると、途中段階はすっ飛ばしますが、こうなります。


『彼女の家には老いたプードルが一匹飼われていた。この犬は彼女がまだ小学生の頃に貰われてきて以来、ほぼ彼女と共に成長したようなものだった。真っ白だった毛並みは年月と共に色褪せて、今では黄ばんで艶もない有様だった。じっと敷布の上で動かない老犬を見ていると、子犬だった頃のやんちゃな姿が思い出された。今でも変わらず彼女が来ると嬉しそうに顔を上げ、微かに尻尾を振る。

「まだ大丈夫だと思うから、今夜はもう寝なさい、」

 容体は一進一退で、一週間もこんな状態が続いていた。食欲も落ちて、愛犬と共に日に日に元気を無くしていく娘を気遣って、母親はそんな言葉を掛けた。

 気が滅入って仕方なかったのは事実だ。どうしてやることも出来ず、つい、その提案を受け入れてしまい、彼女は寝室へ引き取った。そうして、その夜のうちに愛犬は死んでしまった。

 目が覚めて後の、彼女の嘆きは激しかった。たったひとりぽっちで、誰にも看取られることなくこの世を去った老いた小さな身体があんまりにも哀れで、何にも知らずに一人暖かい布団にくるまって暢気に眠っていた自分が許せなくて、大丈夫だなどと安請け合いな言葉で騙した母親に八つ当たりな気持ちが拭いきれなくて、どうしようもないまま彼女は静かに泣き続けた。

 苦しんだのだろうか、怖くなかっただろうか、遺骸とはすぐに引き離されてしまって、彼女は最悪な想像を巡らせるばかりだった。悪い空気が家の中に充満していて、誰も口を利かなかった。ずっと悲しんでいる自身のせいだとは解っていたが、彼女にその涙を止めることは出来なかった。』


 コアはあくまで、「彼女は悲しんでいた。」です。


 中心部をズラさずにレトリックを貼り付けていくには、三人称よりもまだ一人称の方がブレが少なくなります。視点が揺らぐ恐れが少ないからです。

 文章技巧は、シンプルなものから複雑なものに向かうほどに、そのバランスを取ることは難しくなっていきます。視点がブレたり、レトリックがコアから外れることで、読者は揺らいだ描写に感じたりします。文章が不安定になるわけです。

 注意したつもりではいますが、私も自分の書く文章がレトリック的にはどれくらいしっかりしてるかの自信はあんまりないです。(苦笑


 今回の例示、悲しみなどの感情が表現の中心にある場合は、普通は一人称のが向いています。一人称はココロだとかをコアにした物語に向いていて、三人称は俯瞰で見た方が解りやすい物語に適しています。


 文脈というのは、文章全体を考えた時に、一文一文のその繋がりで波及し合うものを考慮に入れた、というような事柄です。前後の文章が互いに干渉し合い、増幅装置として読者になんらかの作用を与えていきます。

 この例文はまだ伸び代が取ってあるんで、一人称に変換するなどすればもっと「彼女の悲しみ」を増幅して表現することが可能ですが、さすがに面倒なんでやりません。

 最初にビジネス文を例示する時に三人称で書いたので、最後まで三人称での比較文を示した方が解りやすいでしょ、という程度の意味合いです。ほんとなら一人称で書く方が楽ですし。(笑


 また、文脈とはちょっと離れますが、一人称を選ぶか三人称を選ぶか、どこにコアを置くかという辺りからが、すでに設計に関わります。ジャンルとも密接に関連し、例えば例文で示したようなミステリジャンルと銘打った作品で何の意図もなくアレをやらかしたら、まずは減点と捉えられても仕方ないんじゃないかと思います。


 ミステリも多岐に渡りますが、コアがどこにあるか、そのコアに沿った設計であるかで文章も変わってきます。何を中心にして、読者に提示したいのか、ここが肝心です。トリックが中心ならば、それの邪魔をするほど他の要素が勝ったのでは、どれほどの感動作になったとしても、それは失敗の減点だと思います。

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