自由間接話法

 はい、いよいよ面倒臭くて感覚的な分野に突入です。


『自由間接話法』聞いたことはあるんじゃないかなと思いますが、ざっくり言うと、「三人称の文体に一人称形式で心情描写を入れる」ことです。


 私の作品はコレが多いです。ただし、どうしても読者に混乱を引き起こしてしまう率が上がってしまうので、私の場合だと三人称自体で「多視点」はタブーとしてます。私というブランドは多視点で目まぐるしく地の文の主格が変わる文章ではない、というところを浸透させる為にも、ほぼ多視点は使いません。

 せいぜい、章とかの単位で視点変更をする程度に抑えています。それなら一人称でもよさげなんですが、一人称は縛りが厳しくてムリ。(笑


 ここら辺のルールはあくまでマイルールです。アバウト、アバウト。


 どういう理屈がそこにあるか、と考えちゃうかもですが、それは作者個人の中だけのもので、全国共通のモノサシとかはないのですね。だから面倒で感覚的なのです。


 私の書き方は、文豪の昔からあるスタンダードなルールに準拠しています。そこをベースに自己流に改変を加えているだけなので、古臭いと感じる読者も居るでしょう。しかし、もっとも流通しているルールでもあるので、それだけ広大な読者層を見込めます。小説は双方向のコミュニケーションです。何も、ゼロから作れないのはストーリーだけではありません。文体そのものも、先人の影響です。コンテクストといいます。


 読者もまた、先人の残した作品の影響を受けて、読解力として身に付けている。これと符合するカタチで書かねば、それは読みにくい文章になるわけです。


 読者層というものを選べ、と言われるのもそれが為です。スタンダードな読解力を持つ層もあるし、ラノベ特化な読解力の層もある、という事です。両方の読解力を持つ中間層だってあるでしょう。


 小説は、実は作者の感覚だけでは書けないんです。文学はかなり比重が作者寄りではあるけれど、それでもまったく理解不能なものは文学足りえないと私は思う。読者との駆け引きもまた、技量のうちと思うので。


 と、言うわけで、「自由間接話法」とは、三人称の文体に一人称状態での独白部分が入り込む事を指しますが、その分量などは非常に感覚的です。バランスを取るにこれといった決まりはありません。

 一歩間違うと、読者は常に違和感を覚え続けるという状況にも置かれてしまう諸刃の剣です。これは教えることが出来ません。感覚頼みの技法です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る