2-3 消えた火


 育った北の山脈は、梅雨というのにその衰えを知らず、赤色の炎と煙に覆われていた。少年が連れ去られてから数日が過ぎていた。雨足は激しさを増し、ぼんやりと赤色が見えるだけだった。北の方角をぼんやりと見つめた。少年は立ち寄った農家の納屋で雨宿りをしていた。

 少年が山から持ってこられたものは、イルからもらった小道具、表紙に焦げ跡がついた青色の手記、レグルスからもらった守り石、そして相棒のトロだけであった。トロはルイスの後を自ら追ってきたらしいが、トカは行方不明であった。あの炎ではとても生き延びているとは思えなかった。そして、レグルスも・・・。そう考えると、またしても目頭が熱くなってきた。しかし、涙は流れなかった。


 少年を連れ去ったその胡散臭い男はルイスと名乗った。30代くらいの見た目で、青がかった黒髪に、深海のような青目をしていた。男性の割に低い身長は、かかとが高い靴底で補っていた。これは後に親友となるシンに教えてもらったことなのだが、シークレットブーツを言うらしい。黒色のシャツに茶色のスーツのズボン、白衣を羽織っていた。彼は医者であった。


 少年は何の説明もしないで、いきなり気絶させ連れ出したこの男が嫌いであったが、山でずっと過ごしてきた少年は下界での暮らしは全く知らないため、結局この男についていくしかなかった。トロはこの男を毛嫌いしているわけではないから、危ない人ではないということはわかった。それにこの男が連れ出さなかったらと思うとぞっとした。今頃俺は生きていないだろう。命の恩人であるが、認めたくもなく、やっぱりこの男が嫌いであった。


「ヒトリエ、何回も言うが、お前を連れ出したのはレグルスの頼みだ。それをしっかり覚えとけ。それと山の下では絶対にお前が禍の民であることは絶対に伏せておけ。まあ、お前は赤い目をしてないからひとまずその心配はないか。」

 それだけ言って、少年が返事をする気が無いことをわかっていたため、ルイスははぁと重いため息を吐いて、少年のそばを離れ、母屋のほうへ濡れながら走って行った。少年はやはりぼんやりとその背中を見ていた。


 〈禍の民〉というのは、少年が育った〈火の民〉のことである。山の外では、〈禍の民〉と呼ばれていることをこの時はじめて知った。


 ヒトリエという名はルイスが名付けた。少年はルイスに名前を聞かれても頑なに答えなかったため、この名を名付けた。また、ヘキという名は、レグルスとの大切な思い出な気がして、この胡散臭い男には名乗りたくなかった。


 彼曰く、〈ひとりぼっちの少年、リラエにそっくりな子〉、故にヒトリエらしい。誰だよ、リラエって。またその男に、自分が一人になってしまった現実を突きつけられ、少年はますますその男を嫌うようになった。


 男が両手に何やら抱え、駆け足で戻ってきたが、少年は何の反応もしなかった。トロが少年の頬っぺたを舐め、ぬるっとした感触がほうを伝う。少年はその感触にゾワッとして、現実に戻った。雨が小降りになり、今にも止みそうだった。太陽がオレンジ色に染まり、トロの目に山とくっつくその丸が映る。


「出発するぞ。今日は合流する仲間がいるからな。」

 ルイスは農家の人から、診察のお代として食料と旅に必要なものを分けてもらったみたいだった。



 満帆になった革の鞄を軽々と肩に掲げ、その男は歩き出した。トロの手綱を持って人一人分の距離を開け、少年と相棒のトロも少年を気遣いながらゆっくりと歩き出す。納屋のドアを開ければ、雨上がりの独特な匂いが鼻を刺した。もんわりとした、気だるい居心地の悪い空気だった。


 ふと首元が苦しいと感じて、慣れない手つきで襟のボタンを一つ外した。麻の布に穴を開けて、腰元で帯で締めた粗末な服を着ていた少年は、山の外での服にまだ慣れていなかった。山の中の生活は、何百年か何十年かわからないが止まったままの文明であったのだ。何もかもが、違いすぎる。そしてまた、その慣れない衣服に虚しさを感じるのだった。


 

 歩き出してもう日は沈み、雲もなく雨の心配はなさそうだったので、火を焚いて今夜はここで野宿することになった。山と変わらず木々に囲まれた森であったが、山の木よりも広葉樹林が多くみられた。山なら夜になれば肌心地の良い風が吹くが、ここでは少し暑苦しかった。



 新月が木々のぽっかり空いた穴から淡い光を照らしている。その月明かりを仲間の2人は進んでいた。少年は、空を見上げることもなく、男と距離を置いて馬のトロのたてがみに顔を押し当てていた。奥歯を噛み締め、背中は小刻みに震えていた。少年はむくれてこそいたが、怒鳴ったり、襲ってきたり、泣き喚く様子もなくおとなしかった。この子はどうも溜め込むタイプの子らしい。ルイスは少年がなぜ泣けないでいるのか知っていた。まだ、レグルスが死んだという現実を受け入れていないのだ。少年はレグルスが死んだ時の記憶を失っていたのだ。


 少年がこちらへ顔を向けた。その向こうに火がバチバチと燃えていた。その火を照らす月明かりを辿れば、新月が揚々と青白く光っていた。その月明かりの下を一匹の鳥が円を描くように飛んでいた。顔を下せば、その瞳に、炎が反射した。

(あぁ、今日は・・・語り部の日かぁ・・・)


 そう思い、火へ近づき、目の前の男性の向かいに腰を下ろす。しかし、目の前の男は頭蓋骨ではなかった。困惑してあたりをキョロキョロと見渡すが、どこにも頭蓋骨はいなかった。ただ、炎だけがパチパチと燃えていた。空を見上げれば、あんなにずっと近くなあった星空がひどく遠くにあった。

(こんなにも、離れてしまったのか・・・)

 頭蓋骨の笑った顔が、あのしわくちゃの手の感触が、あの話声が、鮮明に脳裏に焼きついた。雨上がりの独特の匂いはまだ残っており、見渡してもやっぱり、もうどこにも頭蓋骨はいない。現実に引き戻され、少年は口を開いた。



(なぜ・・・・) 



 すると、血色のなかった少年の顔が急に歪み強張った。そして、少年がたまりにたまったこれまでの思いが閉じていた蓋が外れ、一気に外へはじけた。少年が初めて音を含んだ口を開いた。しかしそれは、幼い少年が背負うには、あまりにも大きく、悲鳴にも似た叫びだった。

「いやだ、いやだ、なんでだよ!!!!なんで、レグルスが!!!なんで!!!死ななくちゃいけないんだ!!!」


 ルイスはヒトリエに、いや、ヘキに近づいた。ヘキの目に、涙が溢れてきた。ヘキは、ルイスにあたり、蹴り、暴れまわった。抑えていた悲しみが堰を切ったように一気に胸へこみ上げた。もはや、その激流を止める術はなかった。ヘキは、何度もルイスに突っ掛かり、涙を宙に飛ばしまくり、わめいてわめいて大声で泣き叫んだ。

(なぜ、レグルスが殺されなければならないんだ!!!一体、誰が・・・・。どうして、なんで、僕はレグルスのそばにいなかったんだ!!!)

 少年はやり場のない怒りに身に任せてただただ泣き叫んだ。


 泣きわめいた後、ヒトリエはルイスを見上げて、その瞳を見た途端、ゾワッと鳥肌がたち心底驚いた。ルイスは、泣きわめく少年を止めるわけでもなく、声をかけるでもなく、ただ突っ立っていた。しかしその瞳だけは、しっかりと少年を捉えていたが、その瞳は何の感情も感じられなかった。男から一歩下がり、改めてその瞳を見つめると、そこにはただ真っ暗な闇が広がっていた。その瞬間ヒトリエは、この男が心のそこから怖いと感じた。同時に、心のどこかで同情して欲しいと持っていたことに気がつき、恥ずかしくなった。



 

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