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「夏」遥はじっと夏を見る。

「なに?」サラダを食べながら夏が言う。透明なお皿に盛り付けられた温野菜のサラダは夏の食べられる野菜ばかりでフォークが進んだ。

「人が生きるっていうことはね、人間であることを引き受けるっていうことなのよ。結論を言ってしまうと、夏の言っている技術の到達点っていうものは人の境界線のことなの。それ以上は人であることを捨てなければならなくなる領域だよね」それはつまり、それ以上行くともう元の場所には引き返せなくなる、ということか?

「その線を越えると、人は人間ではないものになってしまうってこと?」その存在に夏は心当たりがあった。

「そういうこと」遥は言う。

「夏は人じゃないものになりたい?」

「なりたくない」

「うん。それでいいの」遥は笑う。そして夏と一緒にサラダを食べる。

「科学はね、人間のために人間が作り出した技術なの。境界線を超えた先にあるものは、夏の言葉を借りれば、技術の到達点を超えた先にあるものは、科学に似ているけど、科学とはまったく別のものなの。人をやめてしまったら、……それはもはや科学ではないの。それどころかそれはもう技術ですら、なくなってしまうのよ」

「それは人の幸せのために存在していないから?」夏の言葉に遥は黙って頷いた。

「人という種族がこの世界に生まれ落ちたときにはすでに人の枠組みは完成していて、その枠組みの外側に出ることは絶対にできないってことなの? 人は人である以上、人の世界の外側に出ることはできない。その中で生きるしかない。そういうことなの?」

「だいたいあってる」夏はクリームシチューを食べ終える。だけどお皿の中には夏の食べられない野菜だけが、そのままの形を残して(夏のお腹の中には入らずに)孤独に残っていた。その小さな孤独を夏は役目を終えた銀色のスプーンでつっついている。

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