第5話 野望
小泉進次郎は、事務所でひとり、声を上げ続けていた。選挙戦中盤の真夜中のことである。
「広島の皆さん! 今年はカープが……いや、ちょっとツカミが安直だな」
演説の天才と称される進次郎だが、それを支えるのは入念な下調べと、綿密な練習だ。遊説の前日には、こうして遅くまで、ひとり練習を繰り返すのが日課となっている。
何しろ、今回の選挙は「大激戦」だ。
小池の「首相・都知事兼職構想」は大きな反響を呼び、その勢いをさらに加速させた。もちろん、「法律上はともかく、現実的には不可能だ」などと批判の声もあるのだが、その目新しさもあって、メディアも好意的な扱いを続けている。
党内の分析では、自公合わせてギリギリ過半数を取れるかどうか。とはいえ、「希望」の単独過半数も現時点では厳しい。選挙後の合従連衡で主導権を奪うためには、少しでも多くの議席を獲得する必要がある。
その切り札として、進次郎も日々、全国各地を旅している。厳しい毎日だが、とはいえ進次郎の方にも、思惑はあった。
「あー、広島の皆さん! サンフレッチェといえば――」
「練習熱心なことね」
無人のはずの事務所に響いたのは、聞き覚えのある女の声だった。
「な……! 小池、百合子――さん」
「お久しぶり。私が自民党を飛び出して以来かしら」
「なぜこんなところに――メディアに見つかったら、大騒ぎになりますよ!」
「ご安心を。ちょっと『コスプレ』したら、誰も気づいた様子はなかったわ」
どさっ、と小池が服を投げ出す。いかにも掃除のおばちゃんらしい、地味な作業着だ。
「……それで。こんな時間に、何の御用です」
「単刀直入に言いましょうか。進次郎くん、『希望』にジョインする気はない? もし来てくれるのなら、何年後か……私が退くときには、あなたをトップにすることを約束しましょう」
「……!」
どれほどの沈黙があっただろうか。進次郎は、「はっ」と鼻で笑って、近くの椅子に体を沈めた。
「小池百合子とも思えないズレた提案ですね。考えてもみてください。この選挙後、勝とうが負けようが、安倍さんの求心力が落ちるのは目に見えています。とすれば、次の総裁は誰だという話になりますが――石破さんで、野田さんで、選挙に勝てますか?」
「当然、選挙に負けた以上、次の総裁は『選挙の顔』になれる人間が最優先でしょう。となれば、進次郎くんが最有力候補になる」
「今度の選挙で党に『恩』を売れば、僕は自民党総裁に、そして首相に一直線ですよ。その僕が、いつになるかわからない空手形で、即席政党に移るなんて――」
ふふふ――今度は、笑うのは小池の番だった。
「なるほど、次の『首相』ということなら、私の提案は割に合わないかもしれない。だけど、それ以上の地位、ということなら?」
「……なんですって?」
「私は、あなたの父上に仕えた身。『似た者同士』であるからこそ、その本質はよくわかっているつもりです」
「……」
「あなたの父・小泉純一郎は、『首相ごとき』では満足していなかった。煩わしい国会の呪縛から離れ、ただ国民の信のみを盾に、己の経綸を実行に移す――彼が本当になりたかったのは、公選制による『大統領』」
進次郎の眉がピクリと動く。
「まあ結局、選挙の天才だったからこそ、あの人は『首相』で満足してしまったのだけど――私はそうじゃない。『大統領』、さらに言うなら、この国に対し一人で責任を持つ、強力なリーダーになることが、究極の目標です。そして――小泉の血を色濃く継いだあなたもまた、私に近い考えを持っているんじゃない?」
唾をごくりと飲み込む。
図星であった。
乱麻のごとく絡み合ったこの国を立て直すためには、今の議院内閣制では、とてもじゃないがスピードが足りない。必要なのは、強力なリーダーシップだ。それは、政治家になって以来、進次郎の内心にくすぶり続けてきた思いだった。
だが、そのしがらみの中心ともいえる自民党で、それを実現することは難しい。
「もちろん、大統領制導入なんて、1年や2年でできることじゃない。私の任期中では、きっと難しいでしょう」
だから――小池は一歩、二歩と進次郎に近づき、手を差し伸べる。
「私がお約束するのは、『日本国初代大統領』の地位よ。小泉進次郎」
「……なるほど、父があなたを買う理由がよくわかった」
がっしりと手をつかむ。
「ただし、動くにしても選挙後だ。今の情勢では、有権者をかえって混乱させる」
「結構です。30も率いて割れてくれればそれで十分。――そうだ」
小池は、持ってきた紙袋にガサゴソと手を突っ込む。
「これ、プレゼント。『緑』のスカジャン、似合うと思って」
進次郎は苦笑した。
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