第3話吸血鬼襲来

吸血鬼、それは物語の中だけの存在だと思っていた。



 俺は、まだ吸血鬼と対峙していた。

 もう、何十分これを続けているのかわからない。吸血鬼は未だに口を開こうとしない。

 さらに攻防を続けたとき。

「……お――よ」

「え?」

がつん! とおなかに衝撃が走る。え、今何が。さっきまでの速さとは比べ物にならない。くそ、こいつこんなに速い動きもできるのか。

 俺は衝撃に逆らうことなくその勢いを利用し、後ろに飛んだ。

 彼は俺を狙っていると言った。じゃあ、理由は何だろう。俺が狙われる理由。

 〈飛氷石〉。相手の動きを牽制する。相手の行動範囲を絞ることで、俺の動きに余裕が生まれる。右、左、左。相手の動きがわかっているなら避けることなどたやすいものだ。

 相手がさらにギアチェンジしたのだろう、また一段と速さが変わった。俺もそれに合わせてスピードを上げる。相手の輪郭が霞む。

 さらに攻防は続いた。

 〈地凍結界ちとうけっかい〉。地面を瞬時に凍らせ、相手の動きを鈍らせる。さらに凍った地の端には冷気で壁が作られており、その壁に触れるだけで凍りつくようになっている。欠点があるとすれば、外側からなら触れても大丈夫という点だろうか。いや、今は周りに猫はいないはずだ。それなら問題は無いだろう。

 多少相手の動きが鈍ったところで、俺は攻撃の手を強めた。防御は〈飛氷石〉で相手を攻撃しながら行う。

 きらり。視界の端で何かが光った。

 嫌な予感がして、とっさに真横に飛ぶ。頬を掠めて、何か刃物らしきものが飛んでいった。

「(飛び道具か)」

魔力で造形したものではなかった。おそらく小さなナイフか何かだろう。そして吸血鬼は他にも刃物や飛び道具を持っている可能性が高くなった。

 血が頬を伝って垂れていくのがわかる。思っていたより切れていたようだ。

 ぽたり。俺の血が地面に小さなを作った。しかししみはすぐに宵闇に溶け、目視できなくなってしまった。

 そのとき、吸血鬼の動きが一瞬だけ止まったような気がした。一瞬だけ。

 「……!」

吸血鬼が息を呑む。それは俺の頬からもう一滴血が零れた瞬間だった。

「……!?」

吸血鬼の体がぐぐっと沈んだかと思うと、俺の横を空気が抜けていった。

 ……違う。吸血鬼が俺の血をひろったんだ。俺の血を少しでも飲むために。

 にやり、と吸血鬼の口が大きく開かれる。そして、これまで橙色だった瞳が深紅に染まる。

 何かが違う、何かが来るという直感を頼りに、俺は右に飛んだ。

「……ッ」

俺のすぐそばを武器が通る。さっきよりも深く切られてしまったらしい。

「(まるで矢みたいだ。速すぎる)」

俺の血をたった一滴、飲んだだけで。

 吸血鬼は勢いを止めることなく距離をとる。〈地凍結界〉の効果は今も続いているため、町には被害は及ばないはずだ。

 「うわああああああっ」

吸血鬼が向かった方向だ。一体何事だ!?

 俺は悲鳴の元に駆けつけた。

「はなっ、離せよ!」

聞き覚えのある声だとは思っていた。

 バクラだった。

「やめろよ! 離せってば!」

なんでお前がここに来てんだよ。なんでわざわざ霧が濃いところに入ってきたんだ。なんで吸血鬼が出現したってわかってて避難してないんだ。バクラに対する疑問が頭の中を駆け巡る。

 任務に私情を挟んではいけない。それが大嫌いなクラスメイトだったとしても。俺は、ヒーローとして彼を救わねばならない。

「……くそっ」

小さく毒づく。

 吸血鬼はあの脅威の身体能力でバクラを盾にしながら戦うだろう。これでは〈飛氷石〉はおろか〈氷封塊〉すら使えない。相手の動きを封じられないのなら、倒すしかないということだ。

 突然、視界が半分ぼやけた。

「なッ……!」

先ほど受けた傷を中心にして、一気に顔が凍りついたらしい。俺の魔力が暴走したわけでも調節を間違えたわけでもない。じゃあなんで。

 俺はこれまでの戦いにおいて自分の顔が凍りつくという現象に至るようなあらゆる可能性を考えていた。いつ、どこで。一体誰が。どう考えても俺に異常があるとは考えにくい。

 ぼやける視界のせいで、さっきよりも攻撃を受けるようになってしまった。けれど距離をとりすぎるとバクラに被害が及ぶ可能性がある。抵抗し続ける彼が邪魔だと吸血鬼が思ってしまえば、躊躇なく彼から血を吸いだすだろう。

 今度は防戦一方になってしまった。戦っている間も必死に頭を回転させる。

 そのとき。吸血鬼が手を振り上げた。

「(これ……!)」

飛んできたのは見覚えのあるもの、いや、俺にとっては馴染み深いものだった。

 〈飛氷石〉。俺のに比べたら数も威力も劣っているように見えるが、それは確かに〈飛氷石〉だ。吸血鬼自身の意思で動いている。

 そうか。この吸血鬼、魔力の属性は『闇』だったか。『闇』属性の中でもそれぞれ特技があるが、おそらく「複製」、つまり「コピー」が得意なのだろう。相手の血を飲むことで、相手の魔力属性の技が使えるようになる。

 これは相当面倒になりそうだ。

「いいねえこういうの。単純な力比べで俺は負けるつもりは無いよ」

挑発。俺は顔の氷をむりやりはがす。氷に皮膚が張り付いていたところは皮膚ごとはがれてしまったようだが、今は痛みは感じない。

 まずはバクラを引き剥がさねば。この戦いにおいて彼の存在は本当に厄介だ。

 これまで攻撃を受けてしまったのは、最初の攻防の速さに慣れてしまっていたからだ。切り替える。相手よりもさらに速く。圧倒しないとこの勝負は勝てない。

 息を殺す。魔力の放出を最低限にとどめ、相手に位置を悟られないようにする。

 飛んだりしゃがんだり。相手を翻弄して、相手の背が取れればひとまずバクラを引き剥がすことができる。それさえできれば、俺は今度こそ周りを気にすることなく魔力を使うことができる。

 一瞬。ほんの一瞬だけ、隙が見えた。それを、俺は逃さない。

「(今っ)」

吸血鬼とバクラの間に手を突っ込み、読んで字のごとく引き剥がした。バクラには多少ではあるが申し訳ないと思ったが、こうでもしないと助けることはできなかった。許せ。吸血鬼をバクラとは反対方向に力の限り蹴り飛ばす。一瞬だけ〈地氷結界〉をとき、範囲を俺と吸血鬼だけでかなり狭めてかけなおす。冷気を濃くする。霧が辺りに漂う。

 絶対に負けない。『星零花』の魔力の持ち主として。

「うらぁっ!」

ただひたすら攻撃し続ける。防御なんていらない。攻撃こそが最大の防御だから。

 拳と拳のぶつかり合い。最大出力の〈飛氷石〉。止まらない衝撃音。

 まるで、ひとつの物語おんがくのように、俺と吸血鬼は奏で続ける。

 突如、均衡が破れた。吸血鬼が、『氷』属性の魔力を使わなくなったのだ。

「(行けるっ!)」

チャンスはきっとこの一度きり。ここで倒しきるしかない。

 〈氷封塊〉をいつでも放てるよう、全身に纏う。〈氷封塊〉を発動して相手の動きを止めるには、相手に触れる必要がある。全身に纏うことで、体のどこに触れてもいいようにする。

 まだまだ加速できる。もうワンテンポ。いや、まだ行ける。〈飛氷石〉の速度も上がる。神経を集中させ、未来のある一点をめがけてうまく誘導していく。

 ついに、そのときはやってきた。吸血鬼の、はじめはほんの少しだったズレが、だんだん積み重なって大きなズレになっていた。ここまで来れば、もう押し切れる。

 俺はさらにスピードを上げ、相手を翻弄する。そしてしっかりと相手の背後に回りこむ。

 〈氷封塊〉。相手を氷の中に閉じ込め、動きを封じる技。辺りが、一瞬で冷え込んだ。

「わいの、負けじゃな」

吸血鬼がつぶやく。見た目以上に年を取っているらしい。

「あの、結局目的って」

「あぁ、すまんのう。わいが出てこられるのは今日と明日の二日間だけでのう、この町に手ごたえのあるやつがいるとうわさがあっての、ついついはしゃいでしまったんじゃ」

ハロウィン前夜と当日しか出てこれないんだ吸血鬼って……。

「そうなんですか。えぇと、はじめに司会者に襲い掛かった理由は?」

「そのうわさでの? おぬしは誰かがピンチにならないと現れないとも聞いておったんじゃ。あれは申し訳ないと思っておるよ。あとで謝らんとのう」

「あー、それなら、俺から言っておきますよ。あなたが行かれても怯えられるだけかと」

「それもそうじゃのう……。それなら、お菓子をお詫びに贈るので渡しておいてくれぬか」

そういって吸血鬼はひとつの飴玉を取り出した。

「これですか?」

「おぅ、そうじゃ。この飴玉の包みを取ると、それはまあかなりの量のお菓子が出てくるようになっとる。おぬしのペンダントと似たような原理じゃな」

ペンダントの存在までばれているのか。

「さすが、よくご存知ですね」

「おぬしの先代ともよく手合わせしたもんじゃからのう」

へえ、カイナにいちゃんもこの吸血鬼と戦ったのか。

「あの、よかったら来年も手合わせしてくださいませんか」

俺には、今日のこの戦いに感じるものがあった。今日みたいな思考を巡らせながら戦うことは、いい訓練になると思う。

「わいでよければいいぞい。また来年、ここに来ればいいかのう?」

「あーえっと、近くに森があるので、そこで」

できれば奥のほうがいいけど、まあ待ち合わせだけそこにしてくれればいいか。

「了解じゃ。では、来年な」

「はい」

約束をした俺は、その場を去ろうとした。

「……えっ、これ解いてくれんのかね」

「あ」

すみませんすっかり忘れてました許してください。

「と、トリックオアトリートということで……」

〈氷封塊〉を解く。その間、「トリートはしたのじゃがな……」と聞こえた気がしたが、考えないことにする。

 その場をすぐに離れる。〈地凍結界〉があったとはいえ、同じ場所にずいぶん長くいてしまった。身バレは困る。すぐに去らないと。

「はぁあ何とか終わった……」

森に入り、マントと仮面をはずしてペンダントに格納する。

 天ノ鳥のピラクを呼び、事件解決を知らせるように頼んだ。

 これで、ようやく俺の任務は終わった。

 けれど、ハロウィン前夜祭はまだまだこれからだ。


(つづく)

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