被疑者の声(4)

 小山内巡査部長は、資料の右上に張られた、生気が乏しい被疑者の写真に、歯がゆい思いにさせられた。


 ――――吉田・正生まさお

 誰もが彼と同じ時代を過ごし、同じように幸不幸を経験したはずだ。

 仕事だって他にもあったのではないか?

 時代という激流に流されたのは、彼だけではない。

 皆、いい時もあったし、あらがいようのない不幸も経験した。

 それ以外にも、この容疑者が、犯罪に手を染めるまでの間に、周囲からの救いの手はなかったのだろうか?

 

 とは言え、自分はこの被疑者ではない。

 彼の不幸も、苦しみも、悲しみもわからない。

 今回の逮捕を、更生のきっかけにし、正しい生き方を見つけてほしいものだ――――。


 物思いにふけっていると、コートを羽織り、帰宅の身支度を終えた、阿南警部補が横から声をかける。


「どうしたぁ?」


「いえ」


 勘ぐられて困ることではないが、複数の事件担当する刑事として、あまり、一人の被疑者に固執するのはよろしくない。


 小山内が、バインダーを閉じようとすると、老刑事は、その手の動きを止めるように聞いた。


「このホシが気になるのか?」


「そう言うわけでは」


「まぁ、解らんでもない。ホシとして、一枚の写真に収まるまでに、その人間が生きてきた人生がある。聞き込みで話を聞けば、何故、道を外したのか疑問に持ち。捜査資料に目を通せば、何か救いがあったんじゃねぇかと、考える」


 さすが、警察の仙人のような人物だ。

 まるで、考えを読まれているようで、薄気味悪い。


 小山内は、これ以上考えを読まれないよう、極力、感情と連動して現れる顔の動きを抑えこもうとした。

 

 表情が硬い巡査部長とは逆に、阿南警部補は、仏のような表情を作り続けた。 


「写真と睨めっこするのが、俺らの仕事じゃねぇ。写真に写る奴が極悪人でも、人間として理解することが仕事だ」


「人間として……」


「あぁ、そうだよ。でなきゃ、どこに行きたいか、誰と会いたいか解らねぇだろ?」


 小山内巡査部長は、容疑者の人相を眺めながら、彼の人生に寄り添う。


 頭に目立つ白髪は、心労の現れではないだろうか? 

 こけた頬、顔に深く描かれた目尻のシワやほうれい線は、苦労した数だけ刻まれたものかもしれない。

 垂れ下がった目は、犯罪者の悪意が滲み出たモノではなく、生きることに疲れ、輝きを無くしたとも考えられる。

 見方を変え、一人の人間として見つめ直せば、別の顔が見えてくる。

 公務を執行する立場でありながら、犯罪者に、慈悲の感情さえ芽生えきた自分に驚く。


 阿南警部補は、巡査部長に背を向け、去り際に言葉を残した。


「まぁ、いい。仕事がない時くらい、お前も定時で帰れ。最近じゃぁ、勤務時間がなげぇと、働き過ぎだの、上司の管理責任だの、うるせぇからな」

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