被疑者の声(3)
捜査共助課の詰め所にて、小山内巡査部長は自分のデスクに置かれた、捜査資料を集約したバインダーを整理していた。
彼はお役御免になった資料を眺め、考えを巡らせる。
この被疑者は常習犯だから、この資料は、また引っ張り出すだろうな……。
小山内は再び日の目を見るであろう、バインダーをおもむろに開いた。
捜査資料は以前、被疑者が逮捕された際、担当した警察官の取り調べから、まとめられた物だ。
#110 #110
吉田・
窃盗、暴行の容疑で緊急逮捕。
1979年。
東京都にて出生。
父、母、子の3人暮らし。
父は建築業。母は専業主婦。
ごくごく一般的な核家族。
1991年。
バブルがはじけ、数年後、父親が勤める会社が倒産。
1994年。
15歳の時に両親が離婚。
離婚は、父親が働かないことが原因だった。
母方に引き取られ、母方の実家、岩手県に引っ越す。
1997年。
高校卒業後、埼玉の自動車工場に就職。
本人は、地元での就職が望ましかったが、就職難によりやむなく、地元から離れた地域で、働くこととなる。
工場への就職は、けして簡単なものではなかったらしい。
バブル好景気には、高卒者に対し1人最低でも、10社は求人の話が来た。
しかし、バブル崩壊後、工場などの生産業は高卒対象者、2人から3人に1社の求人。
当時、大手自動車メーカーは不況の波に襲われ、苦行を強いられていた。
そんな中で、吉田・正生が勝ち得た自分の道。
住居は社員寮に移り住み、工場では懸命に働いた。
それが、より良い人生を歩めると信じて。
2000年。
工場の事務職の女性と結婚。
2人でアパートを借り、新しい人生を、最愛の伴侶とスタートさせる。
しかし、時代はバブルの余韻を残しつつも、冷え切っていた。
大手企業は、経済の氷河期とも言うべき時代を、生き残る為、他社との合併、子会社の売却、従業員のリストラなどの方針を立て、乗り切ろうとする。
工場勤務だった吉田・正生にも、その波は押し寄せ、足元から浸かり、徐々に膝から腰へと上がって来ていた。
吉田・正生の親会社が、大手企業に買収され、経営方針が変わり、生産ラインの縮小に伴い、工場が閉鎖される。
吉田・正生は26歳。8年勤めた工場をリストラされたのだった。
2005年。
生活費をまかなう為、求人募集していた、人材派遣会社で働き始める。
主に建築現場や工場などに派遣される。
派遣とは言え、3年後の契約更新時期には、正社員として採用される為、展望は持てた。
2008年。29歳。
リーマン・ショックにより、ほとんどの派遣会社で、派遣切りが始まる。
それは、3年の契約更新手続き節目とした、彼も同じだった。
ここで彼の職歴が途絶える。
30代を目前にして、安定した職への道を閉ざされた。
この時、吉田は、やるせない気持ちに打ちひしがれ、働く意欲を無くしたのかもしれない。
皮肉なことに、これまでに血肉を切り捨て、生き残ろうとした日本のメーカーは、今現在、次々と海外の大手企業に買収されている。
2009年。離婚。
家を引き払い、住む場所を無くした為、派遣村で一時、生活をしのぐ。
2010年。
同じ派遣村にいた人間と、金銭でのトラブルを起こし、相手に暴力を振るう。
派遣村を追いだされ、そのまま路上生活へ流れる。
2011年。
彼は、その日の出来事をラジオで知ったそうだ。
東海沖の震災により、岩手で暮らす母親を、津波被害で失う。
2012年。
窃盗罪で度々、警察に逮捕される。
あくまでも憶測だが、これまでの度重なる不幸が、彼の精神を押しつぶし、それにより、一人の男の
2013年。
空き巣の現行犯で逮捕。禁固刑
2015年。
出所後、消息不明。
2016年。
空き巣が多発する地域で、不審者として通報され、容疑者として浮上。
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